第9話魔術師とクリスマス

 十二月も中旬になると幸せホームにも年の瀬の雰囲気が押し寄せてくる。

まず最上階の五階にあるホールにはクリスマスツリーが飾られ、まだ少し正常な脳や身体に恵まれた者は、この部屋で人生の名残を惜しむことができる。次の年にも正常な人でおれるかどうか分からないのである。大部分の者がアルツハイマー病の進行で記憶を失ってしまうのが普通である。

 北には海が広がり、東には町が広がる。

 夕暮れからの町の夜景に灯る頃には、ホールの灯りはうす暗くされ、ツリーに灯るイルミネーションと町の夜景が映えるように工夫をされている。

 五階のホールでは集まった老人たちが別人のように華やいでいた。遠い昔、恋人や家族と過ごしたイブの夜を思い出しているのであろう。彼らにとっては人生最後の供宴になるはずである。

 ツリーにはイルミネーションのほか、雪に似せた綿や、金や銀、赤、青、緑の星や小箱が吊り下げられている。

 例年だと例のディケアーに通う引退をした魔術師がこのツリーの前でクリスマスイブに魔術を行っていたが、今年は体調が悪いと言うことで、代わりに息子が慰労にうかがうと連絡が入っていた。あの老魔術師も口上で一世一代の大魔術だと称していたが、そのとおりになったようである。

 実は一月前のマジックで、老女のダンボールに入ったままこの世から姿を消したことで彼も自信を奪い、精神を蝕ばまれたかも知れない。あれから一か月ほど経過したが、自分も納得できずにいた。

 魔術師はサンタクロスの格好をして登場した。そして自分はこれまでマジックを演じていた父の息子だと自己紹介し、魔術師として非の付けようもない完璧な身のこなしでホール中央のツリーを手で差し示し、発声した。

「今日のマジックは実に簡単であります。あのツリーに吊りさげられた箱を一人、ひとつつづつ外して取って下さい。そして私が呪文をかけた後に開けて下さい。皆様が往く年に未練を残さず新年を迎えるために必要なものが入っているはずです」と彼は宣言し胸に手を当て、観客にお辞儀をした。

 観客は疑いながらもツリーから思い思いに箱を外して手にした。色で選ぶ者もおれば、吊り下げられる位置で選ぶ者もいた。

 私は最後に残った緑色の箱を選んだ。

 全員が箱を受け取ったことを確認すると、彼は、エロエロエッサイム、エロエロエッサイム、エロエロエッサイムと呪文を唱えた。そして箱を開けてみて下さいと観客に告げたのである。

 ホール中に歓声が起きた。もちろんクリスマスイブ日の行事であり、喜びの歓声であった。

 私も自分の箱を開けた。そして思わず、」「ここにいたのですか」と、驚愕の声を上げてしまっていた。

 若い魔術師の父が消し去った老女が箱の中にいたのである。もちろん小さな人形としてである。その時に私の心にすくっていた疑問は氷解した。

 しかし、今度は若い魔術師が使った魔術の種が想像できず気になって仕様がない。

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