第17話 ゴリラトラベル

 翌日。既に春から大学生になる事が確定しており、第一志望の門木の入試も終えた以上、残りの通学期間は消化試合のようなものだ。後は、いかに高校生活最後の思い出作りをするか。そこに重点が置かれる。

 朝、教室内に入ると、受験前独特のピリピリした空気はもう大分和らいでいた。大半の連中が、既に進路を決めたというわけだ。席に座ると、乾がニヤニヤしながら俺の元へやってきた。これはまた何か妙な事を企んでいる目だ。


「よう、猿山。入試はどうだったよ?」


「まあ……五分五分ってところだな。蓋開けて見なきゃ分かんねえ」


「そうか、ならいい。それより見せたい物がある」


 乾はそう言ってポケットから財布を取り出し、中からカードのような物を出した。


「じゃじゃーーーん! これなーんだ!」


「……おお」


「あんだよ、反応薄い野郎だな。もっと驚けや」


「いやまあ……驚いたっちゃ驚いたけどよ。いつの間に通ってたんだ?」


 それは運転免許証だった。18歳になれば免許は取れるから、別におかしな話ではないのだが。車がなければどこにも行けない田舎暮らしでもないのに、高3で取るとはなかなか気が早いな。


「まあ天才の俺にかかれば、10ヶ月もあれば免許取得なんてチョロいもんよ。本試験も1発合格だ。仮免で5回ぐらい落ちたけどな」


 思い切りツッコみたいところだが、余計調子に乗りそうだからスルーした。


「んで、本題はここからだ。お前にとってもいい話だぞ。卒業まで残り約1ヶ月。卒業といえば卒業旅行だ。だが、わざわざ卒業旅行シーズンに合わせて3月に行くのは、頭のいい行いとは言えねえ。まだ2月とはいえ、大分暖かくなってきたしな。だから今月中……いや、今週末に行く計画を練っている」


「なるほどな。メンバーは決まってんのか?」


「うちの車は5人乗りだ。俺とお前の2人は確定として、残り3人。適当にこのクラスの奴らから選定してやってもいいが、ここでお前に1つチャンスをやろう」


「チャンス?」


「そうだ。もしこの卒業旅行にお前が後藤を誘う事が出来たなら、3人の内1人は後藤でいい」


「な、何い!?」


 後藤さんを卒業旅行に……流石にそれは厳しいんじゃないか? クリスマスパーティーに誘うのとはまたハードルが違うぞ。後藤さんは仮にも女子高生だ。同級生の男子と旅行なんて、親が許すとは思えない。


「……な~んて、そんな事を考えてんだろ?」


 乾が俺の思考を読んだ。


「だから、前回と同じ作戦でいくのよ。後藤1人じゃ当然抵抗があるだろうから、熊井ちゃんも誘うんだよ。それに旅行って言っても、日帰りでちょっと遠くまで遊びに行くだけだ」


「わ、分かった。ちなみにどこに行くんだ?」


「遊園地で派手に遊ぶのもいいけど、せっかく車で遠出するんだから、やっぱ人里離れたのどかな所がいいよなあ~。空気が美味い所で食う飯は、より一層格別に美味いぞ。てなわけで、ウータン牧場なんかどうよ?」


「ウータン牧場か……。小さい頃1度行ったきりだな。まあ落ち着いてていいんじゃないか? 遊園地とかテーマパークよりは、そういう所の方が後藤さん好みだろう」


 ウータン牧場は、大自然に囲まれた山の上の牧場だ。国内でもかなり大規模な牧場で、キャンプやバーベキューなども出来る。シープショーや子豚のレース、渓流釣りといったお楽しみ要素もあり、なかなか楽しい所だったのを覚えている。

 既に俺の脳内では、後藤さんとの牧場デートの妄想が始まっていた。雲1つない青空の下、大草原の中で爽やかな風を肌で感じながら、子供のように追いかけっこをする俺と後藤さん。だらしない顔でそれに浸る俺の目を覚まさせるように、乾が俺の顔の前で手を叩いた。


「よし、んじゃ決まりだ」


「残りの1人は誰にするんだ?」


「んー、このクラスの奴らじゃ後藤と熊井ちゃんと面識ねえからな。また雉田でいいだろ」 


「なんだ、てっきり女子を選ぶと思ってた。鶴岡さんとか烏丸さんとか」


「あの2人には既にフラれた」


 ……これまたいつの間に。相変わらず息を吸うように告白して、息を吐くようにフラれる奴だな。しかも全然気にしてる様子がない。この強靱なメンタルだけは本当に見習いたいものだ。


「じゃあ、熊井だけに絞るって事か? パーティーの時のお前への対応見る限り、望み薄そうだぞ」


「まあ初対面だったしな。それに、あの後すぐに鶴岡ちゃん達にも色目使ったのが悪かった。ああいう女の子は、集中攻撃して一気に落とさねえと駄目なんだよ」


「はあ。よく分からんが、まあ協力出来る事あったら言ってくれ」


「そうそう、世の中ギブアンドテイクで成り立ってるからな。友達同士、助け合わなきゃな!」


 乾が言うと途端に胡散臭くなるが、言ってる事は正論だ。俺ばかり協力してもらうわけにもいかない。

 今週末といえば、また結構急な話になってしまう。今日の放課後にでも、早速後藤さんと熊井に声かけてみるか。



 *



 そして放課後。勉強会はもう終わりだから、図書室に行ってもいるかどうかは分からない。携帯で呼び出してもいいが、12組の教室前で待ってれば済む話だ。

 俺と乾は6時限目を終えてすぐに12組へ向かった。12組の連中もちょうど帰り支度を始めている最中で、雉田と後藤さんと熊井の姿もあった。雉田がいち早く俺達の姿に気付き、歩み寄ってくる。


「あれ、2人揃ってどうしたの? 後藤さん待ち?」


「あと熊井と、お前にも用があるから、ちょっと待っててくれ」


 後藤さんと熊井もすぐに俺達に気付いた。熊井は相変わらず眉間に皺を寄せて俺を睨みつけてくる。対照的に、後藤さんは笑顔で出迎えてくれる。


「猿山君、乾君、どうしたんですか?」


「えーっと……ちょっと話があるんだ。実は、今週末に日帰りの卒業旅行を計画しててさ。それでその……3人も来ないかなーと思って」


「卒業旅行?」


 後藤さんが少し驚いた表情を浮かべる。熊井の表情は変わらない。


「あとは俺が説明しよう」


 乾とバトンタッチすると、乾はまず免許取得の自慢話から始め、今回の計画を思い至った経緯、そして日時や場所などの説明に入った。もちろん経緯の説明の中には、俺の後藤さんへの恋心の件や、乾の熊井への下心の件などは入っていない。


「へえ~、面白そうじゃん。是非連れてってほしいなぁ~」


 雉田には概ね好評。これは予想通りとして、問題は後の2人だ。例によって後藤さんは熊井の返答を待つ様子を見せている。


「……じゃああたしも行く。梨央も行くよね?」


「あっ、うん。月乃が行くなら」


 意外にもあっさりした返答だった。緊張して身構えてた俺がアホみたいだ。前回ケーキに釣られたように、今回も牧場に釣られたのだろうか?

 と言っても今回は流石に奢りではなく、入園料やその他かかる金は基本的に各自自腹だ。牧場に行きたいだけなら、わざわざ俺達と行動を共にする必要はない。家族や友達同士で行けばいいのだ。熊井の真意がよく分からない。


「よっしゃ! じゃあ今週土曜日、朝7時に俺んちの前で集合な。ちと早いけど、丸一日目一杯遊ぶには仕方ねえ。猿山と雉田は遅れたら待たずに置いてくからな」


「へいへい」


 何とか話はまとまった。後藤さんや熊井とはそこで別れ、俺と乾と雉田はそのまま駅へ向かい、帰りの電車に乗り込んだ。電車内では、いつものように馬鹿な話に華を咲かす。

 最近は後藤さんの事とか、受験の事で頭がいっぱいであまり気にしていなかったが、こいつらと毎日のようにこうして一緒にいられるのもあと僅かなのだ。もちろん、卒業したからといって俺達の友情が終わるわけではない。だがそれぞれ別の進路を進む以上は、どうしても今までと同じような付き合いは出来ない。

 新たな環境、新たな人間関係。その先で就職や結婚などあれば、以前の人間関係は更に疎遠になっていくのだろう。仕方のない事とはいえ、寂しいものだな。腹が立つ事もあったし、時には喧嘩もした。それでも、この当たり前のような日常はずっと続いてほしかった。

 今度の卒業旅行……後藤さんと親密になる事も大事だが、純粋に皆と思い出を作ろう。熊井からは相変わらず嫌われているし、俺も熊井は未だに苦手だ。恋路の邪魔者という立場も変わらない。だがそれと同時に戦友でもある。だから、せめて今週末だけは乾や雉田のように対等に接しようと思う。

 もしかしたら、熊井も少なからず俺と同じ事を考えているのかもしれない。だから何も言わずに誘いに乗ってくれたのかも。


「んじゃな、また明日」


 乾の最寄り駅に到着し、乾が立ち上がり言った。


「おう、またな」


「また明日ね~」


 電車が再び走り出す。俺の最寄り駅も隣だから、数分後に到着するだろう。


「そういや雉田は、鬼島おにしま大学行くんだっけ? 確か野球強いとこだったよな」


「うん。大学でも野球続けたいからね。レギュラーにはなれなかったけど、やっぱり野球好きだから」


 雉田は俺とは真逆の理由でベンチ要員だった。上手さはあったが、体格に恵まれなかったのだ。せっかくのいい当たりも、投球にパワー負けしてボテボテの内野ゴロになってしまうなどしょっちゅうだったから、スタメンで使うのは無理があった。足は結構速いから、時々代走で使われてはいたが。それでも野球への情熱は俺に負けていなかった。


「猿山君はもう野球やらないの?」


「ん……考え中。門木じゃ満足に野球できる環境じゃなさそうだし」


「そっか。残念だな。1度猿山君と敵同士になって試合したかったよ。まあその前に、試合に出れなきゃしょうがないんだけどね」


 雉田が自嘲気味に笑った。そんな事を言っている間に、電車が駅に着いた。俺はゆっくりと腰を上げる。


「じゃあね、猿山君」


「おう」


 ホームに降り立ち、階段を降りる。その途中、雉田の言葉が脳内で繰り返される。

 野球……か。確かに野球は今でも好きさ。バットを振りたい、グローブをはめてボールを投げたい。そう思う日も少なくはない。でも俺は、それよりもっと大切な物を見つけてしまったんだ。

 野球の事が頭から霧散し、代わりにゴリラの……いや、後藤さんの顔が脳内を埋め尽くした。夢にまで見た、後藤さんとのキャンパスライフ。それはもう現実に手が届くところまで来ているのだから……。

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