第12話


 翌朝、肌寒さを感じて悠人は目を覚ました。


「……そっか」


 頭の下に感じるいつもと違う感触に、膝枕をしてもらっていたことを思い出す。見上げると、エルネスタはそのままの姿勢で目を閉じていた。マントを悠人にかけてやっているため、白いブラウスの肩が寒々しい。

 悠人は急いで立ち上がって、エアコンをつけた。マントをエルネスタの肩にかけてやりながら、少し迷って、そのままでは可哀想なので抱き起こすことにした。膝裏と肩甲骨の辺りに腕を滑らせ持ち上げる、いわゆる『お姫様抱っこ』を試みたのだが、意識のない人間を運ぶのはなかなか難しい。当然と言えば当然なのだが、悠人にとって初めてのお姫様抱っこだった。普通に生きていればなかなかする機会などない。

 気を抜くとお尻からズボッと落としてしまいそうになるのを堪えて、悠人は何とかエルネスタを自分のベッドまで運んだ。悠人の初めてのお姫様抱っこは、とても絵にならない不恰好なものだった。


「……これは、まずいな」


 この部屋のほうが暖かいだろうというだけの考えで自分のベッドに運んだのだが、シチュエーション的に何だかまずいことに気がついた。

 悠人はエルネスタに毛布をかけてやろうとしているのだが、見方を変えると、今からまさに女の子の寝込みを襲う図に見えなくもない。しかもこれだと、そのために自室のベッドに連れ込んだようにも見える。

 起きないでくれよ起きないでくれよ起きないでくれよ――エルネスタの無垢な寝顔を見ながら心の中で念仏を唱えるように呟いて、掛け布団をかけてやろうとしていたそのとき。


「……」


 エルネスタの目が、ぱっちりと開いた。


「……きゃーっ‼︎」

「ち、違うんだこれはっ!」


 そしてエルネスタは悲鳴と共に張り手を繰り出し、悠人の横っ面を思いきりはたいた。弁解も虚しく、悠人はそのまま飛ばされていった。

(こんなことなら、寝顔にキスぐらいしとけばよかった)

 床に倒れこんだまま、そんな不埒なことを悠人は考えたが、ベッドからエルネスタの殺気を感じて、急いで姿勢を正した。


「エルネスタさん、これはですね、ただ布団をかけようとしていただけで他に意図は……」

「何であたし、ユートの部屋のベッドにいるの?」

「いや、それは、昨夜膝枕をしたいただいたままの姿勢で寝ていらしたので、運ばせてもらったんです」

「……何で、ユートのベッドなの?」

「この部屋のほうが暖かいだろうって思ったんですよ。俺に一晩マントを貸しててくれたせいでエルさんの体は冷えてましたし」

「……本当にそれだけ? スケベ心は?」

「……ないって言ったら嘘になりますけど、そういうんじゃ……」

「ユートの馬鹿っ!」


 馬鹿正直に下心を申告した悠人に腹を立て、エルネスタはゴロゴロと転がってそのままカーテンをくぐり抜け、自分の部屋のベッドへ行ってしまった。その後しばらくごそごそしていたが、怒りが収まらなかったのか部屋を出て行く気配がした。

 扉が閉まる音を聞き、悠人はとてつもなく気まずく、淋しい思いがした。

 好きだと気づいた途端、これだ。

 だが、「いやいや、俺って紳士だからお前の寝姿を見ても全然平常心ですけど?」と言えばよかったのかといえば、そうではないことはわかる。


「昨日は……いい感じだと思ったんだけどなぁ」


 そんなことを言いつつ膝枕の感触を思い出そうとしていたが、そのシチュエーションで思いを伝えるのも微妙な気がして悠人は困惑した。


『好きになった子がいます。その子となかなかいい感じな気がします。この場合の理想的な告白のシチュエーションと言葉とは?』


 疑問符とともに、そんな問いが頭に浮かぶ。だが、この問いに対する適正解が悠人にはわからない。




 部屋を出たエルネスタは、廊下を疾走していた。元々つり気味の目をさらに釣らせ、顔を真っ赤にして走っているが、それは怒りによるものではない。

 エルネスタは、恥ずかしかったのだ。

 昨夜、大胆にも悠人に膝枕をしてやったのだが、本当は頃合いを見てまた魔術でベッドまで運んでやるつもりだった。ところが、慣れないことをしたものだから足が痺れてしまい、動くことができなくなったのだ。

 悩んだ結果、まぁこのまま朝になっても大丈夫だろうと思って寝てしまった。朝になれば悠人が膝から頭をおろし、そのときになれば目が覚めるだろうと。

 ところが、エルネスタが目覚めたのは悠人のベッドの上で、しかも悠人が自分の寝顔を覗き込んでいたのだ。何の用意もなく寝顔を見られてしまったことに乙女心はいたく傷つき、羞恥し、そしてエルネスタは悠人を張り倒した。

(どうしよう。殴っちゃったわ)

 走りながら自分の行動を思い出して、エルネスタは泣きたくなった。焦ったとはいえ好きな人を殴ってしまうなんて、あまりにも乱暴すぎる。

 廊下に人がいないのをいいことに、エルネスタは本当に泣いてしまおうかとも考えた。だが、ギリギリのところでそれを堪え、ヘンリエッテの部屋へ飛び込んだ。


「あら、おはようエル。どうしたの?」

「……エル、顔赤い」


 ノックもなしに飛び込んできたエルネスタを、ヘンリエッテは咎めなかった。自室のように寛いでいるニコルは、エルネスタの様子のおかしさにいち早く気がついた。


「エル、どうしたの?」

「えっと……ユートを殴っちゃって、それでショックで、走ってきたの」


 ニコルの問いにそう答え、エルネスタはへなへなとその場に座り込んだ。


「どうして殴ったりなんてしたの? 喧嘩なの?」

「違うの……朝起きたらユートのベッドにいて、それでびっくりしちゃって……」


 ヘンリエッテに説明するために今朝の出来事を始めから話そうとして、エルネスタはこの言い方だと誤解を招くと気がついた。だが、気がついてももう遅い。


「……ケダモノめ!」


 鼻の頭に皺を寄せ、猛犬の如く怒りを露わにするニコル。


「何てことなの! ……ああ、待って。これはおめでとうと言うべきなのかしら……」


 頬を染めて興奮し、目を輝かせるヘンリエッテ。


「あ! 違うの! そういうことじゃなくて、昨日、ユートが何だか元気がなかったから、それで膝枕をしてあげたんだけど」


 誤解を正そうと情報を追加するが、真実を話したところでさらなる混乱を招くだけだった。


「膝枕だと⁈」

「何て大胆なの……!」

「や、やめて! そんな言い方されると恥ずかしい!」


 冷やかすわけではなく心底驚く二人に、エルネスタは自分のしたことを改めて考え、恥ずかしくなった。想いを告げてもいない相手に膝枕をするなど、ヘンリエッテの言うとおり大胆にもほどがある。


「それで、告白はしたの? 膝枕って、こう、いい雰囲気になったからしたのよね?」


 友人の恋の成就を願ってやまないヘンリエッテは、わくわくした様子で尋ねてくる。


「ううん、えっと……そのままユートは寝ちゃって……」


 エルネスタは言いながら、ヘンリエッテが見る見るガッカリ顔に変わるのを見ていた。あたしだってガッカリよ――そう言いたかったが、昨夜からの流れをぶった切ったのは自分だと気づいて口をつぐんだ。


「……全く、世話の焼ける人たち」


 呆れたのか、ニコルはそう言って部屋を出て行ってしまった。

 残された二人は顔を見合わせて、そして脱力した。


「まぁ、タイミングを逃しちゃうことってあるわよね。……って、エルは告白する気、ないんだったわね」

「……わかんない。もう寝る」

「そうね、寝なさい」


 朝早くにニコルに起こされて眠かったのもあり、脱力したヘンリエッテはもう一度ベッドに入り直した。エルネスタも体を丸めて、ソファに沈み込むように横になった。



 ヘンリエッテの部屋を出て、ニコルはエルネスタの部屋に向かっていた。正確に言うと、カーテンの向こうの、悠人の部屋へ。

 最初に話を聞いたときから、ニコルはエルネスタが『良縁を引き寄せる魔術』に失敗したとは思っていなかった。実際に悠人に会ってみてからは、魔術はうまくいったと確信していた。つまり、当の本人が露ほどもそんなことを考えていなかったときから、ニコルは悠人がエルネスタの『運命の人』だと考えていたのだ。

 だから、放っておけば自然とくっつくだろうと思っていた。

 だが、見守っていたところでジレジレで、あの二人はくっつく気配を見せなかった。その上、時間制限があることに本人は気づいていない。


「邪魔するよ!」


 ニコルはエルネスタの部屋に無断で侵入すると、そのままズンズン進んで行って、滅多に出さない腹に力を入れた声を出しながら乱暴にカーテンをくぐった。


「え? ニコル?」

「ちょっと話をしに来た」

「え?」


 講義まで時間があるのをいいことに、朝の出来事の傷心を引きずりながらダラダラと朝食を食べていた悠人は、突然のニコルの来訪に戸惑った。しかも何だか怒っている。怒っている原因として考えられるのはやはり朝の出来事で、だから悠人はどう弁明しようかと頭を悩ませていた。

 ところが、ニコルの口から出たのは、悠人が全く想定していなかった言葉だった。



「ねぇ、ユート。エルのこと好き?」

「え?」

「エルのことが好きかって聞いてるの」


 うやむやな返答を決して許さないというその尋ね方に、悠人はすぐには言葉が出なかった。だが、目の前のニコルがあまりに真剣で、ここで照れたり恥じたりするのは違うと思い、頷いた。


「好きだ。昨日、そう気づいたばかりで、まだその気持ちに自分でも戸惑ってるけど。でも、間違いないって言えるよ」


 本人に向ける告白ではなかったが、真剣に問われた分だけ真剣に悠人は答えた。そんな悠人を確かめるようにジッと見つめていたニコルだったが、気が済んだのか、いからせていた肩を下げ、いつもの様子に戻った。


「ま、好きなのは知ってたから聞くまでもなかったけどね。……気づくの遅すぎ」

「え? そうなの? 俺、そんな素振りあった?」

「素振りとかそんなんじゃない。私にはわかるの」

「そ、そうなのか……」


 悠人の隣に座ったニコルは、肩をいからせてはいないが不機嫌ではあった。女慣れしていない悠人にとって、泣いている女の子の次に相手にしたくないのが、不機嫌な女の子だ。

 ニコルの来訪の理由を知らない悠人は、ただただ彼女を持て余した。


「別にね、あなたに『エルに早く告白しなさい』とか言いにきたわけじゃないの。――むしろ、逆かも。好きなら、あなたにとって辛いことを告げに来たの。エルも気づいていない、重大なこと」


 しばらく思いつめた顔をしていたニコルだったが、意を決したように口を開いた。その言葉の真意をわかりかねて、悠人は何も言えずにいる。


「エルが魔術従士を目指してるのは知ってるよね?」

「うん。なれるように協力しようって思ってる」

「……そう。でも、ユートはエルが魔術従士になるってどういうことかわかってないよね? 従士になるってことは、有力者の援助を受けて、仕事として魔術を研究するってことなの。それはつまり、学院を卒業するってことよ。わかる? エルはこの部屋を出て行くのよ」


 深刻な表情でニコルはそう言ったが、悠人はまだ、その言葉の意味を理解していないようだった。きょとんとしたその顔を見て、ニコルはさらに言葉を続ける。


「異世界への出入り口なんて、そうポンポン開くもんじゃないんだよ。気になって調べたけど、こんなに安定して行き来できるなんて話、そうそうないみたい。……かなり不確定要素があるってことなの、この状態は。それで、エルが従士になってこの部屋を出て行くときは、元通りにしてなきゃいけないでしょ? つまり、この偶然できてしまった異世界との繋がりも、断ち切らなきゃいけないってこと」

「……え?」

「エルがここを出て行くときが、あなたとエルのお別れでもあるってことだよ」


 そこまで言われてやっと、悠人はニコルがここへ来た理由を理解した。理解して、いよいよ言葉が出なくなった。


「それでも、エルの研究に協力してくれるの? うまくいかないほうが、二人とも幸せかもよ?」


 黙っている悠人に、畳み掛けるようにニコル言った。この子、こんなにしゃべるのか、などと関係ないことに驚きながら、悠人はニコルの言ったことについて考えた。

 朝は痛烈なビンタを食らってしまったが、悠人がエルネスタを好きなように、エルネスタもまた自分を憎からず思っているのは感じた。これは、自惚れではないと思う。

 お互いの気持ちを考えて、悠人の心は揺らいでいた。夢と恋、それらを天秤にかけるというのは、気持ちに気づいたばかりの悠人にはあまりにも酷だった。

 だが、少し悩んでから、悠人はきっぱりとした様子で首を振った。もう、覚悟は決まっているという顔だった。


「俺はそれでも、エルネスタの夢を応援したいと思う。だって、ずっとなりたいって思ってたんだろ? 努力してたんだろ? なら、叶えるべきだ。俺はあの子が好きだし、向こうもたぶんそうだ。でもきっと、一緒にいることだけが想い合うってことじゃねぇよ。『良縁』って、何も結ばれるだけのものじゃねぇよ。俺は自分が、エルの夢を叶えるための『良縁』だったってことでいい。あの子がそれでこれから先長いこと笑っていられるなら、それでいい」


 悠人は、そう一気に言い切ってしまった。

 おそらくこれは、エルネスタ本人が聞くことは決してないのだろうと思って、ニコルはしっかりと聞いた。聞き届けることが、自分の役割だと思ったのだ。


「……ありがとう、ユート。あなたの覚悟を聞くことができて、よかった」

「こっちこそ、ありがとう。教えてもらわなかったら、俺は何も知らないまま過ごすことになったから」


 立ち上がったニコルは手を差し出し、悠人はそれを握った。そして、固い固い握手を交わした。


「ユート、あの子の夢を叶えるって約束してね」

「うん、もちろんだ」

「私は、異世界の出入り口を開く魔術を必ず見つけてみせる。……魔術薬学が専門だから、時間かかっちゃうかもしれないけど」

「頼りねぇな。……頼んだぞ」


 ニコルはただ頷くだけで、そのまま去って行った。その後ろ姿を見つめながら、悠人は約束は必ず守ろうと、そう改めて思った。


 見つけたばかりのこの恋を手放してしまうのは、本音を言えばすごく辛い。だが、エルネスタに言われたことを思い出すと、悠人は何だかやれる気がした。


 愛したことが、愛することが、無駄だなんて思わないで――その言葉を噛みしめて、悠人は覚悟を決めたのだ。


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