第11話 手紙

 母さんが死んだ。

 89歳という年齢を考えると、それは大往生といっても良い。葬儀は二人の姉と共に滞り無く済ませることができた。


 火葬場の煙突から白い煙が力無く登って行くのが見える。

 その風景の中には、先週まで咲き誇っていた桜の花に代わって、その枝の付け根からは新しい若芽が一斉に陽射しを浴びている姿がある。


 俺は母さんが焼かれている間も、涙ひとつ流れることは無かった。というのも、80歳を過ぎた頃から母さんは痴呆症を患っていた。時には俺の名前さえも忘れることがあったほどだ。

 俺達三姉弟は、そんな母さんを代わるがわるに看病してきた。

 母さんが残したものは、小さな家と保険の払い戻し金が少々。ゆえに二人の姉とも遺産相続で争うことも無い。

 そう言う意味でも、ごく静かな人生の旅立ちでもあった。


 一週間後、郵便配達員が俺の家を尋ねてきた。

 「吉岡一馬さん? 宛先不詳の郵便が届いていましたので・・・」

 見ると表書きには大きく俺の名前だけが書かれている。末っ子で生まれた俺に母さんが付けた名前である。

 その文字は右肩が極端に下がっていて、お世辞にも上手とは言えない。 

 何度も郵便局へと差し戻ったのであろうか、切手の横には幾つもの不届け印が押されている。

 (それにしても、住所も無いのによく届いたものだな・・・) 

 そう思いながら封筒の裏を返す。

 

 「母さん?」

 そこには弱々しい文字で『母より』と記されている。

 一瞬躊躇いながらも、俺はその封を開いた。

 そこには一枚の便せんが・・・


 『これから寒くなります。あなたはおなかが弱い子です、腹巻きをしなさい。』


 その手紙と共に、中には一万円札が入っていた。

 「母さん」

 

 手紙の日付は4月の17日、母さんが亡くなった二日前のことである。


 「母さん・・・」


 もう十分に暖かな陽射しがそそぐ中、俺はもう一度その手紙を握りしめた・・・

 

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