第41話 値札のない骨董店
私が愛知県は常滑に行ったときのことである。陶磁器会館の裏に、間口が二間ほどの小さな骨董店を見つけた。
店の入り口には小さな看板がひとつ。骨董店と言うにはその店は余りにも狭く、また品々が雑然と並んでいる。
まあそれでも、流石陶器の街と言うだけのことはあるようだ。私は入り口近くにあった太めの湯飲みを手にした。
色は朱色。
ただ艶やかな釉薬が掛けられたものとは異なり、無釉で焼き締められている。いわゆる朱泥というものである。おそらくは江戸時代末期あたりに製造されたものに違いない。
もともと鉄分を多く含む土を用いる常滑焼きならではの色と言っても良いであろう。
私はその色もさることながら、たっぷりとふくよかなそのフォルムに一目惚れした。
「ご主人、こちらはいかほどになりますか?」
店の奥に、骨董品のひとつとして存在しそうな店の主人に問いかける。
主人は老眼鏡を面倒くさそうにかけ直すと、こちらへゆっくりと近づいて来る。
「手持ちのお金で何とかなるのであれば、どうかお譲りいただきたいのですが・・・」
「あなたはいくらだと思いますかな?」
私の言葉を遮るように、店の主人はそう切り返してきた。
「いくらかといわれましても?・・・」
湯飲みの高台を裏返してそこを覗くが、値札など何処にも付いてはいない。勿論それがおいてあった棚も同様である。
「あなたなら、その湯飲みにいくらの値段をお付けになられますかな?」
再び私に値段の催促をする。
(鎌を掛けているのか? それとも吹っ掛けようとしているのか?・・・)
主人はなおも笑みを浮かべている。
(ようし、それならば思い切って値切ってみることにしてやろうか。どうせ店の入り口にある品物なんだから、そんな高価なはずもあるまい・・・)
私は幾分余裕のある表情を取り繕うと、主人にこう言い放った。
「100円ぐらいですかね・・・」
「ほう、100円?」
その主人の驚いた表情に、私はいくらかの後悔を感じた。
(いくら値切りの交渉をするにも、常識ってものがあるだろう。完全にこちらが素人だということを見透かされてしまったな)
私は『今のは冗談ですよ』というような笑顔を送ると、再びその湯飲みを手の中で一回りさせた。
「いや、3000円位の値打ちはありそうですね」
「ほう、また一段と値が吊り上がりましたな」
もう店の主人の顔に笑みはない。
(何っ! そんな安物じゃないってことか。汚らしい骨董店だと思って入ってみたが、実は隠れた名店だったのかも知れないな・・・)
私は拝むようにと、その湯飲みを眺め回す。
「申し訳ありません。よ〜く見ればなかなか逸品。5万円出しても安いぐらいの物ですか・・・」
「なるほど。では、こちらへ」
主人はその湯飲みを引き取ろうと手を差し出す。
こうなると私は反射的に、それを自分の懐へと包み込むようにしまった。
(どういうことなんだ? 5万円でも話にならないということなのか?・・・)
「こちらへ・・・」
もう一度主人が、その細い腕を伸ばしてくる。
「わ、分かりましたご主人。70万円で何とか売っていただけないでしょうか?」
(どうだ! この金額ならば文句はないだろう・・・)
「70万円? お客さんこの店の商品を全部買おうって気ですかな?・・・」
「えっ?」
「そちらの湯飲みは、ひとつ300円ですよ。さっ、包みますから早くこちらへ・・・」
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