(2)

 カーテンの閉ざされた薄暗い部屋。

 その部屋にある天蓋付きの大きなベッドの上で、私はひとりで泣いていた。

 どうして泣いているのか理由は分からない。

 ただ茫然と、悲しみや恐怖に襲われて涙が止まらなかった。

 ふと、気が付くと、目の前に志帆がいた。

 安堵と共にどっと涙が込み上げて、私は志帆に抱きついた。

 志帆が優しく私の頭を撫でてくれた。母が子をなだめる様に、優しく私の頭を撫でて――そして、私をゆっくりと押し倒した。

 志帆が私に覆いかぶさる。髪で隠れた彼女の顔が、じっと私を見つめて――

 違う――志帆じゃない。

 親友だったあの子が私の首に手を添えた。そして、そのまま乱暴に力を込めた。

 笑っていた。まるで嘲笑うように笑いながら、彼女は私の首を絞めた。

 息が苦しい。必死に彼女の手を掴むも、彼女は動じることなく私の首を絞め続ける。

 とてつもない恐怖心が私を覆い尽くす。

 嫌だ。色目なんか使ってない。あれは何かの誤解で――


 咄嗟に目を覚まして、身体を起こした。

 動悸が激しく、息をするのが苦しい。

 辺りを見回した。誰もいない事に安心して、そして、怖くなった。

 枕元のくまのぬいぐるみを抱き寄せて、

「……志帆」

 彼女の名前を口にする。

 縋るようにぬいぐるみを抱き締めて、志帆と抱きしめ合った時の、あの温もりを思い出そうとした。

 どうして親友だったあの子を夢に見たのだろう。

 何か良からぬことが起こる様な、そんな気がして怖くなった。

 しばらくの間そうしていると、朝焼けでほんのりと明るくなった外の光が、カーテン越しに部屋に差し込んでいることに気が付いた。

 枕元にある目覚まし時計は、午前五時を指している。

 ふと、スマートフォンに通知が入っていることに気が付いた。

 夏希さんだ。急いでスマートフォンの画面を付けて、メッセージを確認した。

「返事遅くなってごめんね。告白だめだったよ。また学校で話すね」

 夏希さんからのメッセージには、そう書かれていて――、

 何度も何度も読み返して、それを受け入れるまでに少しの時間がかかった。

 ショックが大きかった。上手くいって欲しいと、心の底から思っていた。

 ベッドに身を委ねて、再びくまのぬいぐるみを抱き締めた。

 きっと夏希さんが学校で、何もなかったように元気に振る舞うだろう。

 その姿を想像すると、胸が痛くて苦しかった。


 家事と通学の仕度を終えて、家を出た。

 バスに乗ると、後部座席の方に志帆の姿を見つけた。

「おはよう」

 志帆が頷いて、おはようと返してくれた。志帆の隣に座って、通学用のバックを膝の上に置く。金曜日のことがあって、少し気まずい。

「隈……出来てるよ。眠れてないの……?」

 私の言葉に、志帆が首を横に振った。嘘だ。こんなに隈が酷いのに、眠れている訳がない。

「何かしてたの……?」

 観念したのか、志帆がメモ帳に言葉を書き込んだ。

「ピアノを弾いてたの」

「朝からずっと?」

 志帆が頷いた。そして、再びメモ帳に言葉を書き込む。

「最近、練習不足だったから」

 志帆は、本気でピアノを弾いているのだろう。志帆の演奏を聴けばわかる。幼い頃から、今日みたいに、努力を積み重ねてきたのだろう。凄いことなのに、尊敬するようなことなのに、志帆に置いて行かれてしまうような、そんな気がして、寂しくなる。

 志帆がメモ帳に言葉を書き込んだ。

「日曜日、会いにいけなくてごめんね」

 メモ帳を見せる志帆の表情は、酷く申し訳なさそうで、

「ううんっ。約束……してたわけじゃないし、気にしないで」

 なんとか微笑んで返事をした。

 志帆が微笑んだ。私の頭を優しく撫でてくれる。

 いつもの優しい志帆だ。どこかで感じていた気まずさはいつの間にか消えていて――、

「手……繋いでもいい……?」

 気が付けば私は、我慢できずにそう口にしていた。

 優しく微笑んで、志帆が頷いてくれた。

 人目に付かないように、通学用のバックの陰になるように手を繋いだ。

 幸せだ。勇気を振り絞て告白して、本当によかった。

 ふと、浮かんだのは夏希さんの顔。

 夏希さんを置き去りにして、自分だけ幸せでいいのだろうか。

 幸せを感じる自分に、罪悪感を感じる私がいた。


 いつものように、志帆と一緒に昼食を食べて、他愛ない話をした。予鈴が鳴り、次の声楽の授業に備えて、夏希さんと一緒に教室を後にする。

 思っていた通り、夏希さんは学校で明るく元気に振る舞っていた。美子さんの方はそんな夏希さんに面食らったように最初は戸惑いながらも、昼休みにはいつも通りに夏希さんと二人で昼食を食べていた。

「白鳥さんとはどう?」

 廊下を歩いていると、突然、夏希さんに訊かれて背筋が伸びた。

「特に……変わりないです」

「そっか。告白うまく行ったみたいでよかったよ」

 夏希さんがいつものように微笑んだ。

 でも、その表情はどこか悲し気で――、

「私……何か出来ることがあれば力になりたいです。やっぱり……このままなんて」

 驚いた表情で私を見ると、夏希さんは、

「もういいんだ。これ以上、美子を困らせたくないし、友達でいられるだけで私は充分だよ……ってどうしてくるみちゃんが泣いてるのさ!」

 夏希さんが慌ててハンカチを渡してくれた。

 このままなんて嫌だ。想いを隠して、友達として接するなんて、そんなの残酷だ。

 美子さんの気持ちを変えることは出来ない。それでも――、

「……くるみ……ちゃん?」

 いつの間にか、手に抱えていた筈の教科書と筆入れは廊下に落ちていた。

 抱きしめた夏希さんの身体は温かくて、戸惑っていて、

「……夏希さんは頑張りました……だから、だから……」

 言葉にする度に、涙が止まらなかった。

 小さく頼りない手で、夏希さんの背中をひたすらに擦った。

 私だけだ。きっと他の友達には相談するこの出来ない、そんな恋をした夏希さんの苦しみや悲しみを少しでも癒せるのは、夏希さんと同じように女の子を好きになってしまった私だけだ。

 戸惑う夏希さんの身体が、ゆっくりと解れていって――、

「ん……ありがとう……」

 夏希さんと抱きしめ合う。

 静寂に包まれた人気の無い廊下。第二音楽室から聴こえてくる誰かのピアノの演奏を背に、私達は静かに抱きしめ合った。

 ゆっくりと生徒たちの話し声が聞こえてきて、

「ほら。こんな所見られたら、白鳥さんに誤解されちゃうよ。これで涙を拭いて?」

「……ごめんなさい。ありがとう」

 身体を離し、夏希さんからハンカチを受け取って、涙を拭いた。

 廊下に落としてしまった教科書と筆入れを、夏希さんが拾ってくれた。

「今度さ」

 夏希さんが、窓の外を真っ直ぐと見据えて続ける。

「くるみちゃんと白鳥さんと、私と美子でどこかに遊びに行こうよ。まずは白鳥さんと仲良くなる所から始めないとだけどさ、折角くるみちゃんと仲良くなれたんだし、四人で色々な所に行って、沢山バカみたいなことをして、いっぱい思い出を作りたいな」

 思わぬ言葉に、

「気まずくないですか……嫌じゃないですか……?」

 夏希さんに問いかけた。私の言葉に夏希さんは、

「嫌なわけないよ。くるみちゃんは私にとって大切な友達だもん」

 そう言って私に見せてくれた、夏希さんの笑顔は、いつもの様に屈託の無い笑顔で――、

 まるで太陽のように明るくて優しい夏希さんの笑顔に、温かい気持ちで胸がいっぱいになった。

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