1-05『それは素晴らしき青春の諸々1』
『あっははははははははははははは――!?』
高い大きい笑い声が、電話口から俺の鼓膜を揺さぶった。
地元の友人が、またも朝から電話をかけてきやがったわけである。今日までの俺の顛末を聞くや否や、一切の遠慮なく呵々大笑ときたものだ。
もう本当にこいつはもう。
「おい……笑いすぎだろうがテメエ……」
『いや、だって……こんな、も、……くっ、笑、笑わな……ふぶっ!?』
「もう喋れてねえじゃねえか!」
なんで俺がこんな目に遭わなければならないというのか。
まあ俺が聞いた側だったら、たぶん同じように大笑いしていただろうけれど。
『いや――いや悪い悪い。何か起きるんじゃないかと思っていたけれど、まさかここまでとは思っていなかったからさ。うん、かなり意表を突かれたよ。さすが未那だね』
「それ褒めてるの?」
『褒めているというか……まあ、それはいいだろう』
挙句、なんか適当な感じで流されてしまった。ああ……なんかもう、いいか。
この一週間で、ずいぶんと心が強くなってしまった気がする。でも嬉しくないのはなぜだろう。
『それで? 以来、君たちはいっしょに暮らしているというわけか』
「いや仕方ねえだろうが」かつての友人へ、これは近況の報告を兼ねた電話である。「瑠璃さん――俺が住んでるアパートの管理人さんに、『仕方ないよねっ』て言われちゃったら」
『むしろ、よく許してもらえたものだね?』
「その辺にも事情があってな? あー、実はこのアパート、本当はアパートじゃなかったらしくてさ」
これは先日、俺と友利が連れ立って帰ってきたときにもうっすら聞いていたことだが。
――まあ細かい話はいいだろう。俺も詳しくは聞いていない。肝の部分は、要するにこのアパートの一階が、元は全体でひとつの部屋だったという点である。一○一から一〇三まで全体でひとつの部屋だった――という意味である。
壁があっさり壊れるわけだ。
あれは壁ではなく、そもそもあとづけで作られた仕切りでしかなかったという話。ベニヤ板みたいというか、本当に似たようなものだったわけだ。
『そういう事情か。数奇な話だね。いや、未那風に言うなら劇的――かな?』
別に俺風に言ってくれなくていい。俺は答えずに話を続けた。
「あと、まあ家賃も半額になるってことで話はついたな。管理人さんにはむしろ謝られたよ。ごめんねー、この壁作ったのわたしなんだー、って」
だとしても、あくまで壁を壊したのは俺と友利であって。少なくともほかの――二階の住人が普通に 暮らしている以上、壁が薄かったなど言い訳にもならない。
俺にも友利にも壁を弁償する金などないし、その上で瑠璃さんが「家賃はひと部屋分を折半でいいよ」とまで言ってくださったのである。
まあ、二つ返事で鵜呑みにしすぎた感はあったが。
『なるほど。――そういう事情で、君はその……なんだっけ、友利さん? と、同居することが見事決まったわけだ。美少女とひとつ屋根の下なんて、隅に置けないじゃないか』
からからと気楽に言ってくれる友人であった。
だが冗談ではない。その相手が、誰でもいいというわけではないだろう。
「……そういう感じでもないんだけどなあ」
ちら、と俺は横合いに視線を向ける。ほんの一週間前まで壁があった部分に。
――より正確には、そこで眠っている友利叶に。
「つーか、こいつもこいつでよく俺とひとつ屋根の下なんて受諾したもんだよ……」
『その話だけ聞くと、確かになかなか変わった子のようだね』
「どの話を聞いても変わってるよ、友利は」
広さがふた部屋分になったこの場所で。友利叶は当たり前のように暮らしている。
正直、この話を友利が請けたこと自体が意外でならない。いや、そりゃほかに選択肢があるかと問われればないのだが、だからってあっさりしすぎだろう。男の俺はともかく。
あの日の夜。友利と話し合ったことを思い出す。
俺たちがなぜお互いを許容し、同居という結論に至ったのか。その過程である。
※
「――話をしましょう」
友利は言った。破れた壁を挟むようにして、お互い、座って向き合って。
といっても、すでに瑠璃さんには「わかりました」と告げてあった。家賃が半額でいいと言われ、思わず反射で頷いてしまったのだ。ちなみに友利も同じだったと告げておく。
金銭面でも、俺たちは状況が似ているらしかった。
だがそんな無思考ノータイムアンサーは、冷静になると待ったが出る。
早急に。俺と友利は、お互いのことについて考えなければならなくなっていた。さっきまでとは完全に違った意味で、だが。
俺は問う。
「いいのか? お前……、その。本当に、これで?」
「いいも悪いもないでしょう」と、友利は言う。「壁は直せない。直す壁がない。自腹では払えない。つまるところが選択肢はない」
「建前だろ、そりゃ」と、だから俺も答えるしかなかった。「ホームセンターで仕切りでも買ってくりゃ少なくとも遮蔽はできる。壁はさすがに作れなくても、それくらいなら」
「……それ、現状となんか違い、あるかな? 壁と仕切りじゃ、意味が違うでしょーに」
「それは……そう、かもしれないけど……友利」
「いやまあ言いたいことはわかるけどさあ」友利はもはや面倒げだった。「現状、仕切りを作るくらいならあんまり意味ないし。したら家賃が半額になるほうがずっとよくない? だいたいこの感じなら、これまでもある意味で同じ部屋で暮らしてたようなものじゃん。なら別に変わんないって。わたしは、合理的に生きられればそれでいい」
「……お前がいいなら、それでいいけど……」
なんとなく釈然としない俺だった。いや、俺のほうはそれでも構わないわけなのだが。
仮にも隣人である女子の部屋の壁を、ぶち抜いてしまったわけで。そのことに罪悪感というか、ちょっとした引け目のようなものを感じていないと言えば嘘になる。
ていうかこいつは、仮にも男と同居になることに抵抗がないのか。
「んじゃ話はついたってことで、その先ね」
淡々と、とんとん拍子で友利は話を進めていく。
――合理的、と言いたいのだろう。
「もちろん同じ部屋で過ごす上のルール的な取り決めは必要だろうけど。まあ元は二部屋だし、お風呂やお手洗いはふたつあるから困んないでしょ……そんな増築するなら、そもそも壁をちゃんと作っときなさいよ、とは思うけど」
「……それは、最初からあったんじゃないのか? 知らんけど。扉だってふたつあるわけだし」
「いったいなんだったんだよ、ここ……」
それこそ俺が知るかという話である――いや違う。そんな話はどうでもいい。
「基本的に、やっぱり不干渉がいいと思うのよ。お互い」
と、改まったように友利は言った。俺も居住まいを正して拝聴する。
が、その前に。
「一応は同居ってことになって、それは難しいんじゃないか?」
「だからって、そんな話は外でできないでしょ?」軽く肩を竦める友利。「だいたい学校にバレるわけにいかないじゃない、そもそも。なんもなくたって勘繰られかねない」
「それは……確かに」
「だからまずこの部屋には人を呼ばない。可能ならここに住んでいることも秘密にする。仮になんらかの理由で、どうしても呼ばなければならない場合は即相談」
「…………」反論はしづらかった。
正論だからだ。筋が通っている以上、感情論で抵抗はできない。
ただ、ということはつまり感情は納得していないわけで。
「わかってる」友利は言う。「我喜屋はまあ、いろいろ人を連れ込む予定だったわけでしょ」
「そういう言い方をすると語弊があるが」
まあ否定はできない。独り暮らしを選んだ理由のひとつでもあったからだ。
友利は頷き、それから続けるようにこう言った。
「そっちに譲らせる以上、こっちもある程度は譲歩するから。確かに我喜屋が昨日の朝に言ってた通り、わたしたちはお互いに協力関係を結んだほうが話が早いと思う。これが、こっちから提供する譲歩ね」
「どういう意味だ?」
「我喜屋は、これからいろいろ青春のために活動するんでしょう? わたしが、まあ可能な限りは、その手伝いをするって言ってるの。代わりに我喜屋はわたしの手伝いをする」
「……どういう心変わりだ……?」
「なんで説明の前後でリアクションに大差ないんだっちゅーの」
じとっとした視線を向けてくる友利だった。だが驚こうともいうものだ。
あの日の朝、ただ友達になろうとアプローチをかけただけの俺を、ああまではっきりと断ってみせたのが友利なのだから。それが、今や半ば掌を返したかのような発言。
「別に心変わりなんてしてないけどね。そのほうが合理的だと思っただけ。確かにわたしたちは正反対だけど、それをお互いが知ってる前提なら、別の手だって取れるでしょ?」
「……なるほど」俺は頷いた。「お前の脇役哲学を、俺の主役理論を、お互いが知っている関係なら、互いに邪魔をしないという前提のもと協力関係を結べると」
「そういうこと。だって普通、こんな話したって誰にも通じないからね。コイツ何言ってんだと思われて引かれるのが関の山。その点、ある意味では最高の協力者でしょ?」
それも確かに。いくら主役理論や脇役哲学を云々したところで、それが俺たち以外の人間に通じるとはまったく思えない。俺といっしょに主役理論を作ったあいつでも、初対面でこうまでお互いのことを暴露し合うような展開になったとは思えなかった。
その意味では実際、俺たちは絶好の協力者を見つけたと言えるのかもしれない。
このアパートを三年間の根城と定めた以上、それが考え得る最も適切な対処と言えるだろう。
だが、やはりどこか納得できない部分があるのも事実だ。俺は言う。
「……俺、お前に何かできるとは思えないんだけど。確かにさっきは言いすぎたとは思うが、だからって俺の主張が間違ってたとまでは思わないぞ」
「そりゃわたしだって、さっきの言い争いまで流したわけじゃないし。まあこっちも熱くなりすぎたのは事実だから、そこは謝っとく。ごめん」
「こちらこそ」
「じゃあ手打ちってことで続けるね。――要するに理解度の問題だと思うわけさ」
「……ああ」
この辺りでようやく、俺は友利の言いたいことを理解した。
なるほど。ほとんど初対面の異性との同棲を受け入れたのは、それが理由だったのか。
「要するにお前、本当なら俺たちは絶対、お互いの邪魔になると思ったわけか」
「ま、そういうことだよね。さすが我喜屋、話が早い」
それは俺の理解力が高いという意味ではなく、俺と友利の間柄だからこそ、考えていることが察せられるという意味なのだろう。友利は続ける。
「もしわたしたちがお互い、自分のやりたいようになったらどうなるか。絶対にお互いが邪魔になる。これは最初に会ったときに言った通り。だけどわたしたちが初めから、ある程度まで譲歩してお互いに協力をするのなら。その前提があるんだったら――」
「――邪魔になる前に察せられる。気遣える。無理だとしても譲歩を探れる。少なくとも、行動する前に相談し合うことくらいならできるようになる、と」
友利は、軽く肩を揺らすことで肯定を示した。
「たとえば我喜屋が誰かと友達になりたいと思ったとき、わたしがさりげなく後を押してあげることくらいならできるし」
「逆にお前が面倒なことに巻き込まれそうになったときは、俺が庇うことができると」
確かにこれが、現実的に可能なラインの妥協案か。
俺たちがふたりで暮らし、お互いに相談を持つことを前提として過ごしていれば、お互いに敵対を避けられる。
――けれど俺にはわかっていた。
俺がわかっていることを、きっと友利もわかっているように。
友利は、決してそんなことだけを考えているわけではない。大前提として、俺と友利はお互いに邪魔ものなのだ。なにせ、まったく別の生き方を選んでいるのだから。
いくらなんでも、こんな理由で同居を許容するほど友利だって馬鹿ではないはずだ。
さて、問題。邪魔な相手への対処法とは何か。
ひとつは無視。存在しないものとして扱ってしまえばいい。だがこれは、俺たちが同じクラスで同じバイトで同じ部屋に住んでいる時点で現実的に無理がある。
ひとつは排除。だがこれも、同じ理由からやはり現実的な対処法ではない。まあ友利のことだ、場合によっては考慮に入れているだろうが、現状それを為すのは難しい。
だから最後のひとつ。
それは――つまりが融和だ。
なくせない、なかったことにもできない、ならば取り込んでしまうしかない。
もし相手の考えを変え、自らの味方につけることができるのなら。それは、この上ない勝利の形だということができる。
もともと根本的に思考回路が同じなのだ、何かの間違いで考え方が変わって、自分のほうに転べば儲けもの。労せずして無力化が達成される。
何よりそれ以前。きっと俺たちは、未だに納得していないのだ。
これまでの自分と決別し、新しい生活のために考案した、この上ないと証明すべき信念――それを、存在そのもので真っ向から否定してくる相手が目の前にいるのだから。
天敵とも言うべき相手に、言われっ放しでは終われない。信じる正しさを嘘にはできない。
要するに。共に生活することで、俺たちは相手に見せつけてやろうというのだ。
――自分の信じるこの青春こそが最上だと。
お前の考えは間違っている。それをこちらの生き方で証明してやると――。
気楽な共同生活なんてとんでもない。これは言うなれば戦争だ。
それも大袈裟に言うのなら、俺や友利という人間の魂の根幹に関わるような。決して負けられない闘争だった。
そうだよな。そりゃそうだ。これを考えれば、部屋が同じくらい大した問題じゃない。
何より俺たちは、自分が正しいと信じる道のために、相手を完膚なきまでに叩き潰してやらなければならない。
そうでなければ――気が済まないというだけの話なのだ。
「……いいだろ。それで行こう」
だから、俺は笑った。あえて笑ってみせた。
お前の考えはわかっていると、言葉にせずに伝えるために。
「そのさもしい青春に嫌気が差したら、いつでも言ってくれればいいぜ? そのときは、俺が仲間に入れてやるぜ、友利」
「――は」
と、それを受けて、友利もまた笑った。
いい度胸だ、そっちがその気ならこっちも遠慮しない。言うなればそんな表情で。
「我喜屋のほうこそ。煩わしい人間関係に嫌気が差したら、いつでも頼ってくれていいよ。スマートな余暇の使い方ってものを、わたしが丁寧に教えてあげるからさ」
それはさきほどの喧嘩よりずっと重大な、けれどどこか爽やかな宣戦布告。
俺たちは、互いが相容れないことを知っている。だからこそ付き合っていくのだ。その先で相手の考え方を変えることができれば、それはこの上ない正しさの証明になるから。
そう。だからこれは戦いだ。
我喜屋未那の主役理論と。
友利叶の脇役哲学。
果たして、真に人生を輝かせるものはどちらなのか。
――鏡の向こうの自分を相手に、それを証明するための戦いだった。
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