第26話 さよならゴリラ

「……」


 俺はカラカラになった喉を潤そうとストローを吸った。とっくのとうに飲み干していて、氷しか残っていなかった。


「……猿山君も……私の大切な友達だよ」


 後藤さん……。


「ごめんなさい。月乃を待たせてるから、そろそろ行かないと」


「……分かりました。長々とすみませんでした」


「ううん、全然いいの。気にしないで」


 後藤さんがトレーを持って立ち上がった。俺は見つからないように俯き、さり気なく顔を手で隠した。


「……最後に私から、聞いてもいいかな?」


「はい、何でしょう?」


「お兄さんは何で……こんなゴリラみたいな私を好きになってくれたのかな」


 何を言ってるんだ後藤さん。そんなの……決まってるじゃないか。


「……正直、あたしも最初はビックリしました。本当にこの人が兄貴の初恋の相手なのかって。でも、今ならよく分かります。だって後藤先輩は、本当に素敵な女性なんですから。だから、兄が好きになるのも当然です」


「ふふ……ありがとう晴香ちゃん。私も晴香ちゃんみたいな妹が欲しかったな。お兄さん想いの妹さんを持って、猿山君は幸せ者だね」


「あ、あたしは別にそんな……!」


「それじゃあ、またね。一緒にお話できて良かったよ」


 後藤さんはそのまま歩き出し、トレーの上のゴミを捨ててから階段を下りて行ってしまった。晴香はしばらく座ったまま動かなかったが、やがて溜め息を1つついて立ち上がり、帰っていった。

 俺の心境は複雑だ。結局望みゼロである事を嘆くべきなのか、後藤さんの言うように俺のためにあそこまでしてくれる妹がいたという事を、喜べばいいのか。結局俺はこれからどうすればいいのだろう。

 ……もういい、帰ろう。ただ盗み聞きしていただけなのに、何だかどっと疲れた。短時間で感情の起伏が激しすぎた。俺は脱力のまま立ち上がった。


「いてっ」


 しまった。周りをよく見ずに立ったせいで、誰かとぶつかってしまった。


「あ、すいませ…………うわっ!?」


「何だよ、でかい声出さないでくんない?」


 く、熊井!? 何でここに!? 後藤さん達と別れて、先にいつもの喫茶店とやらに行ってたはずじゃ……。そうか、こいつも俺と同様、2人の話が気になって盗み聞きしてたクチか。


「い……いつからいたんだ?」


「あんたが席についてすぐ。あんたの後ろの席にいたよ」


 マジかよ……全然気付かなかった。後藤さん達に意識を集中しすぎて、周りの事など全く気にしなかった。

 熊井は俺が座ってた椅子の向かい側の椅子に座り、腕を組んで俺を見上げた。座れって事か……。俺は何故か、母親に説教をくらう小さな子供のような気分に陥り、縮こまりながら着席し直した。


「あの2人の会話、全部聞こえてた?」


「……まあ……そうだな。真横の席だし、全部……だな」


「ふーん、そうなんだ」


 き……気まずい。過去に何度か熊井と2人きりになって気まずい思いをした事はあったが、今回のは今までの比ではない。熊井にとって、絶対に聞かれたくないであろう事実を、俺は一部始終聞いてしまったのだから。

 しかし、このまま黙ってても仕方ない。毒を食らわば皿まで……という言い方は変かもしれないが、いっその事もう少し突っ込んでみるか?


「なあ、熊井。お前、俺の事本当に好きなのか?」


 俺の投げたど真ん中のストレートを、熊井は顔を少し赤くして目を逸らし見送った。しかし、あくまで強気な姿勢を崩したくないのか、再び俺に視線を向けて、いつもの睨み付けるような目に変わる。


「聞いての通りだけど。何か文句ある?」


「いや、全然……文句とかはねえけど。ただ、未だに信じられないなって」


「ふん。ダサいって思ってんでしょ。本当は面と向かって好きって言えないぐらい弱いくせに、いつもこうやって虚勢を張ってたんだからね。好きな女子に構ってほしくて、ついいじめちゃう小学生男子と、まるっきりやってる事が一緒だしね。笑いたきゃ笑えば?」


「笑わねえよ。笑うわけないだろ」


「……何だよ、マジになっちゃって。馬鹿みたい」


 熊井はふて腐れたようにそっぽを向いた。

 俺が熊井を笑えるわけがない。俺だって散々友人や妹に協力してもらって、最後にはケツを叩かれてようやく想いを伝える事が出来たんだ。好きな人に好きと伝える。簡単なようで、何と難しい事か。俺はそれを身をもって知ったのだ。


「熊井」


「何だよ」


「すまなかった」


 俺は膝に手を乗せ、深々と頭を下げた。


「それは……何の謝罪?」


「俺は後藤さんと仲良くなりたくて、後藤さんをパーティーとか旅行に誘うために、お前をダシにしようとしてたんだ。出来れば後藤さんだけ来てほしかったけど、仕方なくお前も誘った。そんな気持ちだったんだ」


「分かってるよそんな事。それに、それはあたしが悪いし。謝られたって困るんだけど」


「もう1つ、謝る事があるんだ」


「……」


 聞きたくないという顔だ。恐らく、これから俺が何を言うのか予想できているのだろう。でも、言わせてくれ。お前のためにも、はっきりさせておかなきゃいけないんだ。


「俺は、今でも後藤さんが好きだ。俺の想いは後藤さんには届かないだろう。それでも好きなんだ。後藤さん以外の女の子と付き合うなんて考えられない。だから……お前の気持ちにも応えられない」


 無表情だった熊井が、口をきゅっと結んだ。その小さな肩が震えている。それでも熊井は、俺から目を逸らそうとしない。


「……だから……分かってるっての。わざわざ言うな、馬鹿」


 熊井の目に涙が浮かんだ。しかし、こぼれ落ちないように必死で堪えている。俺の胸に、今日1番の痛みが走った。駄目だ。ここで同情したら駄目なんだ。そんなのは誰のためにもならない。

 熊井が落ち着くまで俺は待った。暫くした後、熊井は目を擦り、いつものように悪そうに口角を吊り上げた。


「それでいいんだよ。もしここでコロッとあたしに乗り換えるような中途半端な気持ちだったら、梨央の親友としてあんたをぶん殴ってたところだよ」


「……それは御免だな」


 俺も釣られてフッと笑った。本当に……恋愛ってのは難しいもんだな。まあ俺も熊井も、初恋にしては頑張った方だろう。もっとも、後藤さん以上に好きになれる女性が、今後俺の前に現れるとは思えないけどな。


「あたし、もう行くね。梨央の先回りして待ち合わせ場所に行かないと。梨央が先に着いちゃうとまずいし」


「ああ、そうだな」


 熊井が立ち上がり、座ったままの俺の横をすり抜けていった。


「熊井、最後にもう1つ」


「今度は何だよ」


「野球の試合、いつも応援に来てくれてありがとな」


「……」


 熊井は何も言わずに行ってしまった。結局ハッピーエンドとはいかなかったが、俺の心を巣くっていたもやが、多少なりとも晴れた気がする。今回の件で失った物もあるが、得た物もあるのだ。どんな形であれ、ケリがついて良かった。

 未練がないと言うと大噓になる。後藤さんと恋人同士になれなかったのは、本当に残念だ。後藤さんに届かなかった俺の恋心は、きっと一生俺の中に残り続けるのだろう。でも、前を向いて歩こう。そう決めたんだ。

 ありがとう……乾……雉田……晴香……熊井。ありがとう……後藤さん。そして、さようなら。

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