第11話母の家

 夢に出てくる母の家は人と人が行き交うこともできないような狭い路地に面したスラム街の粗末な家である。

 四隅の古い柱で支えられ薄い板で囲われただけのトタン屋根が、上にあるだけの六畳一間の家である。

 周囲の家はどれも似たり寄ったりでマッチ箱のように小さかった。そして多くが自分たちと同じように南の島から着の身着のまま裸同然で引き上げて来て、貧しさから逃れることもできずに、そのままこの界隈に住み着いていたのである。

 夢に出てくる家は四十年前に家族六人が住んでいた家である。当時は父を含む六人で生活をしていたが、夢の中に出てくる家に住むのは母だけである。

 夢の中でいつも思うのである。

 この母が死んだら肩身の狭い思いから開放され、どれだけ気楽な気分になれるのだろうかと。貧困と言う恥ずかしい呪縛からも解き放たれるかも知れないと。事情は異なるが、みずからの親を殺める子の気持ちが理解できるような気になるのである。

 夢の中で母は、いつもサトル、サトル。たまには声を聞かせて、顔を見せてと訴えるのである。成人したら親は親、子は子と促しながら、その言葉とは相反し餓えたように私を求めるのである。

 貧困と言う呪縛から逃れようと、家族に背を向け続け、放蕩を尽くした私の声をなおも聞きたい、顔が見たいと訴えるのである。

 八十を超えて耳も遠くなり、複雑な話になると顔を背けた。最近では目も悪くなり生活にも不自由することがあるようだった。

 今は独身の弟の家に身を寄せているが、夢に現れる時、いつも彼女はスラム街にあるその家に住んでいた。

 その夜の夢に現れる母の姿はいつもと明らかに違っていた。

 若いころの姿で母は夢に現れた。子どもを背負い、スラム街の路地の水道で金タライに水を満たし、額に汗をかき洗濯をしていた。そして生計を得るために部屋の片隅に置かれた機織り機で紬を織る姿もあった。子供を連れて散歩する姿もあった。

 今は年老いた母にも、あのような若い時代もあったと思い出したのである。

 ところが次の瞬間に母は、その機織り機のそばで仰向けに倒れ、トタン屋根を見上げていた。その姿を見た時に夢の中で私は身震いした。目を大きく見開いているが、それ以外に寝ている姿と変わらなかった。

 苦しんだ様子はなかったが、母が死んだことを実感したのである。

 目を覚ました時には外は白みかけていた。

 いつも枕元においてある携帯電話から着信音が流れていた。

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