第32話 機内食

 機が離陸して、一時間ほどが過ぎたころであろうか、お待ちかねの機内食の時間となった。

 普段なら、別に機内食を待ちかねるほどのことでも無いのだが、今回は、初めてのビジネスクラス。もちろん、海外勤務をかねてのフライトという事なのだ。

 私は、いささか緊張した面持ちで、食前酒の注文を取りに来るのを待っていた。


 「お飲み物は何になさいますか?」

 とても若く、見た目にも利発そうなCA(キャビンアテンダント)だ。

 私はななめ前に座っている、品の良さそうな中年男が、そう答えたのをまねして、シャンパンを頼むことにした。


 「かしこまりました」

 彼女は、グラスに冷えたシャンパンを半分ほど注ぐと、それを私の前へと差し出す。


 「素敵なフライトでありますように・・・」

 言葉の一つ一つに無駄が無い。まさに、極上のサービスというやつだろう。

 私はグラスに口をつけると、一気に中の液体を、のどの奥へと注ぎ込んだ。

 なんというのど越しだろう。品の良いアルコールが、無数にある毛細血管を伝わって、体内へと吸収されるのがわかるようだ。ほのかに酸味を帯びた炭酸ガスの泡が、のど元から鼻孔へと抜けて行く。

 至福の時間のプロローグには、これほどのものはない。


 続いて、オードブルが運ばれてきた。本日のオードブルはオマール海老のテリーヌだ。

 食事は食前酒から始まり、オードブル・サラダ・スープ・メイン、そしてデザートのフルコースである。

 もちろん、味の方は折り紙つきの評判だが、それにも増してエコノミー席とは違い、なにしろ座席周りの空間が広いのだ。まさにちょっとした二ツ星レストラン並みのサービスという感じのようだ。


 私は、早速その味を堪能しようと、お皿にナイフを落とした。と、その傍らに、何やらうずくまっている変なものに目に留まった。

 大きさは二十センチぐらい。うずくまっているというのも、その物体が、ちょうど人間がひざを抱えて座っているように見えたからだ。

 私は恐る恐る、ホークの先でそのうずくまる物体を触ってみる。

 その物体は、ちょうど身体の半分ぐらいのところから大きな頭を持ち上げると、頼りなさそうな目でこちらを見てきた。

 それは大きさこそ違い、どう見ても頭の大きな人間そのものの形をしている。


 「お食事中のところを、どうもすみません」

 口は見当たらないのだが、私の頭の中には、ハッキリとした声が聞こえる。多分、テレパシーというやつなのだろう。

 「私達はR星から来たものです。宇宙船で飛行中、あなた達の宇宙船に吸い込まれてしまいました」

 「・・・・・」

 そう言われても、突然のことで声が出ない。


 「あのう、ですから・・・」

 「す、すると君は宇宙人というわけですか?」

 「そう言うことになりますね」

 なるほど、いま目の前にいる物体が、他の惑星からやって来たもので、どうやら飛行機のエンジンダクトから吸い込まれてしまったらしいのだ。

 見た感じ、人間に対して敵意を持っているという風でもない。それに、その愛くるしい顔と小さな体は、この男の警戒心をとくのには十分であった。


 「ところで・・・ 君はエンジンから吸い込まれたのに、どうしてバラバラにならなかったんだい?」

 「それは簡単なことです。私達の身体は、実態があって、ないようなものなのです」

 「うーん、もっとわかるように話してくれないか」


 「つまり、私達は身体を作っている分子を、自由に分裂させたり結合したりして、他のものと同化することができるのです。そのためには、かなりのエネルギーが必要となりますが、そのエネルギーは・・・」

 「うん、わかったわかった。それ以上しゃべられると、益々わらなくなる」


 この男にとって、この手の話しは苦手であった。男は話しの質問を他に変える。

 「君はさっき『私達』と言ったよね。という事は、他にも仲間がいるのかい?」

 小さな宇宙人は、小さな眼をさらに小さくすると、あたりをゆっくりと見回す。男もそれにつられるように首を左右に傾ける。


 すると、どうだろう。どこの席にも、みなこの小さな宇宙人と同じ物体が、いや宇宙人がちょこんとオードブル皿の脇にしゃがんでいるではないか。

 そして、乗客の誰もが、微笑みながらその宇宙人達と話しをしているのである。いや、正確に言えうならば、口のない宇宙人とは会話ではなく、頭の中で交信していることになるのだが。


 男は質問を続ける。

 「ところで君、お腹はすいてないかい?」

 こんな食事の時に現れるのだから、最もな質問だ。


 宇宙人は申し訳なさそうにうつむくと、こう、交信してきた。

 「いただいても、いいんですか?」

 「少しは機内食のストックがあるだろう。私がCAに掛け合ってやろう」

 男は手を上げて、近くのCAを呼ぼうとした。


 すると、どこの席からか、この愛くるしい宇宙人達に食事をあげてはどうかという、乗客の声が聞こえてきた。

 きっと、テレパシーで、どの乗客も同じことを聞いていたのであろう。

 「機内食が足らないのなら、自分達のを少しずつ分けてやってもいい」

 「もともと、この飛行機が彼らの宇宙船を吸い込んでしまったのが原因なのだから、彼らにも機内食を・・・」

 声は次から次へとあがった。


 こうなっては航空会社としても、彼らの機内食を用意しないわけにはいかない。早速CA達が、小さなトレイに乗った小さな機内食を用意し始めた。


 「本当に、私達も食べていいんですね?」

 どこの席にいる宇宙人達も、みんな涙を流さんばかりにお礼を言うと、

 「それでは・・・」

 と、言い残し、座席シートの中へと溶け込むようにと消えて行ってしまった。

 これには乗客も、もちろん機内食を用意したCA達も、あっけに取られるより少しがっかりしてしまった。


 「今のは、いったい何だったんでしょうねえ?・・・」

 「それにしても、愛くるしい宇宙人でしたな」

 「まったく・・・」

 「まあ、そんなことより食事の途中だろ、さあ、私たちにも次の料理を持ってきてくれないか」

 機内では、まるで何事もなかったかのように、また夕食が始まった。



 それから数分後、機内のあちらこちらでは、何やら金属やプラスティックがカリカリと削られるような音が聞こえ始めた・・・

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