第23話ハブ

 人形館は人の高さほどの生垣に囲まれている。生垣の内側には広い庭が広がり、庭木や竹が乱暴に植え込まれている。

 門から玄関までには飛び石が敷いてあり、玄関まではその飛び石を伝わって歩くことになる。

 激しい雨が降った後の夕方である。周囲は薄暗かった。頭上の庭木から落ちる滴を気にしながら飛び石を踏み外さないように玄関に近付いた。玄関と門の中間ぐらいにある竹やぶのそばを通り過ぎようとした時である。大声で悲鳴を上げ衝動的に左側に飛びのいた。竹の根元に蛇がとぐろを巻いていると思ったのである。飛び石を踏み外し、湿った土の上に靴がめり込んでいた。心を静めて見てみる黒色に近い灰色の紐にすぎなかった。一メートルほどの太い紐が竹の根元に打ち捨てられていた。

 落ち着いても心臓の激しい鼓動を静まらない。顔が青ざめているのも分かった。とりあえず飛び石に戻り、玄関の前に立った。玄関を入る前にコンクリートの土間で、靴の泥を落としていると、引き違いの扉が開け、館長が顔を出した。館長は無表情のまま青ざめた顔をのぞき込み言った。

「顔が真っ青ですよ。幽霊でも見たようだ」と言った。

 靴底の泥を落とす私から視線を外し、庭を見た館長は飛び石から大きく踏み外した靴跡と、竹林の根元に打ち捨てられた紐を気付いて私の心の動揺を察した。そしてあらためて繰り返した。

「今度は本物の幽霊を見たようですね」と館長が断定的に言った。

 彼がどこまで私のことを知っているのか分からないが、指摘は当たっていた。

「これもふるさとに関係する幽霊ですか」と臆病な姿を見られたことを恥じて苦々しく訊ねた。館長はそうだと答え、続けた。

「あの竹やぶの根もとに打ち捨てられた紐をハブと言う毒蛇と見誤ったのでしょう。ここにハブなどいるはずがないことはご存知のはず。人間が蛇を恐れるのはアダムとイブの遺伝子を受け継いだせいで、長い縄を蛇と見間違えて驚くのは仕方がない場合もあります。恐怖心で幽霊と一緒です。ただあなたの驚き方は普通ではない。先天的に受け継いできた恐怖心とは別の後天的にすり込まれた恐怖心があるはずです」と、彼は指摘した。

 半世紀前の悲惨な事件を鮮明に思い出し、息苦しくなった。

 釣竿を求めて少年三名で竹やぶにも入った時のことである。連れの二人の少年は兄弟であった。

 弟がハブの犠牲になった。

 ハブは攻撃的でどう猛な生き物である。しかも強い血液毒を持ち、噛まれて命を取り留めた者は痛みを、焼け火箸を当てられたようだと言う。

 幼い少年にはなす術もなかった。兄は弟を竹藪から担いで連れ出そうとして、私は大人を呼びに村に走った。私が大人を連れて戻った時には弟はすでに息絶えていた。噛まれた傷口付近は血液毒で筋肉が解け赤く腫れて膨らんでいた。子どもを失った両親の悲嘆は想像を絶するものであった。

 人形館に入った後も、心臓の激しい鼓動は収まらなかった。

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