第52話 遺伝

 僕の父は、いくぶん病的な潔癖症である。

 家の中にひとつでもゴミが落ちていようものなら、たとへ夜中だろうが掃除機の音を立て始める。

 そんなことならまだよい方だ。

 玄関に並べられた靴は、皆寸分の狂いもなく5cm間隔を保ち、その順番も右から父、母、そして僕の順番と決められている。もちろん、この暗黙のルールが守られなければ大変な騒ぎである。


 それだけではない。家中のそれぞれの物が、壁や柱に対して、垂直または平行になるようにと置かれているのだ。それはテーブルやソファ、テレビのリモコンからティッシュケースに至るまで、目に付く全てのものといっても過言ではない。


 この間も、僕が読んだ本をテーブルの上に置きっぱなしにいていたときの事だ。

 「誰だ、テーブルの上に本を出したままのなのは?・・・」

 そう言いながらも、父はその本を片付けるわけでも無く、テーブルの角に合わせる様にと置き直した。


 そんな父の日課は、トイレにある日めくりカレンダーを毎朝必ず一枚切り取ることである。いかにもルーチンを好む、父ならではの所作であろう。

 「今日は14日の友引、『親しき中にも礼儀あり』とは、昔の人はやはり良いことを言うなあ・・・」

 最後はカレンダーにと書いてある、偉人たちの格言を読みながら洗面所で手を洗うのである。


 またそうかと思えば、食後のコーヒーを楽しむのも、食器類をすべて洗った後でなければけっして口にしないといったことも常だ。

 はたから見れば気の利くお父さんのように見えるかもしれないが、つまりは、すべてが自分の価値判断に従ってなければ気が済まないという性格の持ち主なのである。


 そんなことだから、父と親しくする友人が僕の家を訪ねてくることなど皆無といってよい。そもそも父には、友人と呼べる人など一人もいないのかもしれない。

 有体に言うならば、人付き合いがへたくそな『変人』といえるのかもしれないのである。



 ところが、僕の母はそんな父とは正反対な性格の持ち主で、よく言えば何事に対してもおおらか、ひと言で言ってしまえば、実にルーズな性格であるともいえるのだ。


 それでもそれは、物に対する物理的な部分が大半を占めている。つまり母には、物を片付けるという概念が無いといってもよいほどなのである。

 自分で読んだ本ぐらいはご愛敬で、取り込んだ洗濯物も出しっぱなしだし、夕食を作った後のまな板やフライパンまでもがそのままになっているといった具合である。

 そんなものだから、テレビのリモコンなんてどこへ行ったか分からなくなるのは日常茶飯事で、しまいには歯を磨いた後の自分の歯ブラシまでもが行方不明という始末である。


 そんな母のいい加減さは時間の概念にも及んでいる。要するに、時間にもルーズだということだ。

 つい先日も、僕は母と待ち合わせた喫茶店で、二時間も待たされたばかりである。そのうえ、遅れてきた母は僕にこう言ってのけた。

 「本当にお母さん3時なんて言った? あなたが間違えたんじゃない・・・」


 一事が万事こんな感じだが、人当たりだけは良いようで、いつも母の周りは大勢のママ友の笑顔であふれている。

 まあ、周りから見れば、おおらかなお母さんと映るのであろう。でも実際のところ、一緒に何かをやろうとすると、かなりストレスがまることは間違いがない。

 つまりは、すべて自分時間の中でしか物事を進めることができないという性格なのである。

 

 そんな二人の子供でもある僕は、残念ながら明らかに母のを受け継いだと言えよう。

 もちろん自分では、意識しているわけではない。ただ友人からの評価は、どう考えても母のコピーであるとしか思えない。

 そのせいか、高校でも忘れ物や遅刻など、クラスの中では断トツである。


 「まったく誰に似たんでしょうねえ?・・・」

 母の愚痴を聞くたびに、僕は心の中で『遺伝なんだから・・・』とひとり舌打ちをする。

 少しぐらい父の几帳面な性格を受け継いでもよさそうなものなのに、きまって外にと現れるのは母似のルーズさだけのようだ。



 この間もそうだった。久しぶりに三人で旅行へ行くこととなった時のことである。

 いち早く準備を終えた父は、車を玄関前に横付けすると、ヤキモキしながら家の中の様子を伺っている。

 一方の母は、未だ鏡に向かって化粧の真っ最中である。

 それでも急かす父のクラクションに、早々と切り上げると、今度はバッグの中を覗き込む。

 

 「あら? 家の鍵は何処かしらね・・・」

 と、こちらもまだまだ時間が掛かりそうである。


 僕はそんな母を尻目に、ようやくソファから立ち上がった。つまりは今まで、寝転がってゲームをやっていたわけである。


 「何やってるの? お父さんに怒られるわよ。早く車に乗って・・・」

 「は――――い」

 (しょうがないだろう、この性格だけは。なにせ、母の遺伝をそっくり受け継いだのだから・・・)


 僕は渋々玄関へと向かう。

 (そうだ、出かけ際にトイレでも行っておくか・・・)


 「あら、ガスの元栓は止めたかしら・・・」

 一度靴を履いた母は、もう一度部屋の中へと引き返す。


 外では、父のクラクションによる催促が続いている。

 (まったく、せわしないなあ・・・)

 ゆっくり用を足す僕の眼に、ふとそれが止まった。

 

 (なんだ父さん、今朝は切り取ってないじゃないか・・・)


 「何だか、日にちがずれているだけで気持ちが悪いなあ~」

 そう言いながら、僕はのそれを、一枚だけ丁寧に切り取った・・・ 


 

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