第21話 古書

 竜の叫びで恐慌に陥った人々が平静を取り戻すには、まる一日の時を要した。

 群竜を倒し、竜騎士を取り逃してから、2日後。

 ロビンとソールは、ようやく、正式な許可を得て禁書架を訪れていた。

 扉が再び据え付けられるまで、衛兵たちが寝ずの番に立ち、さらに彼らが立ち入らないように司書が見張らなければならないらしい。


「こほん。……それでは、どうぞ」

 立会人として名乗り出たキャンディスが、書架を示す。

 入り口こそ痛々しい有様だったが、整然と並べられた書架には傷一つついていない。

「何冊か、竜にまつわる本……いえ、彼の言うことを信じるなら、が、奪われました」

 目録なのだろう。分厚い紙束をめくりながら、司書がつぶやく。

「しかし、それ以外、何かを傷つけたり、奪ったりはしなかったようです。正直言って、あのゾランと名乗った方が何を考えているのか……」


「あまり、考えないほうがいい」

 言葉をさえぎって、ソールは首を振った。

「奴の思考に引きずられてしまう。きっと、そうして混乱させることが目的なんだ」

 ロビンはその会話を背に聞きながら、いくつもの書に手をかけ、開いては眺めていた。

 すでに失われた数々の技術。地図から消えた都市。歴史に記されなかった英雄。数々の『禁断の知識』が、そこには並べられていた。


 巨人機についての書もその一角を占めている。一日中、彼女はそこにこもって書を読み漁った。その間、キャンディスは付きっ切りでロビンの質問に答えてくれた。

 ソールは……彼なりに知りたいことがあったのか。いくつかの書に目を通していたようだ。それが何についてなのか、ロビンはあえて聞かなかった。そんな余裕はなかった、というほうが正しい。


 付け焼刃で数々の知識を頭に詰め込んだのち、日が暮れてから、ロビンは一冊の本を手に取った。

「あっ、それは……」

 キャンディスが、困ったようにまなじりを下げる。その理由は、ページを繰ってすぐに分かった。

「これって、どこの言葉?」

 中に記されていたのは、おおよそロビンの知る文字ではなかった。文字それぞれだけでなく、その配置も複雑に代わり、ページごとにまったく別の文字によって書かれているようにすら見えた。

「書の年代から推測すると、おそらく……天上人が使っていた言葉です」


「それじゃ、千年以上昔の本ってこと?」

 手の中の重みが、急に数倍になったように感じられる。ロビンはそっと机の上に本を置いた。

「誰も、その文字を読めるものがいないんです」

「でも、これ……何かに似てる気がする」

 腕を組み、じっと本を見つめる。

「言われてみれば、どこかで見たような……」

 文字のそれぞれの意味は分からないが、ページ全体に描かれた模様は……


「魔術回路!」

 二人の声が重なった。

「そうか、きっと、巨人機が最初に作られたころの本ってことだ」

「ページそれぞれではなく、書が全体で何かの意味を表しているのかも。でも、解読は……」

「俺たちが探す」

 不意に、ソールが声をあげた。


「俺たちはまだ旅を続ける。その途中で、解読できる人か、あるいは解読する方法を探すよ」

「うん。オレ、この本に、何か……すごく、大事なことが書いてある気がする。あいつを……ゾランを止めるために、必要な何かが」

 じ、っと意味不明の文字列を見つめながらつぶやくロビンのキャップを、男の手がぽんと叩いた。

「あいてっ。なにすんだよ!」

「思いつめるなよ」

「思いつめてなんか!」


「君がいなきゃ、あいつは竜を使って、街ごと図書館を攻めてた」

「大図書館です」

 ロビンの頭にのせられたままの手をどかしながら、キャンディスがおだやかに訂正。

「確かに、竜騎士を追っていれば、何かこの書に関わるものを見つけることがあるかもしれません」

「じゃあさ、できればその本、オレたちに貸してもらうってわけには……」

 指を立てて提案するロビンに、司書はゆっくり首を振る。


「禁書架の蔵書は、貸出できない決まりです」

「また、決まり?」

 冗談めかして鼻を鳴らすロビン。

「そうです。決まりでは、こうなっています……」

 それに対して、キャンディスは自分の唇に指をあてて笑みを浮かべた。

「禁書架の蔵書を持ちだせるのは、司書だけです」



 ■



 再び、新しい日が昇った。

 ソールとロビンは、彼らが守り抜いた城門の前に立っていた。朝いちばんの開門の時を待っているのだ。

「ソール様」

「ロビン様」

 城門の前に立つ、鏡写しのようにそっくりな二人の美女。アリーナとマリーナが、黄色と空色のドレスの裾を持ち上げた。


「国王ローランド四世に代わり、お礼を申し上げます」

「この国の全ての市民を代表して、感謝をささげます」

 二人が、深々と頭を下げる。王族らしい、堂々としたふるまいだ。

「いや、君たちが一緒に戦ってくれたおかげだよ」

 剣士が笑みと共に答えると、王女たちは視線を合わせ、小さく微笑んだ。


「ソール様、またいつか、この街にいらしてください」

「その時は、今度こそお背中をお流しいたしますから」

「い、いやっ。……それには及ばない。本当に恐れ多いよ」

 ぎくりと身を逸らすソールに、ロビンがオレンジの瞳を半眼に細めた。

「何の話?」

「あ、あんまり追及しないでくれ」

 目をそらすソール。アリーナとマリーナが、くすりと笑みを浮かべた。


「お、遅くなりましたっ!」

 そこへ、新たな影が駆け寄ってくる。紫のケープを身にまとったキャンディスが、まずは王女たちに、そしてソールとロビンに礼を送る。

「キャンディス、旅先でも気を付けてください」

 アリーナが片手を掲げる。

「陛下より賜った巨人機に恥じぬようにいたします」

「お二人の旅を遅らせないようにしてください」

 マリーナが逆の手を掲げた。

「旅には慣れていませんが、善処いたします」


 彼女の回答に、双子の王女は満足したらしい。声を合わせて、門番への命令を下した。

「開門!」

 城門が開かれていく。門をくぐる前に、ロビンは後ろに視線を向ける。これまでの毎日と変わらず朝を迎えた人々の姿がそこにあった。


「空を飛ぶ竜の目撃情報は、東へ向かっているようです」

 妙にうきうきした様子で、キャンディスが言う。久しぶりにゆっくり眠ることができたらしい。褐色の肌は艶を取り戻していた。

「コーヤ方面? それとも、ブエルナン?」

「街道の分かれ道までには、もっと詳しい方向がわかるさ」

 ソールの言葉に、ふたりが頷く。

 登ったばかりの朝日に向かって、ばらばらの靴音がともに歩き始めた。

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