幻冬雪女

 冬山に吹雪が荒れ狂う。激しい雪は視界をさえぎり、冷たいつぶてとなって森や山荘の窓を打ちつける。まるで怒り狂う女のように、白い雪は狂気をはらんで、人の心をもてあそぶ――。


「ねぇ、今、何か音がしなかった?」

「ん? 別に……」

 女が淹れたコーヒーを飲みながら、男は携帯アプリのゲームをやっている。

 ――今日で三日目だ。

 週末から、泊りがけでスキーにやって来ていた二人だが、激しい吹雪が続いてスキーはおろか、下山もできない悪天候で山荘にカンヅメ状態になっていた。

「ビシッって、何か軋むような……そんな音が……」

「吹雪の音じゃないのか? それか軒のツララが落ちたんだよ」

 この山荘に着いてから、連日の吹雪にカップルは退屈しきっていた。

「声が聞こえる……」

「はぁ?」

「――誰かが喋っているわ」

「何を言っているんだよ。この山荘には俺たち二人しか居ないじゃないか。君が週末を二人きりで過ごしたいって言うから、知り合いに頼んで、この山荘を借りたんだから……」

 怪訝けげんな顔で男が答えるが、女は黙って耳を澄ませている。

「静かに! よく聴こえないわ」

「きっと吹雪の音だよ。ヒューヒュー吹雪く音が叫び声に聴こえているんだ。――けど、参ったなぁー、スキーも出来ないし、これじゃー山荘に軟禁状態だ」

 ため息まじりに男がぼやく。

「えっ? えっ……今、なんて言ったの」

「おいっ、俺に背中向けて、誰と喋っているんだよ?」

「雪女がきた……」

「はぁ? なにふざけてんの!」

「…………」

 女は黙リ込んだまま、吹雪の音に耳を澄まし、時々頷いて……誰かと内緒話でもしているようだ。

 そんな女の様子に戸惑いながらも……男は機嫌を取ろうとしていた。

「ははん。さては、怖い話してキャーとか言って、俺にしがみつく? そんでもって二人ベッドで温まる?  あはは……」

「…………」

「おい、どうしたんだよ? 黙り込んでないで、こっち向けよ!」

 さすがにイラついた男が、女の肩に手を掛けようとした瞬間。


「わたしに触るなっ!」

 ものすごい剣幕けんまくで女が怒鳴った。

 男の手は思い切り払われて、肩透かしをくらってバランスを崩し、前のめりになって転びそうにだった。

「あぶねぇー、いったい何を怒ってるんだよっ!」

「あなたは私を騙してるのね?」

「はぁ……? 急になんだよ」

「雪女がわたしに言ったんだよ。その男は嘘つきだって……」

 男は黙って女の様子を見ていた――。

「あなた、今年入社した庶務課の女の子にバースディ・プレゼントあげたんだって……」

 この二人は同じ会社に勤める、社内恋愛カップルなのだ。

「いや……それは、同じ課の後輩だし、仕事の事でいろいろ面倒みてやってる子だから、別に好きとかそんなんじゃなくて……その子が欲しいCDがあるって言うから、そんな高いものでもないし、誕生日だから……」

「わたしがいるのに、なぜ他の女に優しくするのよ!」

「ごめん……」

 男は女の機嫌が悪いので素直に謝った。

「あなた、こないだ、経理課のS子と一緒に飲みに行ったんだって?」

「あぁー、あれは居酒屋でたまたま会ったんだよ。それに俺以外にも会社の奴らいたし……」

「……あなた、元カノのM子のことが、今でも好きなんでしょう?」

「――何を今さら、あいつとは君と付き合うようなってからキッパリ別れた」

「そうかしら……?」

「そのことは君が一番よく知っているだろうに。なにを今さらバカなこと言ってるんだ!」

 ネチネチと詰問する女に。――さすがに男も声を荒げた。


 突然、女が泣きだした。

 ヒィーヒィーと喉を鳴らし、吹雪くような声で嗚咽おえつもららす。

「あなたって人は、そうやって、いつも、いつも……わたしを騙して、陰でこそこそ他の女と遊んでいるんだぁー」

「泣くなよ! 俺たち、来月結婚するんだぜ。俺のことが信用できないのか?」

 昔の事を蒸し返しいちいち疑う、そんな女の態度に男はうんざりしていた。

「雪女が、そいつは浮気者だって言うんだ」

「おまえ変だぞ! いつもと様子が違う。気分が悪いなら寝ろよ! 明日下山するから」

「吹雪は止まないわ。私たちはここに閉じ込められたのよ」

 薄笑いを浮かべて女がそう言う。

「いったいどうしたんだ? まるで別人みたいに……。そういえば、おまえ前に言ったことあるよなぁー。子供の時にエレベーターの故障で閉じ込められてから……密室がすごく怖いって! 雪で閉じ込められた山荘、ここは密室と同じなのか? 閉所恐怖症へいしょきょうふしょうってやつか? だからになっているんだろ?」

 女には男の話など聴こえてはいない。

 完全に自分の世界に入り込んで……見えない何かと話していた。――外ではなおも激しく吹雪が荒れ狂う、白いけだものが牙を剥くように。

「……雪女がわたしに言うのよ。その男はおまえを愛していないって」

「もう、いい加減にしてくれっ!」

 疑心暗鬼ぎしんあんきに凝り固まった女の態度に、男は苛立ち怒鳴った。

「やっぱり……愛してなかったのね。ひどいわ……騙されていたんだ、わたし」

「愛してるさ! だから俺たち来月結婚するんじゃないか」

「わたしだけを愛してくれないのなら……あんたなんか、もうしらない」

「はぁ?」

「もう死ねばいい……」

「悪い冗談はやめろよ!」

「死ねばいい、死ねばいい……」

 段々と平常心を失っていく女に、男は恐怖すら感じていた。

「おいっ! 大丈夫か? 頼むから……俺の話を聞いてくれよ」

 女はブツブツ……ひとりごとを言いながら、ふらりと立ち上がると、暖炉の方へ歩いていった。

 そして振り返った女の手には、暖炉の火掻き棒が握られていた。

「そんなもの持ってどうするつもりだ?」

 ニヤリと薄く笑って、突然、ものすごい勢いで男めがけて、火掻き棒を振り下ろした。

「ウギャーーッ」

 男は叫び、そのまま頭を押さえて床に倒れ込んだ。

 男の頭部からは鮮血がほとばしる。女は鬼の形相で男の頭部めがけて火掻き棒を振り下ろす。頭を押さえ這いずり逃げ回っていた男だが、やがて……血まみれでうずくまる。

「死ねばいい、死ねばいい!」

 狂ったように、女は執拗に火掻き棒を振り下ろし続けた。

「浮気者なんか! 死ねばいいんだぁー!」

 女の着衣に鮮血が飛び散って、真っ赤に染っていく。

 なおも女は火掻き棒を握り、動かなくなった男を打ち続ける。彼女の目は狂気で爛々らんらんと輝いていた。

「あっはっはっはっはっ」


 警察署の一室。ベテラン刑事は部下の報告を聞いていた。

「――遺体は頭部を滅多打ちされ頭蓋骨陥没に寄る外傷性ショック死とみられる。被害者の遺体は、二人がいつまで経っても下山しないのを不審に思って、様子を見にきた山荘の管理人によって発見通報されました」

「しかし惨たらしい遺体だなぁー」

 現場検証の写真を見ながら、ベテラン刑事は顔をしかめて呟いた。

「容疑者の女の様子はどうなんだ?」

「発見された容疑者の女は、血まみれで錯乱状態、意味不明なことを喋っています」

「……意味不明なこと?」

 ベテラン刑事は怪訝な顔つきで、背広の胸ポケットを探ると煙草を取り出し、百円ライターで火を付け、ゆっくりと吸い始めた。

「はあ……、それが何を聞いても、雪女がきたとか、雪女が殺ったとか……さっぱり意味が分かりません」

「雪女だと? 来月結婚予定の幸せなカップルに、あの山荘で何があったんだろう?」

「さあ、ただ女は自分の親しい友人に、彼氏の周りの女たちに嫉妬して、妄想する癖があって……苦しいと話していたようです」

 ベテラン刑事は煙草を深く吸いゆっくりと煙を吐く。

 部下の報告を聞きながら、紫煙しえんのゆくえをぼんやり眺めていたが、ふと思い付いたように……。

「妄想?」

「はい、妄想癖が加害者の女にはあったようなんです」

「恋人の男は妄想で殺されたってわけか? あの女は狂っているようだなあ」

 煙草を灰皿におしつけ消すと、ベテラン刑事は言い放った。

「精神鑑定。必要有りだな!」



 ――留置場の壁に向かって、ブツブツと女は呟やいている。

「……彼を殺したのは、わたしにそっくりな女で……真っ白な雪女なんです! 刑事さん、わたしが犯人じゃあないわ……」

 そうやって無実を訴える女。

 しかし、その眼は、もはや現実の世界を見てはいない。狂った雪女は、真っ白な雪原をただひとり彷徨さまよっていく――。          

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