白球少年 3
「藍原さん、こちらですよ!」
「……大声は勘弁してくれ」
水無瀬さんが手を振りながらこちらに合図をしてくるので、俺は少し早足で駆け寄る。
昼休みの待ち合わせ場所として食堂を選んで来たが、ここの生徒は女子が大多数を占めるので男子の俺が来るだけで自然と注目を浴びるのに、さらに水無瀬さんから呼びかけられると余計に視線を集めてしまう。
「はぁ、もっといい場所はなかったのかよ」
「昼ご飯を食べながら話が出来る何て効率がいいじゃないですか」
俺としては効率よりも居心地を重視して欲しかったよ。
「立ち話だと余計に注目を集めるだけだし、座ったらどう?」
「あっ、すみません」
水無瀬さんの横の人から声を掛けられたということは彼女がもう一人の方なのだろう。
「私は伊藤
「……光?」
俺が疑問形で答えると伊藤さんの視線は水無瀬さんに集まったので、光とは彼女のことなのだろう。
「光、あんたもしかしてちゃんと自己紹介してないの?」
「いやですねー、ちゃんと自己紹介しましたよね?」
「……してねーよ」
伊藤さんから冷ややかな視線を向けられてバツの悪そうな表情をする。
「とりあえず、昼ご飯でも食べながらお話でもしましょうか」
水無瀬さんはオムライス、伊藤さんはうどん、俺は弁当とそれぞれの昼食を食べ進めていく。
「賭けに勝ったオムライスは美味しいか?」
「それはもう最高ですよ!……あっ」
口にしたときには後の祭りで伊藤さんは怒髪天を衝くほどの怒りを見せていた。
「光、正直に言いなさい」
「すみません。薫さんと藍原さんがご本人かどうかで昼食賭けてました」
「許すとは言ってないわよ!」
乾いた音が水無瀬さんの頭から響いたが、今のはかなり効いただろう。
「……ぁぁああ」
「藍原さん、この件で気分を悪くしたのなら申し訳ありません」
伊藤さんが頭を下げるが、こちらの良心が苛まれる。
「いや、頭を上げてください。それに今のですごくスッキリしましたから」
「ありがとうございます。ほら、光も謝りなさい」
「ごめんなさい」
「……薫にも後で言わないといけませんね」
どうやらまだ伊藤さんの留飲が下がることはなさそうだ。
「本題に入りましょう。単刀直入に言いますと藍原さんのに私たち女子野球部のコーチをしてください」
「……コーチですか」
女子野球はここ数年でメジャーになり、プロチームすら存在する。その一方で今の人気を作りあげた先駆者たちは未だに第一線で活躍しており、競技人口の増加とは裏腹に指導者が圧倒的に不足しているという。
「そこで俺に白羽の矢が立ったと言うことですか」
「藍原さんはシニアで活躍していた選手ですし、私たちよりも実力はあると見込んでのお願いです!」
水無瀬さんの発言には一理ある。
「ーー俺には出来ません」
「理由をお訊きしてもよろしいですか?」
「まず俺は野球から離れるためにこの学校を選んでいます。それに男子と女子では実力とは別に根本的に指導が異なりますよ」
骨格の違いもさることながら、戦術面でも派手さが目立つ男子の野球とは違い、女子野球は緻密とすら思っている。ホームランや豪速球とは引換えに女子野球は守備シフトや攻撃パターンの豊富さ、どちらかと言うと玄人好みなのではないかとすら思う。
「俺は野球の
上下関係や選手を酷使するあまり起きる負傷。初めてあの白球に触れた感動が徐々に薄れていき、今では何も感じることすら出来ない。
「なら、藍原さんが野球をまた楽しいと思えば引き受けてくれますか?」
水無瀬さんの瞳からはそれが可能だという自信に溢れている。
「……それが可能なら喜んで引き受けさせてもらいます」
まだ野球を好きだと思う気持ちがあるから未だにずるずると高校野球の結果何てもの見ている自分がまた野球に魅力を感じることが出来るのなら……
「それでは放課後、グラウンドに来てください。女子野球というものをお見せしますよ」
水無瀬さんの言葉に俺はほんの僅かながらでも期待せずにはいられなかった。
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