第一章 「あなたが」
(1)
私には親友がいた。
その子とは、幼稚園の頃からよく一緒に行動していて、小学校の高学年になると、休みの日は二人で街へ買い物に出かけたり、放課後になれば毎日のように遊んだりしていた。
私は同学年の他の子に比べて身長が低かった。加えて私の声は高く、まるで子供の様に幼い声を持つ私は、クラスの男子の揶揄いの的だった。
親友だったその子は、私を庇い、
「きっと、くるみちゃんが可愛いから、構って欲しいんだよ」
なんて慰めてくれて、こんな私を可愛がってくれた。
中学二年生の夏。私はいじめにあった。
原因はクラスメイトの男子に、好意を持たれたからだ。
不幸にも、私に好意を寄せたその男子は、親友が好意を抱いている人だった。
私はクラスの女子から無視をされ、陰口や悪口を言われ続けた。
私に好意を寄せた男子も、手のひらを返して、私の悪口を言うようになった。
もちろん、親友だったその子も。
私は何とか誤解を解こうと、彼女を追いかけた。
物を隠されたり、蹴られたりしても、一生懸命笑って、彼女を追いかけた。
ある日、私は彼女に言われた。
「しつこい。もう話しかけないで。その声、気持ち悪いんだよね」と。
その時、ようやく私は気づいた。
もう仲の良かったあの頃には戻れないことを、それは、叶わぬ夢だということを――
※※※
崖から落ちるような感覚に襲われて、飛び起きた。
息が荒く、動悸が激しい。
最悪の目覚めだ。最近、あの夢を見ることが多くなった。
ゆっくりと息を吐くように意識しながら、呼吸を整える。
いくらか落ち着いてくると、閉じたカーテン越しに、優しい朝の陽ざしが部屋を包んでいることに気がついた。
枕元にある目覚まし時計を見た。
時刻は午前五時五十分。
完全に目が覚めてしまい、二度寝をすることも出来なそうなので、ベッドから起き上がり、リビングへ向かった。
リビングのソファーでは、母が露わな姿で熟睡していた。
黒のキャミソールに、派手な下着姿。ソファーのすぐ近くにあるテーブルには、ビールの缶が散乱していた。
「風邪ひいちゃうよ」
母の部屋からタオルケットを持ってきて、熟睡する母の身体にそっと掛けておいた。
私の家には、父がいない。
私が産まれて間もない頃に、別の女の人のところへ行ってしまったらしい。
母は、そんな父の代わりに、昼はスーパーのパート。その後はスナックで夜遅くまで、一生懸命働いてくれている。
小学四年生の頃、少しでも母の力になりたくて、食器洗いを始めた。
それをきっかけに、掃除、料理と、手を出し始めて、そして、高校二年生なった今では、家事のほとんどを、私がこなすようになった。
家事をするのは好きだ。
掃除をして、綺麗になるのはやっぱり気持ちがいいし、料理をして、美味しいって褒められると、凄く嬉しい。
朝食を作り終えて、ダイニングテーブルに並べた。
母は昼頃に起床するので、母の分はラップをして冷蔵庫に入れて置く。
テレビを付けて、小音でニュースを流し見ながら、ダイニングテーブルで朝食を取っていると、母が急に起き上がった。
「おはよくるみー。はやいねー」
「おはよう。服着ないと風邪ひくよ」
「大丈夫、タオルケット掛けてるからー。良い匂いがする……」
「お母さんの分もちゃんとあるよ。テーブルの上に置いておくから、起きたら食べて」
「ありがとうー、おやすみ」
母はそう言い残して、タオルケットに潜り込み、再び眠りに就いた。
寝ぼけている時の母は、なんだか子供みたいで可愛い。
朝食を食べ終わり、洗濯機を回して、その間に食器を洗った。
テレビを横目に、一通りの家事を終えて、自室へ戻る。
部屋着を脱いで、制服に着替えて、鏡を見ると思わずため息が零れた。
『大丈夫。高校生になれば、きっと伸びるよ。お母さんもそうだったし』
と、母の励ましも虚しく、高校二年生となった私の身長は、142センチ。
そう、私の身長は、中学生の頃から全くと言っていいほど変わっていなかった。
私の通っている、私立聖月学園高等学校は、女子校だ。
街中から少し離れた、静かな住宅街にある。
生徒一人一人の個性を伸ばすことを大切にしている為、校則は緩く、制服が可愛いこともあって、地元では人気の女子校だ。
私はどうしても、女子校である聖月学園に入学したくて、高い学費が掛かって申し訳ないと思いながらも、母に聖月学園に進学したいとお願いした。
男女のいざこざに巻き込まれるのは、もう懲り懲りだった。
四時限目の終わり、昼食後の程よい眠気が襲ってくる、昼休み。
「それでさ、彼氏がこの前、クラスの女子に告られたんだって」
「えー、何その子、やばくない。普通、彼女いるの知ってるのに告白する?」
加奈と理穂が、加奈の新しい彼氏の話に夢中になっている中、私は、必死に二人の課題をこなしていた。
加奈と理穂とは、高校からの友人で、一年生の時に同じクラスだった。
二年生になってからは二人と別のクラスなのだけれど、昼休みになると私は加奈と理穂に呼ばれて、二人の教室で昼食を食べ、二人の課題をこなしたり、二人の話を聞いたりしている。
いじめにあって以来、私は昔以上に、引っ込み思案になった。
もし、入学式の時に、加奈と理穂が声を掛けてくれなかったら、きっと私は高校生になってからも、ずっと独りだったと思う。
「そういえば、くるみは髪染めないの?」
突然、理穂に話を振られて、課題をこなす手が止まった。
加奈と理穂は髪を染めている。
加奈は金髪で、理穂は明るい茶髪。二人ともパーマをかけておしゃれをしていて、今時の女子高生って感じだ。
聖月学園では、髪を染めている生徒や、パーマをかけておしゃれをしている生徒が多く、髪を染めていない生徒は、静かでおとなしい子が多い。
「そうそう、染めた方がいいよ。一層のこと、ピンクとか緑にしてみる?」
「いいね、それ。緑にしようよ、くるみ!」
理穂が提案し、加奈が続けて言った。
突然、加奈が抱き着いてきて、私の頭を撫でた。
「緑にしよ?」
「み、緑はちょっと」
「じゃあ、ピンク?」
「先生に怒られちゃう……」
加奈が私の頭から手を離した。そして、腕を組んで、考える素振りをすると、
「確かに、さすがにピンクはまずいか。それで、くるみが謹慎になったら、課題やってくれる人がいなくなっちゃうもんね」
そう言って、笑った。
「そういえばくるみ、髪伸びたね」
理穂がスマートフォンを弄りながら言った。
「本当だ。伸ばしてるの?」
「うん。ずっとボブだったから、少し、伸ばしてみようかなって」
「いいねー。くるみ、顔幼いから、長いのも似合いそう」
加奈にそう言われて、思わず顔が熱くなった。
「そうかな……伸ばしてみようかな」
「ねえ、加奈。喉乾かない?」
「乾いてきたかも、くるみ、ちょっと飲み物買ってきてくれない?」
「うん……いつものでいい?」
「私のもお願いね。加奈と一緒ので」
「うん、わかった」
重たい身体を起こして、教室を後にする。
思わずため息を零してしまいそうになり、深呼吸をした。
そう、一年生の時も、二年生になった今も、私は二人の友人と言うより、だだいいように使われているだけだった。
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