(3)

 目が覚めると倦怠感と身体中の関節の痛みに気が付いた。

 寒気がする。めまいが酷くて立ち上がることすらままならなくて、ベッドから身体を起こすことだけで精いっぱいだった。

 申し訳ないと思いつつ、リビングで眠っている母に電話をした。

「くるみー……? どうしたの?」

 スマートフォン越しから、眠たそうな母の声が聞こえる。

「ごめん。熱……あるみたいで、立ち上がれなくて……」

 途切れ途切れになりながらも、なんとかそう口にすると、

「すぐにいくね」

 そう言って母は電話を切り、すぐに私の部屋に駆けつけてくれた。

 母が持ってきてくれた体温計で体温を測ると、39.2℃の熱があった。

 どうりで身体が思うように動かないわけだ。

 地元の内科の診察時間までに母に手伝ってもらいながら身支度を整えて、一緒にタクシーで内科へ向かった。

 内科へ着くと思っていたより患者さんは少なくて、すぐに診察を受けることが出来た。

 医師から最近何か変わったことは無いかと訊かれて、最近まともに食事を取っていないことを告げると、喉を通りやすいお粥や果物を食べて少しでも栄養を摂るように言われ、五日分の風邪薬を処方された。

 近場のスーパーで熱冷まし用の冷却シートと栄養ドリンクとリンゴを購入して母とタクシーで帰宅した。

「仕事の後で疲れてるのにごめんね」

 私の言葉に母は、

「気にしなくて大丈夫。ゆっくり休んで」

 そう言って、お粥を作ってくれた。

 こうして母に何かを作ってもらうのは何年振りだろうか。

 少量の温かいお粥を食べて、風邪薬を飲んでベッドに戻るとすぐに眠ってしまった。


 午後二時頃に目を覚ますと、スマートフォンにメッセージが二件届いていた。

 おぼつかない手つきでスマートフォンを手繰り寄せ、メッセージを確認する。

 一件目は母からだ。

 パートのお仕事に行ってくること。

 同伴があるから帰宅せずにそのままスナックへ向かうこと。

 冷蔵庫の中に剥いたリンゴがあるから食べてねと、可愛いリンゴの絵文字で締めくくられていた。

 二件目は夏希さんだ。

 体調を心配してくれる言葉と、労いの言葉に胸が温かくなった。

 ありがとうと返信をすると、授業中のはずなのに、すぐに返事が返ってきた。

「何か欲しい物はある? 放課後でよければ届けるよ!」

 メールにはそう書かれていて、

「嬉しいけど大丈夫です。ありがとう」と、返信した。

 母にも夏希さんにも心配されて、申し訳ないけれど嬉しい。

 他にもメールが届いてないか確認したが、何もなかった。

 スマートフォンを枕元に置き、傍にあるくまのぬいぐるみを抱き寄せた。

 やっぱり家に独りは寂しい。こんなに心配してくれる人がいるのに、私は本当に欲張りだ。

「……志帆」

 心の何処かで、少し期待している自分がいた。

 なんて自分勝手なんだろう。

 あの約束は、もうないのだ。

 自分から突き放しておいて、本当に都合のいい話だ。

 自分でも最低だと思った。

 ふと、私は昨日のことを思い出した。

 マリアさんとディナーに行って、夜景を見に行った帰りの車の中でのことだ。

 私はマリアさんに訊いてしまった。

 志帆の過去のことを。白く華奢な身体に刻まれた、あざや傷跡のことを。

 私の言葉に、マリアさんは驚いたような表情で言った。

「着替えるところを、私に見られたくないみたいだったの。まさか今も残っているなんて……」

 マリアさんですら知らなかったことに、酷く驚いた。

「志帆の過去に何があったのか、マリアさんは知っているんですか」

 気が付けば私はマリアさんにそう訊いていて、酷く困ったような顔をするとマリアさんは言った。

「全部は分からないわ。でも大抵のことは知っているつもりよ」

 ハンドルを握りながら、小さく息を吐くとマリアさんは続けた。

「でもね。私は志帆の過去のことを話すことが出来ないの。それは志帆本人が口にするか、それとも志帆のお父様に訊くしか……。ごめんねくるみちゃん」

 志帆のお父さん。私は会ったことがないから、どんな人なのかは分からないけれど、志帆は酷く嫌っている様だった。

 色々と思い出して考えていたら、頭が痛くなってきた。

 頭を横に振り、忘れるんだと自分に言い聞かせる。だって私は志帆を突き放したのだ。そんな私に、志帆を心配して、志帆の過去を探る権利は無い。

 それでも、もし私が志帆の過去を知ることが出来たら、志帆の不可解な行動や志帆の求めていることが分かるのではないかと――、

 何度忘れようとしても、頭の中は志帆のことでいっぱいだった。


 次の日も、熱が下がらなくて学校をお休みした。

 熱はまだあるけれど、身体はだいぶ楽になった。

 気怠い身体を起こし、リビングへ向かう。

 リビングに着くと、テーブルの上に街中にあるスーパーの袋が置かれていた。

 袋の中を確認すると、中には栄養ドリンクと熱冷まし用の冷却シート、それに私の好きな紅茶のペットボトルが入っていた。

 栄養ドリンクも熱冷まし用の冷却シートもまだまだ予備はあるのに。

 酔った勢いで母が買ってきたのだろうか。

 そんなことを考えていると、リビングのソファーで眠っていた母が私に気が付いた。

「おはよう……それドアノブに掛かってたよー……」

「お母さんが買ってきたんじゃないの?」

「違うー……」

 むにゃむにゃと良く分からないことを言いながら、母は再び眠ってしまった。

 心当たりは――ある。でも、そうだと言い切れる自信はなかった。

 だって、こんなのあんまりだ。

 あんなに酷いことを言ったのに。一方的に突き放してしまったのに。

 急いで部屋に戻り、ベッドに身を委ねた。

 胸の痛みを和らげようと、くまのぬいぐるみを抱き締める。

 痛みは治まることなく、私の胸を締め付け続けて――

 胸の痛みが治まる頃には、私の意思は決まっていた。

 ちゃんと話さないと。

 もう一度、志帆と。

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