第15章 一長一短がある

 サクヤはリーシャを騎馬に同乗させ、道すがら会話しながら騎行していた。長旅も道連れがいれば退屈しないですむ。


「――ということは、つまり、サクヤ様はあの“鬼神隊”の隊長さんで、ワグファイ大公国の援軍なんですか!?」


 リーシャは目を丸くしていた。


「まあ、隊長というわけではないが、そうなっているようだ」


 サクヤは苦笑いしていた。


「そんなぁ、謙遜しなくてもいいですよ。スゴイことなんですから、堂々と自慢してくださいよ」


「あまり実感はないのだが……」


「まったく、強者の余裕ってやつですね。――あ、強者って言えば、サクヤ様は共和国に勝てるって、本気で思っているんですか?」


「ん?」


「共和国の強さは、半端ハンパないんですよ。それこそ世界で一番の強者みたいな」


「そうだな。たしかに共和国は強い。ただ勝ち負けはやり方だと思うぞ」


「どういうことですか?」


「リーシャは、槍と鉄砲では、どちらが強いと思うか?」


「もちろん鉄砲に決まっているじゃないですか。それくらい幼稚園生にだってわかりますよ」


「そうだな。槍よりも鉄砲のほうが強い。だが、こんな戦例もあるらしいぞ」


 サクヤが聞いた話らしいのだが、かつてオダ・ノブナガという武将は最新式の火縄銃を装備した鉄砲隊を組織し、強い火力で敵を圧倒していた。そして、いよいよ名将のウエスギ・ケンシンにまで勝負を挑む。


 ケンシンの軍勢も鉄砲を保有していたが、メインとなる武器は槍だった。槍で鉄砲に戦いを挑んでも勝ち目はないだろう。しかも、ノブナガはケンシンよりも軍勢が多い。


 そこでケンシンは、雨の日を選んで、ノブナガに戦いを挑んだ。雨の日は火縄が湿るので、火縄銃が使いにくくなる。こうなればケンシンの槍部隊の独壇場だ。


 かくしてケンシンは、自軍の弱みを克服し、ノブナガの強みを制して勝利したという。


「まさに一長一短で、どんなに強そうに見えても、必ず弱みがあるものだ」


 槍と火縄銃の話で言うなら、槍は天気に関係なく使えるという強みがあるけど、火縄銃よりも弱い。


 火縄銃は槍よりも強いけど、雨の日には使えないという弱みがある。


 まさに一長一短だ。


「だから、弱みを見つけて攻めれば、どんな強敵にも勝てる。もちろん相手が共和国でも同じだ」


「まあ一応は道理すじはとおっていますね。――ところでサクヤ様は“鬼神隊”の隊長さんですし、どう考えても強そうですが、それでも弱みとかあるんですか?」


「もちろん、あるぞ」


 サクヤは、別に隠そうとはせずにサラリといった。


「何ですか?」


 リーシャは興味津々と言わんばかりに目を輝かせた。


「スタミナがないことだな」


「はい?」


「わたしは見てのとおりヒョロイからな。スタミナがない」


「はあ? そんなのが弱みになるんですか?」


「ならないのか? まあ、人の弱みは、それこそ人それぞれだからな。やはり本人にしかわからないこともあるだろう」


「それはそうですね」


 なんて会話しながら騎行していたら、いよいよ樹海が目の前に迫ってきた。樹海は平地にあるはずだが、まるで緑の山のように見える。巨木や大木が多いからだろうか。


 ◇ ◇ ◇


 サクヤとリーシャは馬に乗ったまま樹海に入った。


 樹海には道がなく、道なき道を行くが、下草が少ないので進みやすい。巨木や大木が多く、鬱蒼うっそうとして太陽の光があまり届かないので、下草も育ちにくいのだろう。


 どの木も根元が苔むしており、そこにかすかな木漏こもれ日が当たり、ほんのりと輝いている様は、神々しい。「妖怪の森」というより、「神の森」といえるのではないか。


 そんなことを思いながら、サクヤは思い出したようにリーシャに教えた。


「古木には精霊が宿って神様になるというから、へたに樹を傷つけないように気をつけろ。呪われるぞ」


「はい」


 リーシャは、おびえたような表情で応えた。


 とにかく樹海は薄気味悪うすきみわるい。鳥の声や動物の鳴き声なども聞こえはするのだが、それでもシーンとして音がないように感じられる。


 足もとの枯れ枝を騎馬が踏み折るたび、その音が木々に反響して聞こえ、うしろからだれかついてきているように感じることもあった。


 リーシャは時おりふりかえって見るが、もちろん誰もいない。


「本当に化け物でも出そうな気がする」


 リーシャは思わずつぶやいた。


「こわいか?」


「へ? ……あ、いえ、こわくないですよ」


 リーシャは笑って見せるが、どことなく引きつっていた。


「わたしたちが余計なことをしない限り、向こうから何かをしてくることはない。だから安心しろ」


 サクヤはほほ笑んだ。


 樹海は半日もしないうちにぬけられるらしい。


「これから半日なら、日が暮れちゃいますよね?」


「暮れるな」


「夜道も進むんですか?」


「それはない。森の夜道は危ないからな。野宿する」


「樹海の中で、ですか?」


「もちろん樹海の中だ」


「なんかイヤですね。馬を走らせれば野宿しないで済みませんか?」


「難しいだろうな。おそらく日暮れまでには出られない。それに馬に無理をさせたら、馬がばてあがり、あとが大変だ」


「まあ、そうれはそうですね……」


 馬で旅するときは、だいたい2時間につき30分の休憩が必要になる。馬に無理をさせたら、動けなくなってしまう。


 樹海を「半分よりも多く」進んだところで、夕暮れ時となった。見上げると木々の枝葉の合間から夕焼け空が見える。しかし、樹海の中はすでに暗い。


 サクヤは「森に迷惑をかけない程度」に焚火をして、携帯食を調理する。しかし、暗い森の中で火を焚くと、光の届かない森の奥が一段と暗く見える。


 その暗闇の中に魔物がいて、こちらを見ているように感じてしまうのは、リーシャだった。寝袋に入って寝ようとしても、恐怖で神経がたかぶり寝付けない。


 隣ではサクヤが平然と雑魚寝ざこねして、すでにスヤスヤと寝息をたてていた。


 そんなサクヤのことが、リーシャはうらやましい。早く眠ってしまえば、意識もなくなるし、怖さだって感じない。それがうまくいかないから、つらい。


 そのときだった。リーシャのほほの上で何かがうごめいた。


「ひつ!」


 リーシャは声にもならないような悲鳴をあげ、バタバタと手で顔をはたいた。おそらく虫だろう。リーシャは虫も苦手だった。


 おかげで、さらに眠れなくなった。寝袋に体を入れた状態で大木を背にして膝を抱えて座り、あたりを見張る。虫の羽音がしたら、必死に手をばたつかせて追い払う。


「あーっ!」


 リーシャは突如として謎のうめき声をあげると、がばっと立ちあがり、すばやく寝袋から出た。手荷物をまさぐって、ナイフを取り出す。


 何をするかと思えば、周囲の木の枝を手当たり次第に切り落としはじめた。10数本ほど切り落としたところで、枝をまとめて焚火の中にくべる。


 生木を燃やせば、煙がもくもくと出る。煙たければ、もちろん虫もよってこない。


「文明の勝利ね」


 リーシャはどや顔でひとちた。


「これでようやく安心して眠れる」


 というわけにはいかなかった。


 虫は寄ってこなくても、煙たくて目から涙は出るし、息はつまってきこむし、これでは眠れない。


 サクヤも煙を吸いこんで激しく咳きこみ、目を覚ました。煙のせいで涙目になる。


「なんだ? これは?」


 驚くサクヤ。


「ちょっと虫よけにと思ったんですが、失敗しちゃいました」


 リーシャは苦笑いした。


 次の瞬間、サクヤの表情が険しくなる。さっと刀を手にとった。


木霊こだまたちを怒らせたようだな」


 え? まさか「手打ち」ってやつですか!? あたし殺される!?


 リーシャは恐怖した。


 が、恐怖する相手をまちがえているということに、すぐ気づかされることになる。


「立て! 逃げるぞ!」


 サクヤが怒鳴る。


 リーシャは意味がわからず、ぐずぐすしていた。


 次の瞬間、四方八方から野獣が飛び出し、リーシャに向かって襲いかかってきた。オオカミもいれば、イノシシもいる。クマもいれば、トラもいる。


 あるものは凶暴に牙をむき出し、あるものは鋭い爪をたて、全身に殺気をまとってリーシャにとびかかろうとする。


 サクヤは即応した。たくみな立ちまわり、鮮やかな太刀さばきで、リーシャをかばうようにして襲いくる野獣たちを次から次に斬り捨てていく。


「早く立てっ! 死にたいのかっ!」


 サクヤは怒鳴るが、リーシャは立ちたくても立てない。


「こここ、腰がぬけて、しまった、みたいで……」


「くっ!」


 サクヤは右手で刀を振りながら、左手だけでリーシャを引きあげ、体をひねりながら上手に背負った。騎馬をチラ見するが、騎馬は目が血走り、興奮して暴れていた。


「使いものにならない、か……」


 サクヤは騎馬を放棄し、リーシャを背負ったままで全力で走りだした。


 このスピードはなに!? 馬よりも早いんじゃない!?


 リーシャが驚くほどサクヤの足は速かった。これだけ速ければ、次から次に襲いかかってくる野獣たちもふりきれるのではないか。でも、


「真っ暗なのに……そんなにむちゃくちゃ走ったら……木にぶつかっちゃいますぅ」


 リーシャの声は震えていた。


「ちゃんと木は見えている。安心しろ」


 サクヤは暗闇の中を勢いよく走っていても、少しもつまずかないし、木にもぶつからない。まるで森を吹き抜ける風のように、さしさわりなく木々の間を駆け抜けていく。


 それにしても野獣たちの襲撃は、とどまるところを知らなかった。右から噛みついてきたかと思えば、左から爪をふりおろしてくる。次から次に現れては、容赦なく襲いかかってくる。


 もっともサクヤの敵ではなかった。「寄らば斬る」の勢いで、野獣たちが襲いかかってくるたびに無言で斬り捨てていく。


 なんなの!? バケモノなの!?


 リーシャがそう思うほど、サクヤの強さは桁外けたはずれだった。


 それにしても襲ってくる野獣たちは無尽蔵むじんぞうなのか。斬っても、斬っても、すぐに新手が現れるのでキリがない。大変だ。


「あたしたち……死んじゃうんですか……」


 涙声のリーシャ。


「心配するな。助かる見込みはある」


 とにかく樹海さえ出れば、この襲撃も終わるはずだ。樹海を出てしまえば、そこは木霊こだまたちの領域外になる。木霊こだまの霊力も及ばない。


 だからサクヤは、とにかく斬り、とにかく走る。リーシャを背負っている状態なので斬りにくいし、走りにくい。だが、生き残るためには、とにかく気合いで乗り切るしかない。


 こうして走り続け、斬り続けているうちに夜も明けてきた。樹海の中もうっすらと明るくなってくる。木立ちの向こうも明るい? 樹海の出口が近いのだろう。


 よかった――。


 リーシャの心も明るくなってきた。サクヤは「ラストスパートをかけるぞ」とつぶやくように言う。その声にハリが感じられないのは、リーシャの気のせいだろう。


 サクヤは最後の力をふりしぼるようにスピードをあげ、樹海から飛び出した。


 朝の太陽がまぶしい。リーシャは目を細めた。その瞬間――。

 

 意外にもサクヤが足元の倒木につまずき、思いきり転倒した。リーシャともども勢いよく転がっていく。スピードが出ていたぶん転がり方も半端はんぱなかった。少なくとも15メートル以上は転がっただろうか。


 リーシャの後日談では「30メートル以上も転がった」そうだ。


「あいたたた……」


 リーシャはフラフラしながら立ち上がる。体のあちこちが打ち身や擦り傷で痛むが、致命傷はないようだ。周囲を確認する。野獣は襲ってこない。


「あたしたち助かりましたっ!」


 リーシャは満面の笑みで興奮しながら、サクヤのほうを見やった。


「!?」


 サクヤは倒れたままで立ちあがろうとしない。息づかいは荒く、苦しそうだ。幸いにして外傷はないようだが、顔は真っ青で、血の気がない。


「あ!? え!?」


 リーシャは戸惑とまどうばかりで、どうすればよいのかわからない。それでも心は冷静だった。


(サクヤ様の弱みはスタミナのなさにあるという話だったけど、こういうこと?)


 なんて分析したり。


 そうこうしているうちにサクヤは意識を失った。


 ◇ ◇ ◇


 ワンパ共和国の首都――カピスドには、石や煉瓦レンガで造られた高層建築が建ち並んでいる。街路や区画はどこも整然としていて、並木もすべて剪定されて形がそろっていた。無機質な印象のする街だ。


 皇国時代の城壁はすべて撤去され、城壁の跡は環状道路となっていた。埋め立てられた堀の跡には路面電車が走っている。


 都市の中央には革命宮殿があった。石造りの壮麗な建物で、かつての皇宮の跡地に建てられている。ここに革命評議会があった。革命評議会は、ワンパ共和国の政治中枢だ。


 革命宮殿の広いテラスでは、白髪の老人が1人、イスに腰かけて書類に目をとおしていた。傍らには高級将校の装いをした青年がきれいな姿勢で立っており、テーブルの上にはれたての緑茶グリーンティーが湯気をほわほわとあげている。


 周辺には数名の執事たちも控えているが、いずれも緊張した面持ちだ。よほど老人のことが怖いのだろうか。でも老人の表情はにこやかだ。少しも怖そうに見えない。


「どんな強者にも弱みがある」


 老人はうれしそうに言った。


「弱みをつけば、どんな強敵もこわくないとは、おまえの言葉だったか?」


「いえ。兵法へいほうの教えです」


 青年将校は自信に満ちた表情で応えた。


「そうか。ふふ。おまえも勉強家だな。で、鬼神隊長の弱みもわかった今、次はどうする?」


「はい。まずは西方諸国の目の前で無様な敗戦を演じさせます。西方諸国の希望とも言える鬼神隊長があえなく敗北したとなれば、西方諸国の反抗心もすぼんでしまうことでしょう」


「なるほど。心理戦でいくわけか?」


「正確には、武力戦と心理戦の併用となります。必要な兵力につきましては報告書レポートに記してあります。ご裁可いただけますでしょうか?」


「もちろんだ。おまえのやりたいようにせよ」


 老人は書類にサインすると、「ほれ」と言わんばかりに片手で差し出した。


 青年将校は老人の前にひざまずき、恭しく両手で書類を受け取った。そして、立ち上がり敬礼すると、回れ右してツカツカと退出していく。


 その後ろ姿には自信があふれていた。


 ◇ ◇ ◇


『闘戦経』第15章


〇原文・書き下し文


 |魚(うお)に|鰭(ひれ)あり。|蟹(かに)に|足(あし)あり。|倶(とも)に|洋(よう)に|在(あ)り。|曾(すなわ)ち|鰭(ひれ)を|以(も)って|得(え)たりと|為(な)さんか。|足(あし)を|以(も)って|得(え)たりと|為(な)さんか。


〇現代語訳


 魚はヒレがある。カニは足がある。どちらも海のなかにいる。

 はてさてヒレのほうがすぐれているだろうか。それとも足のほうがすぐれているだろうか。

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