7−2「デートは楽しかった?」

 気をつけてね。


 別れ際に見せたクロの不安げな表情が、エリスの封印している襲われた時の光景を呼び起こす。初めの頃は気分が悪くなることもあったが、今はそうでもない。しかし冷たい感触を得て、エリスはいつの間にか背中に忍ばせてある拳銃に手が伸びていたことに気づいた。丁度前から歩いてきた男がエリスの不審な動きに注意しながら、怪訝そうに横を過ぎ去っていく。男が見ているとわかった時には拳銃のグリップを握り、セーフティを滑らせていた。


 無関係の人間であっても、危害を加えてくるかもしれない。運が良いのか悪いのか、そのことを知らなかったエリスは拳銃の携帯を拒否していたが、一度味わった劇的な体験はいとも容易く人の倫理を捻じ曲げる。エリスが西の大征伐を生き延びてから1年と少し、もう拳銃を持つことに違和感はなかった。


 人肌とは相容れぬ冷たさを備えた武器は、同じく人殺しのために作られた跳甲機に通じるものがある。もうすぐそれにも乗らなくてはならない。そういえば、クロもエリスが駆人になるのをまるで自分のことのように喜んでくれた。


 だけど、跳甲機だけはどうにもダメだ。


 

 エリスはデレクタブルで次女として生まれ、能動的で責任感のある父と優しい母に愛されて何不自由なく育った。10歳から下の学校を6年掛けて卒業し、漠然とした夢を抱えながら父の勧めで次の学校に進んだ。このままの流れで就職して結婚、姉と同じようにずっとこの町で生きていくものと思っていた。しかし、そんな平穏はあっさりと終わってしまう。


 ある日の午後、エリスは聞きなれぬ避難勧告を受けて、母と二人で公共のシェルターに逃げ込んだ。町中でパニックを起こした群衆を見ていただけに、シェルターにいた人々の落ち着き様を見て安心したのを覚えている。母に体を包まれて、時折遠く聞こえる轟音に怯えながら、この状況が終わるのをただひたすらに待った。


 どれだけ時間が経った頃だろうか、今までにない大きな音にびくりとして頭を上げた。天井の一部が崩れた刹那、その下にいた数人が形状を変えて周りの人々をひどく汚した。続いて聞こえる大絶叫に耳がおかしくなりそうだった。それと同じくして、皆が目の色を変えてシェルターの出入り口に走り出していた。呆然とするエリスも母の手に引かれて外に連れ出された。入ってきた時とは違う変わり果てた街並みを見て、当時は別の所に来てしまったと思った。


 別の避難所では大量の車両が集められて、人々を詰め込み次第どこかに送り出していた。少しでも早く逃れさせようと、母はエリスを一つ前の車両に乗せた。それが生死の分かれ道であった。母を心配するエリスはひらけた後部から後ろを追ってくる車両をずっと注視していた。もうすぐで町を出られる、そう思った時、母の乗る車両を何かが貫通した。車両はふらふらと失速していき、やがて横転して爆散した。あまりに突然の事態に感情が追いつかない。エリスは無意識に何かが飛んできたであろう方向を向いていた。


 交差点の奥、町の景観に馴染まない深緑の塊が大きな得物の銃口を覗かせて立っていた。標的を見据える単眼が動き、エリスを捉えた。それは跳甲機だった。母を失った悲しみよりも先に来る戦慄。エリスはここで意識を失った。



 鮮烈に焼きついたあの光景が忘れられない。今では跳甲機の全体像が視界に入るたびに心臓が跳ね回る。


 これだけは、誰にも言えない。


 ふと気がつくと、いつの間にか倉庫街の一角である通りを歩いて来ていた。帰るべき家はもうすぐそこだ。


「おかしら、只今戻りました」

「あ? おう、お疲れ」


 エリスは近くにいた中年の男、朝霧の団長であるウッズに告げた。玄関の横にあるガレージの搬入口を全開にし、ぼろっちいロングチェアとサイドテーブルを展開してくつろいでいる。テーブルの上には種類の違う酒瓶が3本も空けられていた。その怠惰な有様に思わず眉をひそめる。


「また昼間からですか」

「うるせぇよ、んなもん俺の勝手だろ。やりてーことをやらねぇ奴はただのバカだ。……で、お前遅かったな」

「それは——」

「ようエリス! 魔女の駆人とデートは楽しかった?」


 エリスを遮って、ガレージの暗がりから歩いてきたウドがニヤニヤして言った。布で吊られた左腕が何とも痛々しいが、本人はいつもどおり騒がしさである。


「なんだよ。お前も楽しんでたんじゃねぇか」

「会ったことは否定しませんが、デートではないです」

「俺らがせっせと働いてる間に男とランチとは優雅なもんだ。エリスも面の皮が厚くなったなぁ」

「ウドさんは何もできないから食べて寝てるだけじゃないですか」

「違いねぇ」

「あ、朝霧エースの俺にとって今は食って寝て早くこの腕を治すことが仕事だ!」

「開き直りましたね。それよりあの、“魔女”とはもしかして……」

「エリスは知らないのか。だけど察しはつくよな、ゼンツクの団長だよ。俺らみたいに細々とやってる傭兵にとっちゃ、本当に不思議な力が使えるとしか思えない。何よりもあの若さで悪逆そうな面してるのがいかにも魔女らしいって、割と真面目にそう呼ばれているんだ」

「ったく、相変わらずくだらねぇな。んなもん合うかどうかだろ。ゼンツクのはたまたまあの歳で天職を見つけちまったんだ。本物の才能ってやつはどんなに経験の差があったとしても関係ねぇ。一瞬で埋められちまうもんよ。それと同じで、傭兵に馴染みゃあ顔つきも変わる。羨ましいことじゃあねぇか」

「そういうもんかなぁ。エリスにも駆人としての才能ってやつがあるといいな。こんな風になっちまう俺にはなかったみたいだし」


 ウドは左肩の方を前に突き出し、右手で怪我した部分を指しておどけてみせた。その変顔がツボに入ってウッズとエリスは笑わされてしまう。



 西の大征伐から逃れ、エリスが意識を取り戻したのは見知らぬ町であった。ベッドの上などではなく、往来の片隅の壁により掛かった状態だった。頼るべき母を亡くして金も食料もない。途方にくれたエリスは同じような境遇にある人間を探し、生活を真似るところから始めた。より良く生きていくために人を変え場所を変え、とにかく生きることに必死だった。ウッズとウドが傭兵溜まりの路地で眠るエリスを見つけて声をかけたのは、そんな折であった。



「……だがまぁ、別になくてもよくなっちまったな」

「だな。今更だけど、無理を言ったのに引き受けてありがとうエリス」


 急にトーンの変わったウッズに同調するウド。二人が何を言っているのかわからない。ぼんやりとするエリスをよそに、ウッズはおもむろに語り始めた。


「少し前、助けてもらったのがゼンツクの駆人だったって、お前珍しく興奮して話しただろ。あん時俺たちはチャンスだと思ったわけだ。ゼンツクにつてができりゃあお前をそっちにやれるかもしれねぇってな。……正直、ここ見てーな所じゃお前は手に余る。一人で外に出しても帰りが遅けりゃ気になっちまう。整備はまだまだ下手くそで重いもんも持てねぇときた。んなお前にだって一応金を出さなきゃならねぇ貧乏な俺の気持ちになってみろよ。勧められんのが優良組織だってんならお前だって文句ねぇだろ」

「町で育ったエリスには学があるから、魔女だって認めてくれるはずだよ。本来なら前の段階でこの事を言おうと思ったけど、ゼンツクは逆に悪い話もよく聞くし、その時は結局やめたんだ」

「だが、お前がそこの駆人とよろしくやってんなら心配ねぇな」


 今まで考えもしなかった選択肢だった。しかし二人の話を聞いて、その選択肢がエリスの中で現実味のあるものとして想像できる。ゼンツクに入れば、組織の存亡のためだからといって駆人になることもないだろう。そもそも存亡の危機に陥る可能性も低いように思える。見ているだけで気が滅入る跳甲機に関わる仕事なのは引き続き。あと強いていえば、クロ・リースという人物をより身近で感じられるようになる。


 組織が安定しているというのは確かに魅力的だが、最後のはどうなのだ。そこでエリスはハッとして顔を上げた。目の前にはしてやったりと言わんばかりの顔で互いを讃えるウッズとウドがいた。二人は視線に気づくと、そのままの顔でエリスの方を見る。またしてもエリスは笑わされてしまった。


 移籍促されて二人の顔を見ていたら、朝霧に来てからの出来事が胸いっぱいに思い出される。今のエリスがあるのはウッズとウド、そして朝霧のおかけだ。


「嫌ならこれまでどおりだ、この話は忘れてくれ。手に余るなんて言ったけど、別にエリスをほっぽり出したいわけじゃないのはわかるよな?」

「で、お前はどうしてーんだ? 俺らは親でもなんでもねぇからな。お前のしてーことに口を挟むつもりはねぇ」


 二人は普段の顔つきで改めてエリスに問う。


「私は——」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

傭兵より殺意を込めて やっぴー @yappii

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ