第3話 私も弱者になる

・樋口いづみ(24歳)の場合

社会人3年目になるいづみは、今年の春も当然のように定期健康診断を受ける。

これまで、健康診断の結果なんて、体重くらいしか気にしていなかったのに、今回ばかりは気が気でならない。

私の「健康レベル」が判定されるからだ。


今まで、障害や社会的弱者といったものとは無縁に生きてきた。だから、この法律ができるその時もあまり気にしていなかった。むしろ、社会人になってこんなにも保険料が高かったのかと驚くことばかりで、財政の悪化のほうにリアルがあった。


ここ数年、医療機関にはほとんど受診していないはずだった。基本的に大きな病気も怪我もなく、これまで生きてきた。だから、健康レベルは当然判定Aになるだろう、と高をくくっていたのである。


しかし、結果は「判定C」。


結果表をもらった瞬間、驚いて声も出なかった。「どうして・・?」と思って結果表を詳しく見てみる。


「視力・・・」


そう、いづみは目が悪かった。小学校に入ってしばらくして、メガネをするようになった。今は、コンタクトレンズを使っている。毎年1年分のレンズをまとめて買うので、それに医療費がかかっていること等忘れてしまっていた。


そのほかの項目に、不健康と思われる要素は見られなかった。つまり、「目が悪い」というただその一点で、判定がここまで下げられてしまっているのだ。


そんなの、他の皆も一緒じゃない!といづみは憤った。今やコンタクトや眼鏡などの視力矯正を行っている人の数は全人口の6割とも言われている。

だとすれば、その全員が判定Cになってしまうのか。


気になったいづみは、同じように目が悪かったはずの同僚2,3人に聞いてみた。

すると、「うん、だから私ずっと前にレーシックしたんだ」と皆、口をそろえて言った。


レーシックをすれば、視力判定の対象外となり、健康な目と見做されるのだという。

いづみはそのことを知らなかった。レーシックの手術は、怖いし、ずっと良くなる保証もないし、事故も起こることがあると聞いて、ずっと敬遠していたものだった。


今さらながら、レーシックの手術について調べてみる。

おそらく同じように判定を受けて調べている人画多いのだろう。「判定改善のために!」という広告をたくさん見かけた。そして、費用を見てさらに驚いた。


「レーシック手術費用:200万円」


最初に開いたクリニックで金額を見て、そんなまさか、と思って他のクリニックも覗いてみたが、やはり似たような金額だった。

昔はもっと安かったはずなのに・・・。健康法の制定で、レーシックの需要が急増したこと、コンタクト・眼鏡の売上が大きく落ち込んだこと等を背景に、金額が異様に高騰しているのだった。それでも、手術を受ける人が多いのか、予約満了となっているクリニックも見かける。

みんな、それを見越して駆け込みで、手術をしていたのだ。


今のわたしに、そんな高い費用、出せるはずがない。



いまや「眼鏡をかけている」それだけで、障害者とみなされるのだ。


判定Cとなると、医療費負担は4割、交通費・バスは通常料金であるものの、判定Aの人が2割引で交通機関を利用できることを思うと、実質的な負担は増える。


さらに、視力の悪い人は、「災害弱者」になりやすいと判断され、火災保険が高くなったり、家賃が高くなったりするマンションもあるという。



これまで、障害者の人はかわいそうな人だと思っていた。

目が見えない人も、耳が聞こえない人も、手足が不自由な人も、発達障害の人も、みんな苦労して生きているんだから、健常な私たちは支えなきゃ、と思っていた。


でも、自分もその弱者の仲間入りなのだ、と思ったらショックを受けた。そしてそのことに落ち込んでいる自分に、悲しくなった。


わたしは、弱者の人たちをどこかで馬鹿にしていたのかもしれない。

自分がその立場になって落ち込んでいるのは、その人たちと同じになるのが嫌だから。

車椅子を使う人を見て、補聴器をつけている人を見て、わたしは何を思っていたんだろう。何も感じず、見過ごしていたときもあっただろう。そんな人たちに親切にして、「ありがとう」って言われて、良いことした気分になって。どこか優越感を感じていなかっただろうか。


眼鏡をかけて外に出ると、今度は私がそんなふうに見られるのだ。

ああ、弱者がいる。かわいそうに。助けてあげなきゃ。



嫌だ。


私は弱者なんかじゃない。



いつのまにか、涙があふれていた。その涙は、わたしのために流してはいけない涙なのに。

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