俺があるって言ってやる

第22話 三叉路の街リャスミー 湯けむりクリーンヒット

 三叉路の街リャスミーは、カンドゥア国土の東端に位置している。

 カンドゥア首都とブエルナンを東西につなぐ街道と、北東の山々の間を縫うようなコーヤへの道が交わることがその異名の由来である。

 多くの旅人がこの街に足をとどめるのは、地理的な条件もさることながら、もう一つ、理由がある。それが……


「温泉だ!」

 もうもうと立ち込める湯気の中。浴槽に満たされた湯を目にしたロビンは、思わず声をあげた。

「ずーっと、楽しみにしてたんだよね。リャスミーの温泉は有名だけど、首都より東に行ったことはなかったから」

 上機嫌に歩を進める。すっかり服を脱ぎ去った体は湯気に紛れてしまいそうなほど白い。成長途上の若々しいエネルギーが詰まっていた。ところどころ、機械油で汚れてはいるが。


「こんなに、広いんですね」

 ロビンの背後から、のんびりした調子の声。故あって、ロビンと共に旅をしている司書、キャンディスだ。

「それぞれのホテルが専用の浴場を持っている、とは聞いていましたが、こんなに広いとは思いませんでした」

 もっと小ぢんまりした浴場だと思っていたのだ。何せ、大量の湯を沸かすのは大変なことだ。ましてや、人肌に心地よい温度に保つなんて。全身を湯につけるなんて、王族ならともかく、庶民がおいそれと味わえる贅沢ではない。


「早く来なよ……って、どうしたの?」

 せっかちなロビンに対して、キャンディスはのんびりした性格だ。数日の旅の間にそれくらいはわかっていたが、それにしても、湯気の中では目立つ艶っぽい褐色の体は、手探りするように身をかがめながら、ゆっくりした調子で歩いている。

「め、眼鏡が曇って……」

「外したほうがいいって言ったのに、もう」

 やれやれ、とばかりに、少女がその手を引いてやる。

「は、外すとよく見えなくて……ありがとうございます」

「どっちにしろよく見えないんじゃないか」


 あきれたように言いながらも、思わずロビンの視線はキャンディスの肢体に向けられる。

 黒檀のように艶のある肌は、間近で見ればますますきめ細やかで、上質なチョコレートを連想させる。

 丸みを帯びた女性的な体つき。ロビンはと言えば、男に何度も間違われてきた。それは多分に体格のわかりにくい作業着を着こんでいるせいでもあるけど、彼女のようだったら、それでも男に見えるなんてことはないだろう。

 うらやましいような気もするが、機械いじりには、自分の細い体つきが向いている気もする。ロビンは技師なのだ。


 そんな考えを首を振って振り払う。今は目の前の湯船のほうがよほど大事だ。

「うーっ、早く飛び込みたい」

「ダメですよ、きちんと体を洗ってから入るのが、この場所のルールです」

「わかってるって。ほんと、決まりごとが好きだね」

「好き嫌いで言ってるんじゃありませんってば!」

 二人の声が、浴場に高く響いていた。



 ■



 そんな彼女らの声を、ついたて一つ挟んで聞いている者がいた。

 剣士にして巨人機ギガスギアの乗り手、ソールである。

「すぐ隣が女湯になってるのか……」

 湯船に体を着けながら、ぽつり。さっさと体を洗い流し、湯につかったところで、どうやら浴槽はつながっているらしい、と気づいた。

 男湯と女湯を隔てているのは、補強された衝立があるくらいだ。声を遮るものは何もない。

 思わず、彼女らが湯気の中でどんな姿になっているかを連想しそうになって、慌てて首を振る。


「……にしても、こんなに、すごいな」

 温泉というものを目にして驚いているのは、ソールも同じだった。

 地下からの熱によって温められた水が湧く、というのは不思議に思えたが、リャスミーの人々にとってはごく自然なことらしい。

 カンドゥア首都で目にした王族の浴場も広かったが、ここではそれ以上の湯が常に満たされている。

 首都での一件で、彼らはいくらかの謝礼を、国王オーランドから受け取っていた。路銀としては十分すぎる額である。こうして、温泉付きのホテルに泊まっていられるのもそのおかげである。

 独特の香りと、いくらかの粘り気がある湯は、ソールの均整の取れた筋肉に覆われた体に染み入るようだ。


「自分で思ってるより、疲れてるのかもな……っ」

 体をほぐすようにひねってみる。温められた体の緊張が解けていくようで心地よい。

 ロビンに出会う前からの旅路を考えれば、かなりの距離を歩いている。

 各地で封印された竜を解放している竜騎士ゾランを追っての旅に休まる暇はめったにない。時にはこうして、自分の体をいたわるべきかもしれない……。


 と、考えていた時だ。

 物音が聞こえた。

 休んでいるつもりでも、自然と注意はまわりに向けられていたのか。別の宿泊客が温泉にやってきた……というのとは、どこか違った気配を感じた。

 到着したのが遅くなったため、ほかの客は眠っている時間だ。それだけではない、服を脱ぐわけでもなく、何かを探っている様子だ。

 何より、客なら堂々としていればいいものを、妙にコソコソと身を隠している様子だ。


 すぐに体が動いていた。湯の中から体を起こすと同時、身を低くしながら脱衣所に駆け寄る。こちらが息を殺す必要はない。すぐさま、脱衣所の戸を開いた。

「……っ!」

 薄暗い部屋の中に、男がひとり。半端に伸ばした髪と、大きな鷲鼻が目立つ若者だ。

 ちょうど、男はソールの脱いだ服の中から何かを拾い上げたところだった。

 妙に幅広の鞘に収まった剣。その柄には、紅玉の機石が収められている。巨人機・灼熱剣士バーンソードマンが姿を変えたものである。


「それは俺以外が持ってても価値がない。その場に戻して、立ち去るんだ」

「ふざけろ!」

 丸腰、どころか丸裸のソール相手になら勝てると見たのか。男が剣を抱えたまま突っ込んでくる。

「頭を打たないでくれよ……!」

 剣士としての技量は伊達ではない。ソールは軽く身をかわし、ついでに片足を突進に合わせてひっかける。

 見事、男は大きく体勢を崩し、浴場の床に派手に転がる。さいわい、頭を打ちこそしなかったが、痛みに大きくうめいていた。


「おとなしくしてくれ。剣を返してくれれば痛めつける気はない」

「く、くそ……っ!」

 近づこうとするソールに、男は飛び跳ねて身を起こした。今度は背を向け、衝立を押し倒して乗り越えようと飛びついた。

「きゃっ……!?」

「な、何っ!?」

 ようやく体を流し終えたところだろう。湯船の中で、ロビンとキャンディスが悲鳴を上げる。


「俺の剣を持ってる!」

「……キャンディス!」

 ソールの声でおおよその事情を察したのか。ロビンが鋭く叫ぶ。

「ど、どっちですか!?」

 曇った眼鏡のキャンディスの反応は、ロビンに比べれば鈍いものだ。それでも、そばに置いてあったワンドを構える。

「こっちだってば、もう!」

 女湯側の脱衣所に逃げようとする男のほうへ、キャンディスの腕をつかんで向けさせる。


「は、はい。スター、お願い!」

 杖に埋め込まれた機石が青い光を放つ。その輝きは収束し、鎖のように連なっていく。

「なにっ……? こんなこと、聞いてない……」

 目の前で行われる魔法に、男が驚きの声をあげる。直後には、伸びた鎖が男の足に絡みついていた。

「うがっ!」

 鈍い音。転んだ男が、今度は不幸にも頭を打ったらしい。


「い、痛そう……」

 その音だけで痛みが伝わってくるかのように、キャンディスは目を背けていた。

「まさか、巨人機を盗もうとするなんてな……二人とも、平気か?」

 男の手から剣を拾い上げ、ソールが振り返り……

 振り返ってから、そんな場合出なかったことに思い至った。


「へ、平気ですけど……」

 浴槽の中にいるキャンディスの体を隠すものは何もない……いや、正確には、目だけは曇った眼鏡で隠れているのだが、それ以外、女性らしい裸体はソールの眼前にさらされていた。

 それはロビンも、そしてソール自身も同じことだった。

「どさくさに紛れて、何見てんだよっ!」

 片手で何とか体を隠しながら、ロビンが手近な桶をつかみ、思いっきり振りかぶる。


「い、いや、見るつもりは……!」

 慌てて視線を逸らそうとするが、もう遅い。

「言い訳するなーっ!」

 木製の桶が頭にぶつかるやたらに景気のいい音が、浴場に響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る