第21話 ふさわしいかどうかじゃなくて、そこにいたいかどうかという問題

 そうしているうちにあっという間に試合当日になった。

 二ヶ月前に来た試合会場と同じ場所。

 待ってるとすぐに計量が開始されて300グラムマイナスですんなり通った。

 試合に出るジムの面々と島を固めてぼへーーーっとしながら、ポカリスウェットを飲んで体に水分を染み込ませていく。もう、何もかも投げ出して逃げ出したいけど、ここまで来てしまったという怖さが、自分を何もさせない状態で固定させていた。

 ここにいる面々は特に何もするでもなく、ぼんやりしていた。

 しばらくして、葵と、内田さんと、栗山さんがやってきた。

「いやー、お疲れ様です。というかドロー見たけど、太一くん第一試合ジャーン」

 そう言って内田さんはゲラゲラ笑った。

「もう、逃げ出したいです……」

 会場の空気とかわかる前に試合。キャリアなしの初対戦同士。一番レベルが低く階級も軽いことから、まさかの一番最初の試合が俺の試合になった。

「さて、みんなでおにぎりでも食べましょうか」

 と、内田さんがコンビニの袋からおにぎりを出して並べていく。食べ過ぎても食べなすぎても良くないだろうから、とりあえずわかめご飯と鳥五目を噛んで飲み込んでスポーツドリンクで流し込んだ。

 少しだけ休んでウォーミングアップを始める。しばらくして栗山さんにミット持ってもらう。

「ミドルきっちり狙ってプレッシャーかけてけ」

「はい」

「作戦だが、ここんところやってきた内容と変わらない。とにかく太一くんは打撃でプレッシャーをかけて、タックルきたら切る。カウンターでフロントチョーク狙う。それ以外はとにかく立て」

 内田さんが俺にアドバイスする。

「了解です」

 緊張しすぎて頭が真っ白になっていた。葵と目があったが、頑張れといってくれた気もするし、そうでないような気もする。

 グローブとレガース、ヘッドギアが取り付けられていく。もうどうとでもなってしまえと思っていたら、名前を呼ばれて、リングの上へと上がる。

 リング中央に行ってルールの確認。そして相手の顔を見る。自分よりも背が低く、がっしりした体つきをしている男だった。なんて名前だったか、さっきのコールをちゃんと聞いておけばよかった。

「ラウンド1」

 ゴングがなる中央で拳を合わせる。

 早速相手のローキックが内腿を弾いた。

 あ、やべえなんかしなきゃ死ぬ。というのがなんとなくわかった。

 とりあえずジャブを出す。警戒して相手が頭を振り出す。

 ああ、この距離なら当たるなと、左ミドルキックを蹴り込む。肩口に当ててすぐさま戻して離れる。

 自分のリーチの長さからそれを生かして、制圧していけばいいということを栗山さんから散々教わった。

 まっすぐのパンチを打って、それに対して何かしらのアクションをさせた上で膝蹴りをきっちり当てる。

 組みつこうとしたところを押して後ろに下がらせて、もう一度膝を入れて逃げる。

 相手との距離ができる。すると、大きなフックを見せたと思ったら一気にタックルに来た。

 そうだ、この戦いは総合格闘技だったということを倒されてから思い出す。どんだけ頭が真っ白なんだと思っていたら。あっという間にパスガードされて横四方固めの体制になってしまった。

 抜けようとなんども試みるが、抑え込むのはこの相手うまい。それから極めようとしてくるが、その狙いだけは理解してかわす。体制は変わるが結局上に乗っかられた状態で1R目は終わった。

「すいませんぼーっとしてました」

「ぼーっとしすぎだ。作戦を思い出してきっちりやってけば勝てない相手じゃない。ポイント差もほとんど付いてないから落ち着いてやれば勝てるから」

「了解」

 ラウンド2

 今度は拳を合わせた瞬間に相手がタックルを仕掛けてきた。

 さすがに読めるから、あっさりと切る。立ち上がると、今度はまたタックルにくると見せかけて大ぶりなフックが襲いかかってくる。

 なんとか腕でガードをすることに成功したがよろめく。

 相手が今度は距離を詰めて打撃戦を仕掛けてくる。ワンツーロー。

 基本的なコンビネーションだが迷いがない分威力がある。

 さらに連撃を重ねてこようとしたところで、意識がきちんと働くようになる。

 パンチを掴んで膝をみぞおちに入れて動きを止めると、前蹴りで距離を作る。

「前詰めろ! 攻めなきゃ勝てないぞ!」

 とりあえず詰めて左ミドルをけり込んで動きを止める。

 左ストレートを打って相手をガード越しにダメージを削っていく。

 牽制に腕を前に出しておく。

 相手が再び、パンチをフェイントにタックルを仕掛けてくる。

 さすがに見えた。ゆとりがあって、仕掛けることができる。そうだ、ここでフロントチョークを使おうと心に決めた。

 突っ込んでくる相手、俺は相手の頭を抱えて首筋に手首がくるようにする。

「そうだ、そのまま締め上げてしまえ!」

 だが、あまりうまく入っていない。顎をまだ挟んでいる。だが、そのまま無理矢理でも上から締め続ける。

 相手が俺の足をとって片足タックルの体制になる。

 だが、苦し紛れにすぎず入りは浅い。

「相手の頭を押して、後ろ向きに抜けろ」

 あまり苦しまずにタックルを抜ける。相手がこちらを振り向く。


「蹴り飛ばせ!」


 葵の声が直接響いてきた。

 どこをというのは散々仕込まれたところだ。

 左ハイキック。

 ガードは完全に下がっていた。一回も見せてない攻撃だった。

 振り上げる。直撃する。振り抜いて。もとの位置に下ろすと、相手が膝から崩れ堕ちた。間違いなく意識が弾け飛んだ。レフェリーがカウントをするまでもなく決着がついた。

 勝った? そうか俺は勝ったのか。

 中央に呼ばれて勝者として称えられる。

 リングサイドへと戻っていく。

「いえー」

 内田さんにハイタッチを求められてハイタッチする。栗山さんも便乗してハイタッチを求めてくる。ハイタッチ。

「やべえじゃん、やべえじゃん。ハイキックKOとかキックでもなかなかアマチュアじゃ見れないっすよ。さっすがー」

「まあ、俺の仕込みが良かったんじゃねーか?」

「おっしゃるとおりで」

 散々蹴られたし、散々蹴ったからからだに染み付いた動きになってた。

 防具一式を外していく。

 俺は成し遂げたのだ。今まで試合で勝った負けたはそこまで嬉しさというのもなかったが、終わってからこみ上げてきた。今日のために磨き上げて、今日のために戦って勝った。

 何を証明したかったのか。ここに来て分かった。

 けれども、なんというかここまでの張り詰めた緊張感が解けて、しぼんだ風船みたいになっていくというのがなんとなく分かった。

 防具を全部はずして、服を着てそう呟いた。

「お疲れ」

 葵が、ポカリを差し出してくれて、俺はそれを受け取って飲んだ。

「ありがとう。ここまで連れてきてくれて」



 その日は試合後の打ち上げに出て、最後、葵と一緒に家に帰ることになった。

「葵、ありがとう。葵があそこまで追い込んでくれたから勝てたんだよ」

「やったのは太一だよ。おめでとう」

 そう言って葵は微笑んでくれた。

「なあ、葵、俺は前、君についていくことができないって言ったの覚えてる?」

「うん。私を振ったあの忌まわしい日のことはほとんど全部覚えている」

 笑顔のままで、目は全く笑ってないとても怖い顔で言ってきました。

「あれは多分嘘だった」

「へー」

 ものすごい棒読みで葵は答えた。

 かまうものか、以前の自分と変わってしまったってことを伝えるだけのことだ。

「俺はどこまで行っても葵についていこうとする。だから、ついていけないなんて嘘っぱちだった。殴られても蹴られても、すごいキツイトレーニングがあろうとついていける。自分が走る先に葵がいる、近くにいられる権利があるところがあるってわかるだけで死ぬほど頑張れるみたいなんだ」

「そうなの?」

「そうみたいだ」

 ただ葵の気をひきたくって試合に出るって決めて、死ぬほど苦しいトレーニングをやり遂げて試合に出た。正直勝ち負けはどっちでも良かった。その過程をできたことを振り返れば、葵のためにどんな努力もできるって証明でしかなかった。もちろん、俺が格闘技にハマったってのはあるけど、それ以上の動機は葵が握っている。

「葵……」

 一歩先に言って足止めをする。

「やっぱり言わなきゃだめかな?」

「言ってくれなきゃわからないからね」

 葵はすました平然とそう言った。私まだ怒ってます。謝ってください。そういう風な態度。

 深呼吸をひとつ。ちゃんと伝えなきゃいけない。

「俺は葵のことが死ぬほど好きで好きでたまらないんだ。だから、これからも一緒にいるために色々教えてくれ。死ぬ気で食いつくから。お前のそばにいたい」

「ヤ ダ !」

 葵は即答した。

 膝から崩れ落ちそうになった。

「葵……?」

「だって頼まれなくっても教えるし、教えるの楽しいし、太一が私の近くに来たいなら来れば良い。でもそれで太一が壊れるのが一番嫌! 太一は努力なんかしなくたって私の近くにいていいの! だから、頼まれてやらない!」

「それって」

「だから最初っから言ってるじゃん。太一が大好きだって。ジムまで追いかけてきたのすごいムカついたけど、でもなんか嬉しくってよくわからなくって……」

「葵、ありがとう……俺も君なしでやってけそうに無かった。大好きだ」

「私もだよ」

 葵が抱きついてきた。あの日と同じ、部屋で二人っきりの世界だった時に戻ってこれた。

 あの時はあの場所でだけ。でも今は、二人でどこまででもいけそうな気がしていた。 

 お前が要る。前に抱きしめられた時にはそう言われているように思えた。

 けれども今は、俺にも君が必要だ。確かにそう思えていたのだった。

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不登校児と一緒 @abutenn

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