第一三話 伝わる温かさ

 結局、残りの授業はサボった。

 サボりには定番の屋上が一番よい。

 各校舎からは発見されにくく、一部には屋根があるため、雨天であろうとサボるのに都合がよい理由があった。

 本来、屋上のような場所には安全性を鑑みて鍵がかけられている。

 さらにこの学校は最新鋭のセキュリティがふんだんに使用されていた。

 ディナイアルシステムを応用したシェルターもその一つである。

 安全のために立ち入り禁止となる屋上には当然の電子ロックがかけられていた。

「あ~いい天気だ~」

 仰向けになったイザミは澄み渡る青き空を見上げていた。

「開けられるって知ったら大目玉だろうな」

 イザミはデヴァイス<緋朝>を取り出しては天高くかざす。

 本来、屋上への扉は電子ロックで施錠され入るに入れない。

 だが、デヴァイス<緋朝>には瞬時に電子ロックのシステムを掌握するハッキング機能が備わっている。

 お陰でこのように授業をサボれるわけだが、この事実を知るのはイザミただ一人。

 教師であるクシナはおろか保護者の岩戸タケジロウも知りはしない。

「まあいいさ」

 出席日数確保なる目的は達成している。

 EATRが出現する気配もないこの瞬間、柔らかな風が流れる屋上で寝そべるイザミは緩やかな時を謳歌した。

「天に囚われ解放は何処か、地に飛び込み拘束は此処か。顔隠す狼は欺き、黒き兎は鮫の上で嗤って助けの邪魔をする。繋がるは九頭の獣、星は昇らず、陽は沈む、命奪われようとも現れし天は地を消し去ろう」

 ゴースト・ゼロが唄った意味不明の詩をイザミはふと口ずさんだ。

 EATRの大攻勢に関係するだろうと読んでいるも意味の解析は進まずにいる。

 イザミもまた自分なりに調べるうちに暗記していた。

「なんの詩?」

 柔らかな声がイザミの耳朶を打つ。

 顔を上げれば中等部指定のセーラー服を着こむ女子生徒が出入り口に立っていた。

「げっ、ミコト……」

 中等部に在籍するミコトが高等部の校舎に現れた。

 加えて邪魔が入らぬように電子ロックを再ロックしていたはずがドアは開かれている。

 閉め忘れたのか、と記憶を確認するも確かにロックした記憶があった。

 当然、デヴァイス<緋朝>にもロックしたとの履歴がある。

 はて、と考える時間はない。

「げっとは心外だよ、イザくん」

 両頬を可愛く膨らませるミコトは不満を述べた。

「また授業サボってたわね」

「お前こそ中等部はまだ授業中だろう」

「残念でした。もう授業は終わってますよ~だ」

 ミコトは携帯端末を取り出せば、現時刻をイザミに身を屈めながら見せる。

 当に放課後の時間帯であった。

「さっきクシナ先生に会ったけど、カンカンに怒ってたよ? また、なにやったの?」

「ん~ちょっとばかし天剣者絡みの事務的なお話をした後に、大嫌いなお見合いがあると嘘ついてからかったただけだ」

 唇をきつく締めたミコトはイザミの額を、ぽかんとグーで叩いた。

「……なんにすんだよ?」

「人の嫌がることは止めましょうっておばあちゃんから教えられたでしょう」

 流石はおばあちゃん子であったミコトである。

 ゲンコツ制裁はしっかりと祖母から孫娘へ受け継がれていた。

 ただ年季が入ってないせいか、祖母と比較して威力は心もとない。

「後で謝っておくように」

「了解です」

 謝っておかねば誤射なる誤りが来る危険性がある。

 クシナは味方にすれば心強いも、敵にすれば厄介極まりないからだ。

「それで、さっきの詩はなに? 厨二?」

「違うっての、接触ゼロのゴースト・ゼロが接触してきた時に口ずさんだ詩だよ」

 天剣者ではない一般人にEATRの情報を流すのは守秘義務違反となるが、ゴースト・ゼロはEATRでないため対象外となる。

 尚且つ、目撃され続ける中、誰一人とて接触者がいないことからゴースト・ゼロに対する接触規定がないためでもあった。

「あ~ネットで噂の幽霊ね」

 別段、イザミは不思議と納得していた。

 EATR出現する場にゴースト・ゼロは必ず現れる。

 現場にいる人間は天剣者だけではない。襲われた一般人すらいる。

 生き残った一般人がゴースト・ゼロを目撃し、その話をインターネットに流していても不思議ではない。

<サイデリアル>が放置しているのも幽霊のように実態を掴めていないのと電子機器にて観測された証拠がないからだ。

「可愛かった?」

 目撃していないミコトからして好奇心を抱くのは当然だろう。

「ミコトのほうが可愛かった」

 だからこそイザミはニンマリとした顔で意図的な対比にて返す。

「バカ」

 イザミは額を小突かれた。

 照れ隠しか、もしくは幽霊と比較されて怒っているのか、イザミの位置からミコトの顔は逆光となって表情を確認し辛かった。

「よっこらせっと」

 ミコトは亡き祖母の口癖を口に出すなり寝転ぶイザミの腹部に腰を下ろす。

 生憎とも残念ながら馬乗りなる騎馬上位ではなく、椅子にでも腰降ろすようにイザミに対して身体を横に向けてであった。

「お~イザくんのお腹、かった~い」

 制服の布越しに感じたミコトは嬉々としてイザミの腹上にて身体を上下に揺する。

 男の性としてイザミは一瞬だけ揺れぬ胸元に目が行くも対比は失礼だと逸らしていた。

「お前、なにしてんだ?」

「ん~特に意味はないかな?」

 聞くだけ野暮だとイザミは腹部からの重さを感じながら黙り込む。

 ミコトはなにも言わない、なにもしないイザミを流し目で微笑めば降りようとしない。

「あ、そうだ」

 イザミの腹上で弾むミコトは思い出すかのように言った。

「さっきね、根方先輩が中等部のわたしの教室まで来たの」

 敢えて誰なのかイザミはこれまた野暮なため相手を確認しなかった。

「今まで休んでいた日の授業ノートのコピーデータわざわざ持ってきてくれたんだよ。この前家まで来たんだけどすれ違いになったみたいだったから後でお礼言っておきなさい」

「そうかい……」

 興味の乾いた声でイザミが返せば、ミコトから、もうと呆れた声が飛んできた。

「クラスの人たちと仲直りする気はないの?」

「……教室入るなりまだ生きていたのかと言われたよ」

 ミコトは口を噤みなにも言わなかった。

 家族として事情は把握している。

 天剣者の規約も理解している。

 それでも親の仇のように恨まれ、疎まれるイザミを見続けられるほど大人ではなかった。

「酷い人……でも、イザくん、黙ってばかりだといつまでも終わらないよ?」

「実際、EATR倒すことに傾倒しすぎたのは事実だ。人を救ったところで心までは救えないのが現実だ」

「……許し許すって難しいね」

 虚しき言葉がミコトから上がろうと天は何事もなく受け止め、消していく。

 ただ人の心は天ほど高くなければ広くもない。

 覗き込めぬほど地よりも深いのも人の心であった。

「もしも、この世界からEATRがいなくなったら、イザくんは戦いのない日常で暮らせるかな?」

「暮らせるさ。今までこうしてミコトと日常を過ごしてきた。ならこれからも過ごせる」

「そ、そう、よね」

 ミコトの声音が揺れ、顔をイザミから背けている。

 イザミは眉根を潜めて怪訝そうな顔をしてしまうも顔を再度引き締めた。

「そのためには近々起こるEATRの大攻勢を乗り切る。それからだ」

 今ある日常を守るために、失わせないために、なにより奪わせないために。

 腹部より伝わるミコトの体温は確かな日常の温かさだった。


『喪失と獲特の檻に囚われたキミはどこまで天へと昇ればいいのかな?』

 蒼き空をたゆたうゴースト・ゼロは屋上を見下ろしながら返ってこぬ問いを口ずさむ。

『おや、キミから声をかけてくるなんて珍しいね』

 ふと珍しい客人から通話が届く。

 もっともゴースト・ゼロに接触できる人間など片手で足りるため驚きはしない。

『キミはキミで好きに動けばいいじゃないか。そこまで彼に肩入れする理由はないはずだよ? え、ボクかい? キミと違って彼は板挟みのままだし不完全なんだよ? ボクの立場としては不利な陣営を応援したいのさ。そうすると結果的に効率よく、均等に見守ることができるからね。まあ、キミはキミでまたなにか企んでいるようだけど、彼をまた利用するなら、それはそれでアリかもね』

 これから起こることは天剣者たちに伝達済み。

 選ぶ、動くは天剣者たち自らが行うこと。

 幽霊が現生にあれこれ干渉しすぎるものではない。

 ただし不公平ならば助言なる肩入れはさせてもらう。

 もっとも助けている気はなく、結果として幽霊が助かるから助けているに過ぎなかった。

『矛盾は捻じれて己を挟み込み、克己越えようと地煮立つ竈食ひ(へぐい)止まらず。冥火は猛りて命を喰らう……三日後、キミと彼の選択はどう交わり、どう対立するか、見守らせてもらうよ』

 ゴースト・ゼロはほくそ笑んでは屋上より降りていくイザミとミコトの姿を見届け、青空に解けこむように消えるのであった。

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