(8)
雨が降っていた。
一昨日から降り続けている雨は、一向に止む気配も無く今も降り続けている。
今朝テレビのニュースで梅雨入り宣言がされた。
雨の日は嫌いだ。室内にいる時に聞こえる雨の音は好きだけれど、私の髪は癖毛で湿気の多い雨の日は、すぐに毛先がくるんとなってしまう。今日だって朝にヘアーアイロンをしてきたのに、学校に着く頃にはすでにうねっていて、しばらく雨が続くと思うと憂鬱で堪らなかった。
それでも、二ヵ月に一度行われる席替えで、運よく獲得した一番後ろの窓側の席は格別だ。私の席の二つ前は夏希さんの席。私の席から三つ隣は志帆の席だ。ふと、志帆の方を見ると目が合って微笑んでくれた。前の席を見ると、夏希さんが先生の声を蚊帳の外に、両手を組んで机に乗り出し、ぼうっと窓の外を眺めていた。普段明るい夏希さんも、今日はまるで雲に隠れてしまったように元気がなくて、どこか上の空だ。
雨音と共に、先生の落ち着いた声が聞こえる。
じわじわとやってくる眠気と共に、思わず欠伸が出てしまって口を押えた。
授業が終わり、次の声楽の授業に備えて準備をした。
席を立ち夏希さんの元へ向かうと、明らかに様子が変だった。
「……夏希さん、次は声楽の授業ですよ」
次の授業は声楽で移動教室なのに、夏希さんは自分の机の上に、現代文の教科書と筆記用具を並べて授業が始まるのをじっと待っていた。
「あ、そっか……そうだね、行かないと」
夏希さんが席から立ち上がり、机の上から教科書と筆記用具を手に持った。
「夏希さん。それ、現代文の教科書です……」
手に持つ現代文の教科書を確認すると、
「本当だ……えへへーボケちゃったかな」
屈託ない笑顔で、夏希さんが言った。
視線を感じて志帆の方を見ると、目が合った。志帆にまたね、と手を振って、夏希さんと一緒に第一音楽室へ向う。
普段は何気ない会話をするのに、第一音楽室へ向かう際も、やっぱり夏希さんは元気がなくて、上の空だ。
「大丈夫ですか?」
「んーー……あ、私? 大丈夫!」
「絶対に大丈夫じゃないです……」
私の言葉に夏希さんは、
「……ごめん」
そう言って、しゅんとしてしまった。
「何かあったんですか……?」
夏希さんは大きく深呼吸をすると、
「私、決めたよ」
真っ直ぐ前を見据えて言った。
「何をですか……?」
「私、告白する」
突然の言葉に驚いた。
「ずっと好きな人がいるんだ」
「美子さんですか……?」
「え、なんでわかるの」
「よく一緒にいるから、なんとなくそんな気が……」
美子さんはクラス委員長で、美術コースだ。
美子さんと夏希さんは移動教室以外の時は、私と志帆のように、よく二人で一緒に居る。
最初は、夏希さんは志帆のことが好きなのではないかと、そう思っていた。だから、私はそのついでで、志帆と夏希さんが結ばれれば、私は必要なくなるのではないかと、そう考えて、眠れない日もあった。でも、美子さんと楽しそうに話す夏希さんを見る度に、その不安は少しずつ、収まっていって――、だから、今しっかりと答えが訊けて良かった。
「くるみちゃんにそんな洞察力があったとは……」
「む、こう見えても鋭いですよ」
「こんなに小さいのに」
「小さくないです」
私の言葉に、夏希さんが笑ってくれた。そうだ。やっぱり夏希さんには笑顔が似合う。
上手くいってほしいと思った。 上手くいって、飛びっきりの笑顔で報告して欲しい。
「夏希さんは、告白するの……怖くないですか」
私の問いに夏希さんは、
「正直、怖い」
どこか悲しそうな表情で続けた。
「小学校から一緒だったんだ。学校も、放課後も、ずっと一緒にいて、仲良くなっていく度にいつの間にか好きになってた。中学生の時にね、それとなく美子に訊いてみたの。もし、女の子に告白されたらどうするって。そしたら、そんなのありえないって、女の子同士じゃ付き合えないって……」
「でもね」と付け加えて、夏希さんは続ける。
「私と同じで、女の子を好きになっちゃって悩んでるくるみちゃんを見てたら、なんだか勇気が湧いてきた。私だけじゃないんだって、私以外にも同性を好きになっちゃって苦しんだり悩んだりしている人がいるんだって」
困ったように笑うと夏希さんは、
「くるみちゃんに散々偉そうなこと言っちゃったけど、きっと、そう言って後押しして欲しかったのは私だったんだ。偉そうなこと言ってごめんね」
「そんなことないです……。好きになったら性別なんて関係ないって、そう言って貰えて嬉しかった」
「……よかった。正直ね、上手くいかないと思うんだ。今の関係も壊れて終わっちゃうかもしれない。でも、好きって伝えなかったらきっと私は一生後悔する。だから、私は伝えるよ」
それは、まるで自分に言われているようだった。
想いを伝えずに、あの行為に溺れることは、ただの問題の先送りだ。
夏希さんの視線は真っ直ぐだ。
「くるみちゃんはどうするの?」
夏希さんが続ける。
「まだちゃんと想いを伝えられてないんでしょ……? このままでいいの……?」
真っ直ぐ前を見据えていた夏希さんの目は、今は私に向けられている。
慰めてくれているだけ。
そう考えると、怖かった。でも、このままじゃだめだ。
「私は――」
思い返せば長い遠回りだった。
何度も決意して、でも言い出せなくて。
正直、怖い。それでも、勇気を振り絞って想いを伝えようとする夏希さんを見ていたら、このままじゃいられないと思った。
「エアコン点ける?」
志帆が私の様子を窺うようにメモ帳を見せてくれた。
締め切った志帆の部屋は蒸し暑い。
雨は強く、窓を開けると室内に雨が入ってしまいそうだ。
「志帆が大丈夫なら……お願い」
志帆が寒がりだ。それでも、この蒸し暑さには堪えたのか、エアコンを点けると、制服のブレザーを脱いで壁に掛けた。
志帆がベッドに腰掛けた。隣に私もそっと腰掛ける。
「志帆も暑がるんだね」
私の言葉に志帆が頷いた。そして、私の手の上に手を重ねてきた。
「本当だ、少し温かい」
志帆が微笑んだ。見つめ合い、顔が近づいてくる。
「……今日は、話があるの」
戸惑うように志帆が私を見た。志帆の顔が離れる。
不安と、緊張と、未練と、それらが入り混じって私に問いかける。
本当にこれでいいのかと。この関係が壊れてしまうのなら、このまま行為を続けた方がいいのではないかと。
ふと、脳裏に浮かんだのは、夏希さんの顔。真っ直ぐに前を見据えて、一生懸命浮かべる、あの笑顔。
深く、深呼吸をした。
「私ね――、志帆のことが好き」
時が止まったような、そんな感覚に襲われた。
「同性なのに、おかしいって思うかもしれないけど……志帆のことが好き」
驚いた表情で志帆は私のことを見つめている。
「志帆さえ良ければ……その、私と……付き合って欲しい。恋人として、ああいうことをしたい……」
初めての告白だった。直球過ぎると思った。もっと志帆を好きになった理由とか、好きな所とか、話したいことは沢山あった。でも、ひとまず想いは伝えられた。
少しの間が空いた。志帆の手が私の頭に伸びた。
私の頭を撫でながら、志帆が頷いた。
「いいの……? 嫌じゃないの?」
志帆が大きく頷く。
「本当に……?」
志帆の顔が近づいてきて――、
「ん……」
浅いキスをした。
――怖かった。断られるのではないかと、怖くて堪らなかった。
思わず涙が零れそうになって、視線を下げる。
そんな私を見ると、志帆は私を抱き締めてくれた。抱きしめ合った。
想いを伝えてよかった。安堵で胸がいっぱいになる。
ゆっくりと、志帆に押し倒された。ふかふかのベッドに身体が沈む。
「志帆は……私のこと……好き?」
志帆が頷いた。
「本当に?」
志帆が私の口を塞いだ。まるでそうだと言うように、私を求めるように激しく舌を動かした。深いキスを繰り返した。求め合うように何度も。
長いキスを終えると、志帆が耳元へ顔を近づけてきた。耳たぶを口に含み、舌を動かした。
「んっ……」
変な感覚だ。厭らしい音が耳元で聞こえて恥ずかしい。身体中が熱くなる。
しばらくその行為を繰り返して、再び深いキスをした。
シャツのボタンを外される。一つずつゆっくりと。
シャツを脱がされて、下着姿になった私の身体を志帆はじっと見つめる。
今日こそは、先に進めるのだろうか。
熱く火照って切ない私の下に、志帆は触れてくれるだろうか。
志帆が私の胸に触れようとして――、
「待って……私だけじゃ……嫌」
その手を掴んで、志帆の動きを止めた。
身体を起こした。私も志帆のシャツのボタンを外していく。
志帆にも気持ちよくなってほしい。
戸惑う志帆の表情に、理性が飛びそうになる。
深いキスをした。深いキスをしながら志帆のシャツを脱がした。
唇を離すと唾液が糸を引いた。普段恥ずかしいと感じるそれも今では余計に私を熱くさせた。
視線を志帆の身体へ向けて――、
「――――っ」
思わず息を呑んだ。
白い肌にまばらに痕跡を残す傷跡。蝕むように身体に刻まれた痣。身体の所々に残る、小さくて丸い火傷のような跡。
志帆の白い身体を覆い尽くすように刻まれたそれらは、酷く痛々しくて――、
志帆がどこか悲し気に微笑んで、私を押し倒した。
露わになった志帆の身体が、私の目の前に晒される。
言葉が出なかった。なんて言葉を掛けていいのか、分からなかった。
志帆が微笑んだ。そして、真剣な表情で私の首にゆっくりと手を伸ばした。
ひんやりと冷たい感触が伝わってくる。
「志帆……?」
志帆が力を込めた。まるで私の首を絞めるように、いや、私は今、首を絞められていて――、息が出来なくなる。声が出ない。苦しい。怖い。
志帆がそっと手を離した。
苦しさから解放されると涙が頬を伝った。大きく身体全体で呼吸をする。呼吸を整えることで精一杯で言葉が出ない。
再び志帆が私の首へ手を伸ばした。私を見つめるように、志帆が身体を乗り出す。
右目の泣きぼくろ。綺麗だと思った。
切り揃えられた志帆の前髪が揺れる。長い髪が頬にかかってこそばゆい。
今にも泣きだしそうな表情で微笑みながら、志帆は私の首を絞めた。
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