エピローグ

 星の光を霞ませるほどの人工の光が地上を照らし、その光を求めてカップルたちが街にひしめく夜。

 疲れた体を引きずり帰宅した悠人は、暗い玄関でホッと息をついた。

 クリスマス・イブということで、悠人がバイトをしている創作洋食レストランは大忙しだった。全席予約制ということにしていたのだが、予めどのくらいの客入りがあるかわかっていてもやはり大変なものは大変だ。

 悠人は工業機械のようにひたすら決まったコースメニューを作り続けて、気がつくとバイトの時間を終えていた。


「腹減ったぁ……」


 部屋の灯りをつけながら、悠人は一人呟く。

 当然、部屋には誰もいない。

 ベッドが据えてある壁を見て、悠人は無性に淋しくなった。



 バイルシュミット氏からの誘いを受けてエルネスタと一緒に北部の魔術学校へ行けば、離れることはなかった。

 だが、それはエルネスタの望むことではなかったし、悠人も違うと感じていた。

 だから、今こうして淋しいと感じていても、自分の選択が間違っていたとは思っていない。

 あれからエルネスタは、二人の部屋がくっついて異世界が繋がってしまっている状態を元に戻す方法を見つけた。悠人の部屋が異世界を繋ぐ『扉』の役割を果たしていたため、開いた扉を閉じるだけで元の通りには戻せることがわかったのだ。

 本来、エルネスタの『良縁』の相手であった悠人が召喚されるだけだったはずの魔術が、悠人の世界ごと召喚してしまう魔術になってしまっていたらしかった。


「『扉』で繋がっていたことがわかったんだから、また『扉』を開けたらいいのよ」


 一旦別れ、部屋を元通りにする段になって、エルネスタはこともなげにそう言った。

 エルネスタは寮を引き上げ冬の休暇中は実家に帰り、休暇が空けてからバイルシュミット氏に招かれた学校へ行くとのことだった。

 魔術従士になったエルネスタのお祝いを村をあげてやってもらうらしい。エルネスタの研究は、やがて彼女の村の農業などに還元されることになるため、村の人々は大いに喜んだということだった。

 みんなの期待を背負って王都に上った少女は、見事やりきったのだ。その手伝いができたことを、悠人はとても誇らしく思った。

 ヘンリエッテとニコルも、エルネスタを追って北部へ行くのだという。エルネスタと同じ学校で、彼女たちは教員として働くことになったのだ。働きながらお金を貯めて、いつか二人の店を出すつもりらしい。


「人に勉強教えるなんて真っ平なんだけど、働かなくちゃいけないからね。でも、北部は薬になる植物が豊富だからいいや」


 教職に就く人間の口からは聞きたくないようなことをニコルは言っていた。だが、友人思いのこの子なら良い教師になるだろうと悠人は感じていた。


「ヘンリエッテが先生なんて……破廉恥だっ!」


 自分の彼女のめでたい門出にそんなふざけたことを言いながら、翔太は泣いていた。一時の別れが悲しくて泣いているのだと思っていたヘンリエッテは呆れたが、それでもそのふざけた彼氏を嫌いにはならないようだった。

 そんな翔太は、バイルシュミット氏に褒められたのに気を良くして、あの日以来『魔術ではない何らかの力』を磨くための修行を始めた。

 のせられやすい質なため、悠人が「それって超能力なんじゃね?」と言ったことでスプーン曲げなどの練習に取り組み、数日で軽く撚れるようになってしまった。

 そんなふうに、みんなそれぞれの道を歩みはじめていた。


「ユート、不安? 大丈夫よ。きっとすぐ会いに来るわ。あたしを誰だと思ってるの? 天才エルネスタよ!」


 淋しさを堪えた悠人の顔を見て、エルネスタはそう言って笑った。

 そして、呪文を唱えた。

 光の扉が現れて、それがゆっくりと閉まるとき、ほんの少し唇が触れるほどのキスをして二人は別れた。

 本当はもっと手を握り合ったり抱きしめ合いたがったが、また会えるーーそう思うからこそ、別れはあっさりしたものにした。


「さて、じゃあ行きますか」


 悠人は、かねてより準備していたことを実行するために壁に向かった。

 バイトを終えて帰宅する頃には日付が変わっており、今はまさにクリスマスの真夜中。

 まるでサンタクロースみたいだなと思いながら、悠人は壁にチョークで何か書き始めた。





「……寒い」


 寮の自室のドアを開け、エルネスタはそう呟いた。

 先ほどまで講義室にいたため寒さはあまり感じなかったのだが、朝出ていったきりの自室は冷え冷えとしていた。


「こういうときは、エアコンが恋しいわね」


 つい言ってしまってから、その素直ではない物言いにエルネスタは苦笑した。本当に恋しいのは、暖かい部屋ではなくそこで待つ人なのに。

 この北部の魔術学校に来てから、もう一年が経つ。つまり、悠人と離れてから一年経つということだ。

 この前、こちらの世界の聖人誕のパーティーが済んだから、もうすぐ悠人の世界はクリスマスだろう。

 ご馳走を食べたりプレゼントを交換したりという、家族や恋人と過ごす楽しい行事があるのだと最後に会ったとき翔太から聞いていた。

『この格好をすると悠人が喜ぶよ』と、やや丈が短い真っ赤なワンピースの絵ももらって、クリスマスに間に合うようにと用意していたのだが……肝心の会いに行くための術を見つけられずに一年が経ってしまっていた。

 本当なら、去年のクリスマスは一緒に過ごすつもりだった。そのときは、すぐにまた扉を開けることができると思っていたのだ。

 だが、実際は異世界への扉はそう簡単に開くものではなかった。

 何より、バイルシュミット氏の誘いに応じて北部の学校に来てからはとにかく忙しく、自分の扉を開くための研究に割く時間をなかなか得られずにいたのだ。

 エルネスタは魔術従士とは自由度の高い立場なのかと思っていたのだが、やはり出資者(スポンサー)の意向というものに研究テーマは左右されるものだとわかった。氏のもっぱらの関心は魔術の陣や呪文を絵文字に簡略化する技術で、日々の時間はその研究に費やされている。その上、教員として授業をいくつか持たせてもらっているため、実質自分の時間はないに等しかった。

 それは、ずっと夢だったことが叶って、充実しているはずの日々だ。

 エルネスタは今の自分の状況がすごく恵まれていることはわかっている。それでも、やはり離れ離れになった恋人に会いたいと思うのは仕方がないことだった。


「……ユートのご飯が食べたい」


 外よりは暖かいとはいえ、悠人の部屋ほどは暖まらない部屋にいるせいか、一層彼の作ってくれる料理が恋しくなった。

 手際よく食材を刻む手つきも、無駄のない動きで炒めたり鍋をかき混ぜたりする様子も、すべてが魔法のようで見ていると引き込まれた。そして何より、あの大きな手が生み出す料理はどれもすごく美味しくて、優しい味がしたのだ。

 エルネスタはあれからどれだけ手の込んだ豪勢な料理を食べても、悠人が作ってくれたものほど美味しいとは思えなかった。

 その理由をじっくりと考えて、エルネスタは好きな人が作る料理はどんなご馳走よりも特別なものなのだとわかった。

 わかると、余計に恋しくなってしまったのだが。


「……会いたい」


 ベッドに横になり、毛布に包まると、エルネスタはそっと鼻をすすった。

 こうして弱音を吐くのはもう何度目になるかわからない。

 悠人と離れ離れになってから、幾度となく泣きながら夜を過ごしてきた。

『きっとすぐ会いに来るわ。あたしを誰だと思ってるの? 天才エルネスタよ!』

 そんなふうに強気でいたのが嘘のように、今のエルネスタは弱っていた。会いたい気持ちは募るのに、会いに行く術は見つからない。時間ばかりがいたずらに過ぎていく。

 そうすると、ふいに不安になるのだ。

 会いたいと思っているのは、自分だけなのではないかと。

 そんな不安を口にすれば、ヘンリエッテやニコルは「そんなはずはない」と言ってくれる。会いたいと思い続けていればきっとまた扉は開くと、二人は言ってくれるのだ。

 それにニコルは、「男のほうから迎えにくるのが筋ってもんでしょうが」とも言っていた。

 そう言われて、エルネスタも確かにそんな願望があることを自覚した。お姫様願望なんてないつもりだったし、悠人が王子様でも、ましてや魔術師でないこともわかっているのに、つい想像してしまうのだ。

 頑張って頑張って方法を見つけ出して、悠人がこの壁の向こうからやって来てくれることを。

 こっそりエルネスタのために素敵なドレスを用意してくれたときのように。キラキラのとびきりの魔術を練習していてくれたときのように。

 本当は大変だったはずなのに、そんなことをあまり面に出さずに笑いながら会いに来て欲しい――そんなふうに、もう何度も何度も想像していた。

 ほとんど毎晩、そうして悠人が会いに来てくれる想像に心を慰めながら眠りに就くのだ。

 だから、聞こえてきた懐かしい声も、会いたいあまりに聞いてしまった幻聴だと思った。


「……あれ、寝てる?」


 そんな声とともに、部屋の中に誰かが入ってくる気配がした。毛布に包まっているからよくわからなかったが、おそらくドアは開いていない。気配は壁際、つまり寝ているすぐそばにある気がした。


「ユート……!」

「びっくりしたー! 何だよ、どっきりか! 俺が来るのわかってたのか!?」

「そんなわけないでしょー!」


 エルネスタが毛布からガバリと顔を出すと、そこには悠人がいた。彼の背後には、扉の形に壁がすっぽりなくなっている。というより、本当にそこにドアがあった。ドアの向こうには、電灯の明るくともった部屋が見える。

 

「……あれ、ユート? 本物?」

「偽者に見えるか?」


 信じられない気持ちでエルネスタは目の前の悠人を見つめていたが、少し照れたように、でも嬉しそうに笑う彼の顔を見て、夢ではないのだと理解した。理解するともっと確かめたくなって、そっと手を伸ばしてみた。それを受け止めて、悠人はエルネスタの体を毛布ごと抱き寄せる。


「遅くなってごめん、エル。一年かかっちまった」


 抱きしめられた腕の中、耳のすぐそばでそう囁かれて、エルネスタは何も答えることができなかった。

 嬉しくて、胸がいっぱいで、すぐに言葉が出てこない。

 だが、それを悠人は別の意味で捉えたらしい。


「エル、怒ってるか?」

「……そんなわけないでしょ!」

「よかった。って、泣いてんのか。しょうがねぇな」


 ホッとしたような声に、エルネスタは悠人も不安だったことを知った。離れていた時間が辛かったのは自分だけではないとわかって、さらに喜びがこみ上げる。


「……すっごく会いたかったんだから」

「俺も」

「不安だった。なかなか会いに行けなくて、その間に悠人の気持ちが変わっちゃったらって思って……」

「俺のほうこそ……エルはとっくに扉を開ける方法を知ってんのに、俺が来るまで待ってんのかなとか、待たせたら愛想つかされるかなとか、いろいろ考えたよ。でもさ、あのワンピ見たら、杞憂だったってわかった」

「あ……」


 悠人はエルネスタを抱きしめたまま、壁にかけられている赤いワンピースを見ていた。悠人の世界では馴染みのあるその衣装を見て、どうしてもにやけずにはいられなかったのだ。

 気づかれたことが何だか恥ずかしくて、エルネスタはしばらくどうしようか悩んだが、意を決して悠人の腕から抜け出す。


「クリスマス、一緒に過ごしたくて用意してたの……本当は一年前のクリスマスに、あれを着て会いにいくつもりだったんだけど。……今年のクリスマスには間に合ったかしら?」

 

 エルネスタの世界の暦と悠人の世界の暦は同じではない。だから聖人誕の少し後ということ以外自信がなかったのだ。

 だが、笑って頷く悠人を見て、エルネスタはホッとした。


「大丈夫。ちょうど今夜がクリスマスだ。バイトが終わってからいろいろ用意したから遅くなっちまったけど、今から俺とパーティーしてくれないか?」

「うん!」


 エルネスタは、嬉しくなって大きく頷いた。もう、涙もすっかり乾いてしまっている。

 その笑顔を見て、悠人はまた笑みを深くした。泣いている顔も、高慢ちきな表情も可愛いが、やっぱり笑顔が一番だと思ったのだ。


「じゃあさ、あれ着てよ。絶対可愛いから」

 

 悠人は、壁にかけられたワンピースを指差して言った。元々着るつもりだったのに、エルネスタは頬を真っ赤に染める。一年ぶりに会ったのに、悠人はどこまでもまっすぐだったからだ。

 それを嬉しいと思いつつも、エルネスタはなかなか素直になれずにいた。


「じゃあ、今から着替えるから見ちゃダメよ!」

「見ねーって」


 照れてしまって、エルネスタは悠人の背中を押して部屋から追い出してしまった。

 だが、悠人はそれに怒った様子もなく笑っていて、その余裕な様子にエルネスタはさらに恥ずかしくなってしまった。

 ドアに背を向けて、悠人は念のために両手で目隠しまでしている。絶対に見てないからと言いたげなその背中が愛しくて、エルネスタはいそいそと一年前に用意していたワンピースに袖を通した。


「もう目を開けていいわよ」


 近くからそう声をかけられ悠人が目を開けると、ミニスカサンタなエルネスタがそばに立っていた。


「可愛いでしょ! ショータに『俺たちの世界には、十二月二十五日は女の子が赤いミニワンピを着て彼氏の枕元に立つっていう素敵なイベントがあるんだ』って教えてくれて、この服の絵までくれたのよ! それを元にヘンリエッテが作ってくれたの!」

「ああ……可愛いよ」


 翔太の奴めと心の中で突っ込みながらも、悠人はエルネスタを見てニンマリした。いつの間にそんなデタラメ吹き込んだんだとは思ったが、半分以上は感謝したい気持ちだ。


「それで、何だっけ? プレゼントをあげるのよね? 魔術である程度のものなら出してあげられるわよ」


 サンタ娘は得意げな顔で悠人に微笑んだ。クリスマスの解釈としてあっているような間違っているような不思議な気分に悠人はなったが、もうそのドヤ顔を見ているだけで気持ちは満足していた。


「ささ。何でも言ってみなさい!」

「それならさ、一緒に暮らそうか」

「え?」

「だから、プレゼントっていうかお願いなんだけど、俺と一緒に暮らさないか? って言ってるの」


 悠人の言葉に、エルネスタは顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。だが、その顔を見れば答えがイエス一択なのは明らかだった。


「……そんなの、お願いでもプレゼントでもないじゃない。いいの?」

「もちろん」

「というより! 本当はこの日のために準備してたんだから! 何で先に扉開けちゃうのよ!」


 照れ隠しにエルネスタは、ポカポカと悠人の体をぶった。だが、そんなことをされても悠人はニヤニヤするだけで、より一層エルネスタは顔を赤くしなければならなかった。


「会いたかったから仕方ないだろ」

「……あたしもよ」


 照れたエルネスタをジッと見つめ、悠人は少しずつ顔を近づけていった。だがーー


「あ! ご馳走だー! そういえばショータに、今日はご馳走を食べる日だとも聞いてたんだったわ!」


 せっかくいい雰囲気になったのに、照れ臭さに耐えられなかったエルネスタは悠人から素早く距離を取り、丸テーブルの上のご馳走目がけて駆けて行ってしまった。

 扉を開ける前に、チキンの丸焼きをオーブンで温めておいたのだ。おまけに、バイト先の店主が気を利かせて買ってくれていたホールケーキまである。

 お腹が空いていたエルネスタは、ご馳走を前に目を輝かせていた。

 それを見て、悠人はため息をつきつつ、「チキンは温め直して、スープも作ってやるかな」などと考えはじめたのだった。



 そんなわけで、地上の光が月の光も見えなくするほどきらめく夜。

 繋がるはずのなかった二つの世界の二人が、またこうして同じ時を過ごすようになったのだった。

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