Bloom

「これこれ! これがほしかったんだよ~」


 イオンに着いた瞬間、アクセサリー売り場にどーんと飛びつくユキの姿があった。冬休みだからだろうか、のんびりとした人混みがみられ、暖房が眠気を誘う昼下がりのなか。

「どれどれ……、げえっ! こんなするのかよ」

 ぼくはまず目玉も飛び出るほどの価格様におどろかされた。それはスノードロップの花をあしらったという、したたり落ちる雫のような緑と白の耳飾りなのだが、大人がつけるようなもので、ユキみたいなお子様にはまだ早いかもしれない。いや、ある意味似合うかもしれないけれど、それにしたって、この値段じゃあな……。

「あのね、ユキのおこづかいだけじゃ、どうしても足りないの。でもケー兄なら買えるでしょ?だ・か・ら、お願いっ♪」

「いや、悪いけど、これはちょっと……。他のも見てみな?」

 やんわり断ろうとしたぼくを、見るだけでも心痛むような、かなしい表情が襲う。

「これがいいの……。これじゃなきゃやなの。他のも見たけど、これよりかわいいのはどこにもないよ。これね、一個だけしか置いてないの。早くしないと、ほかのお客さんに買われちゃうかもしれない。もうケー兄だけが頼りなんだよ……こんなこと、ケー兄しか頼める人いないよ……。ねえお願い。ほら、かたっぽつけてみるから。ね? どう? いいでしょ?」

 ユキは蝶のような黒いリボンで左の髪を留めているのだが、いまその髪をちょっともちあげ、例の耳飾りをあてがいつつ、極上の笑顔を披露している。

「ああ、確かにかわいいなあ、その仕草が」

「えへへ、ありがと。じゃなくって! もぉ~ケー兄のわからずや!」

 いや、わかるよ、画竜点睛というべきか、収まるべきところに収まって、急に輝き出すような印象を受けるのは。全体的に白いから主張しすぎることもなく、まとまった印象を与えつつ、ユキの見た目をより女の子らしく、おしとやかに変えてくれるアイテムだ。水を得た魚もぎょっとするのではないか。しかしこんな高額商品をいきなりねだってくるなんて、お兄ちゃんは妹の将来がとても心配です。

「う~ん……。買ってやりたい気持ちは山々なんだけど、お金がなあ……」

 決して自慢するわけじゃないが、しがない高校生でしかないぼくには経済力などまるでない。資本主義の怪物イオンの前には無力も同然である。まあ、例の実験に参加した報酬としていくらかの金は手に入りそうだが、まだ振り込まれていなかった。

「えぇー……。しょぼーん……。ううぅぅぅ……、ケー兄ぃ……、ほしい、ほしいよぉ……。ほしくてたまらない……。がまんできないよぉ……。ひっぐ、ふぇぇぇぇん……」

 いわゆる有名な「ふえぇん現象」というやつで、その痛ましさのあまり、ユキを中心に気温が上昇しているのを感じる。周りから吹き下ろされてくる視線に、なぶられたように頬が熱い。

「泣くな、泣かないでくれ、こっちまで悲しくなる。パフェおごってやるから、今日はそれで我慢しよう。な?」

「やーだ! 今すぐほしいの! ねえお願い買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買ってっ……げっほげっほげっほ、ふぐぅ……」

「おい、大丈夫か」

 突然ユキが胸をかかえて床にうずくまったので、心配になって背中をさすれば、

「く、くるしい、胸が……」呼吸が荒くなっている。普段は頑是ない妹なのだが、実は喘息の持病があって、あまりの無茶は禁物なのだ。

「しっかりしろ。まったく、身体弱いのにだだこねようとするからだよ。しょうがないな……ほら、立てるか? 無理ならここでおんぶするけど」

「う、うん、もう平気。でも、でも……」

 幸いすぐに発作は落ち着いてくれたようだが、やっぱりユキはまだどこかおかしく、青菜に塩をふったようになってしまった。

「ごめんな、こんなふがいないお兄ちゃんで。ああ、金さえあればなあ、金さえあれば……」

 二人でしっぽりできるのに。

「そ、そうじゃなくてっ、えっと……。おんぶ……」

「え?」

 聞き取れないぐらいだったが、かぼそい声で、ユキはもう一度口にした。

「……おんぶ」

「って、もう平気なんじゃないのか?」

 すると今度は胸ではなくて、なぜかおなかをさすりはじめるユキ。

「……っ、いたたたたた、うぅ~~」

「…………」

 ま、いいか。

 ほらよと言って背中を向ければ、わぁいと小声で叫びながら、ユキが颯爽と飛び乗ってくる。

転んでもただでは起きない主義なのか、まるで吸い尽くそうと言わんばかりに足をからませてくるのがちょっとあれだが、とにかく元気があるのはいいことだ。これで機嫌が直るんだったらこんなに安いことはないが……そう考えたときになにかがちくりと胸を刺す。

「じゃ、パフェ食いにいこっか」とぼくは気持ちを切り替えて言った。

「う、うん、……あのね、やっぱいい」

「え、なんでだよ?」

 ユキは頭上で歳末バーゲンのお知らせが止むのを待って話しだす。

「だって、お金ないのに無理にねだっちゃって、ケー兄、いやだったかなって……。だから、がまんすることにした」

「ユキ……」

 背中をぎゅっと握られる。

「ごめんね、ケー兄。ほんとはもっとたくさんかわいがってほしかったから、あの耳飾りがあればなって思ったんだけど。ユキのバカ。迷惑かけちゃった。意地っ張り、もうやめるから」

 意地っ張りねえ。

 誰に似たんだか。

 ほんとにばかなやつだよな。

「……ったく、あーあ、なんかパフェ食いたくなってきたなあ」

「ケー兄?」

 ぼくの足取りは重くなく、むしろ羽が生えて軽快になっていた。

「それもとびきりでっかいやつ。上の階にあってね、好きなんだよ。あーでも、一人じゃ一個でも食べきれないかもなあ。悪いけどユキ、手伝ってくれる?」

 しばらくして、くふふ、と明るい笑みがこぼれる。

「なにそれぇ。ま、ケー兄がそう言うならしょうがないけど……特別だからね?」

「ありがと、助かるよ」

「うんっ。あ~、ケー兄のおんぶすきぃ……おちつく……」

 肩口に首をあずけて耳元で囁かれると、ぼくも悪い気はしなかった。さらさらの髪の毛先が肌にふれ、くすぐったいけれど、ふわふわのスポンジケーキに苺をのっけたみたいに、いいにおいがするんだ。こういうのって少し恥ずかしいだろうか。でも、構わない。構わないっていいことばだなあ。人の目なんて気にせずに、ぼくたちは好きなところへ行こう。

「……ずっと、一緒にいてね、ケー兄」

 ぼくはうなずく。ユキと一緒なら、どこへでも行けるような気がする。

 そう思い、静かに上昇していくエレベーターに乗っているときだった、こんな兄妹愛を無常にも引き裂く、とあるアクシデントに途中の階で見舞われたのは。

「……あ」

 ドアの開いた瞬間、それまでゴキゲンな鼻唄を口ずさんでいたユキが虚を衝かれたような声を発し、それと同時に容赦なく背中で暴れだしたので、何事かと思いながら降ろしてやると、なんだか目が泳いでいて、口元も異常に引きつっている。いったいどうしたのか? その理由は直後に乗り込んできた一組の家族連れが全て明らかにした。

「あ、ユキちゃん。久しぶり~」

 ユキに声をかけたのは、家族連れの中の小さな子ども、髪の短い、ユキと同い年ぐらいの子どもである。そのやわらかな声は狭いエレベーターにあってよく響いた。

「ミ、ミドリちゃん、偶然だね、こんなところで会うなんて」

 会話から察するに、二人は知り合いらしい。が、ユキのほうでは隠しきれない動揺が全身に表れていて、そこはかとなく一触即発の気運ムードを感じる。

「きょうは家族とお買い物なの。ユキちゃんも?」

「うん、ま、まあね。うちはこぉんな、アニキひとりとなんだけど」

「お兄さんと……?」

 ミドリちゃんというらしい、おっとりとした雰囲気の子どもが、そこでぼくの顔を一瞥し、なるほどとうなずいて、横にいる両親ともどもはじめましてと頭を下げてくるのだが、ぼくはなんとなく空気を読んで、その後エレベーターが一行を降ろすまでのあいだ、口を開かないことにする。完全に固まっているユキに向かって、ミドリちゃんはかわいらしく手を振っていた。

「じゃあ、また」

「あ、うん、また遊ぼうねー」

 ドアが閉まり、再度ゆっくりと動き出す。ユキも動き出す。

「…………うあぁぁぁぁぁぁぁ! わあぁぁぁぁぁぁぁぁ! あぁんもう! なんで! こんな! ときにっ!」まるで服の中にアリでも入れられたかのように全身を振り回しはじめる。「見られたよね? いま、絶対見られたよね? はうぅぅぅぅ……もうだめだ! おしまいだ!明日から学校行けないよ……」

「落ち着け、今は冬休みだ」

「ああそうだった……でもでも! 今度会ったとき絶対なんか言われちゃうよ……どうしようどうしよううわああああん」

 身体中を羞恥に支配され、顔を真っ赤にして、箱が揺れるほどの地団駄を踏むありさまだ。

「へえ、学校ではキャラ作ってんのか」

「そーよ当たり前でしょ。ユキはクラスでいちばんかしこくて、まじめで、学級委員なんだぞ」

 だからさっきはあんな不自然な様子だったんだな。

「そんな優等生が街中でお兄ちゃんにおんぶされてた、と」

「やーめーてーよー!」

 悪いけど、ぼくにとってはなんかおもしろい。

「ところでさっきの子、やたらかわいかったね。仲はいいの?」

「え? うん、まあ……そこそこかな」

「今度家に呼びなよ」

「ええぇ~~~~。い、いいけど……」

「いいけど?」

「……別にぃ」

 またちょっとご機嫌斜めになってしまったユキは、しかしパフェにありついたとたん笑顔に戻ってくれました。こういうところは素直でよろしい。とてもおいしそうに食べてくれるので、甘いものが正直苦手なぼくも、ごちそうしてよかったなと心から思うのだった。

 想像よりもパフェは大きく、また考古学的で、ぼくたちは昔砂場で遊んだように、時間をかけてじっくりと、ひとつの山を突っつき合って掘ることになる。ぼくはりんごのコンポートをフォークで刺しながら、カンブリア紀のむくつけき古生物の話をしてやった。するとユキはさくらんぼの種を吐き出しながら、恐竜を滅ぼしたあの隕石について聞きたがる。まるでデートみたいだが、花ぶちのグラスの中にはつねにあらたな発見があり、いろいろな地層がおなかの中に入っていった。ふと天井を仰ぎ見れば、こちらは糸で吊り下げられてある、天体を模した黒い切り絵がぷかぷかと泳いでいて、なんとも調和がとれている。

「家族とお買い物かぁ……」

 だいたい八合目まできたあたりで、スプーンを指先でもてあそびながらユキがふと口を開く。そのときぼくは、自分たちが食べているのがそろそろパフェではなく、歴史なのではないかという気がしてきて、空席になったあとも椅子でありつづける椅子というものの永遠性をぼんやりと考えているところだったが、ユキの視線はといえば、天井付近で旋回しているプロペラと、その影が横切るところの漆喰の壁とを行ったり来たりしていて、要するに二人して白昼夢を見ていたようだ。しかし先刻の幸せそうな家族の様子を見て、ユキとしてはなにか思うところがあったのかもしれない。

「とーちゃんとかーちゃんが帰ってこなかったら、クリスマスもふたりだね」

「嫌か?」

 ユキは大げさにかぶりをふってみせる。

「いやじゃないよ、全然。でも、なんで勝手に行っちゃったのかなあって」

「忘れるしかないよ、そういう家なんだから。ぼくらはぼくらで、楽しくやっていこう」

 いじわるな質問をした、とぼくは言ってしまったあとに思った。

「そうだよね。……あ、この寒天おいし」

 気持ちを切り替えるようにパフェを頬張ったユキのあどけない顔にほんのりと差す赤みが、ぼくにはなにか見えない発疹をかきむしったあとのように見えてしまった。にもかかわらず、こんなに健気な妹に育ってくれたことが、ぼくはうれしくもあり、せつなくもある。

 ほんとうは今の時期、子どもならみんなサンタクロースにほしいものをねだっていいのだ。ぼくがサンタなら、いい子にしているユキの枕元にそっとあの耳飾りを置いてあげたい。誇り高いサンタクロースは、微笑みだけを残して去る。

 けれどもユキは、ぼくたちは、サンタクロースという仮面が裕福で幸福な家庭にのみ訪れ、育児放棄ネグレクトの家庭には訪れないという、凄惨な真実を知っていた。そしてまた、この事実こそが今のぼくたち兄妹を形作っているということも。

「でも、生きてたら、きっといいことあるよね」

 ユキが自分の手首に巻いてあるぼくとおそろいのミサンガを見つめながらつぶやいたことは忘れない。それは母の機嫌がたまたまよかったときに、なにかの気まぐれで編んでくれたミサンガだった。夢を叶えるおまじない。ぼくたちは困難の中にあっても、小さな希望を信じて生きていく。

 それにしても……とぼくは思う。もし、サンタが本当に実在していたとしたら、オルゴールの流れるこの店で、こうして山盛りのパフェを向き合って食べるぼくたちを見て、いったいどんなふうに思うのだろうか。


 まるでラノベのような関係だと、思われるのではないだろうか。

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