第7話  変身した

 ――かつん、かつん。


 俺は地下へと続く狭いらせん階段を、一段一段、味わうように降りてゆく。

 石壁に反響した足音が耳朶を打つ。

 等間隔に掲げられたかがり火が風になぶられ、ぼうぼうとうなり声をあげている。

 時折地下から吹き上がる湿った空気は、黴と土の芳醇な香りをたっぷりと含んでいた。

 俺はそのかぐわしい大地の息吹を、胸いっぱいに吸い込んだ。


 屋敷の地下深く。

 アリスの父親の書斎は――文字通りの『地下牢ダンジョン』だった。

 魔物を使役するためには、その前提として魔物達を一時的にでも捕らえておく必要がある。

 学問として研究するならば、きちんと腰をすえて集中できる静かな場所が必要だ。

 その二つの条件を満たすとなれば、地下は最適だったのだろう。


 らせん階段を下りきると、数人が並んで歩けるほどの広さの通路がまっすぐ伸びている。

 天井は高い。これなら多少大きな魔物でも連れてこれそうだ。

 左右はいくつかの部屋に分かれた牢屋……というか檻になっており、今は罠にかかった賊どもを片っ端から放り込んでいる。

 さらに奥に進めば、父親の書斎だ。

 しかし、こんな薄暗くかび臭い地下室で、幼少のアリスはどんな気持ちで父親の遺した書物を読みあさったのだろうか。

 俺にはわからない。


 俺はまだ人数に余裕がある牢屋を見つけると、肩に担いでいた荷物をぽいっと放り込んだ。大きな袋だ。


 投げ込まれた袋はどこか角にでもぶつかったのか、「おぼぅっ!?」と珍妙な声を上げ、じめじめした石畳を転げ回った。

 だが、狭い牢獄にはすでに先客が何人も詰め込まれている。

 袋はその中の一人にぶつかり、「狭めぇのに暴れるんじゃねェ!」と思いっきり蹴っ飛ばされた。





「この土エルフ野郎! さァっさとここから出しやがれ! てめェ俺様がどこの誰だかぁ分かってんのかァっ!」


 転げ回っているうちに口を縛ったひもがゆるんだのか、袋の中身――ジークムントが大声で怒鳴り声を上げた。


「土エルフ」……侮辱語らしい。


 だが、正直『この土エルフ野郎!』とか言われても、『このガン黒ホスト野郎!』とか言われてるのと同じくらいピンとこない。

 それなら、『この職歴なしクソ野郎!」とか言われる方がよっぽど堪える。

 あっ……思い出しただけで胸の奥に痛みが……


 思わず、顔をしかめてしまう。

 するとジークムントは、自分の罵倒が効いたと勘違いしたのか、さらに大声を浴びせてきた。


「このクソエルフがッ! 田舎っぺにクセに、生意気に貴族の令嬢なんぞたらし込みやがって! こっちはこの国の役人だぞ? てめぇごとき俺の一声で即処刑台送りだァ!」

「あら。そこに行くのは、ジークムント様、あなたとあなたのお仲間だけでしてよ?」

「ああ!? なんだと!?」


 涼やかな声が聞こえた。

 気がつくと、隣にアリスが立っている。

 その後ろには、影のように付き従うセバスチャン。


「お、アリスにセバスチャン。首尾はどうだ?」

「万事滞りなく完了致しましたわ」

「賊どもは全員収監済みでございます」

「そうか。看守役なんかさせて、悪かったな」

「そんなことはありませんわ。これで、お父様の無念も晴らすことができます。ありがとうございます、ユードラ様」

「こやつらの被害に遭った貴族や商人は数知れません。彼らと団結して訴えを起こせば、必ずやジークムントを縛り首にすることができるでしょう」


 優美な所作で頭を下げるアリスとセバスチャン。

 なんとなくこそばゆい気持ちになった俺は二人から目をそらし、頭を掻いた。


 まあ、なんだ。

 冒険者をおちょくるのもいいけど、人助けもいいもんだ。


 三人で、笑みを交わし合う。


「ク、ククク。よかったなあぁ、これで一件落着、ってかぁ~? いいねぇ、泣けるねぇ」


 声は、牢屋の中から聞こえた。


「……?」


 全員の目が、牢屋の奥に向いた。


「何か、仰いましたか?」

「ああ、言ったぜェ。これにて一件落着。めでたしめでたしィ。小便くせぇメスガキと老いぼれジジイに田舎っぺエルフの大将は、かっこよくて最高に強ォ~いジークムント様にブチ殺されて、牢屋の肥やしになりましたとさ、ってねぇ」

「アリス、コイツ何言ってんだ?」


 ジークムントの拘束はすでに解けていた。牢の奥に、どっしりと座っている。

 俯いているため、その表情は見て取れない。

 くつくつと笑い声をあげ、肩を震わせている。その肩が、やたら広い。

 おかしい。

 明らかに、俺が担いできたときより、デカくなっている。


 最初に異変に気づいたのは、アリスだった。


「……ねえセバスチャン、この牢は何人投獄していたのかしら?」

「ユードラ様がこの者を放り込む前に、三人ほど投獄いたしましたが」

「数が合わないわ、セバスチャン。今、この牢には、・・・・・・・・二人しかいないわ・・・・・・・・


 牢屋の一番奥にはジークムントが座っている。

 そして、もう一人……さきほどジークムントを蹴っ飛ばした男が、手前の鉄格子に背中を預け、ジークムントを凝視している。


「おい? どうしたお前。あいつがどうかしたのか?」

「あ、く、く」


 男はがたがたと身体を震わせながら何かを言おうとしているが、言葉にならない。

 一方のジークムントは、あいもかわらずくつくつと含み笑いを続けている。


「おい?」


 そのときだった。


「たっ助けてくれッ! 頼むッ! 今すぐここから出してくれッ!」


 男がいきなり振り向き、両手で檻を握りしめると、必死の形相で泣き叫んだ。

 ガンガンと拳で鉄格子を打ち鳴らし、がたがたと揺さぶる。


「ちょっと……何ですの?」

「おい、お前大丈夫か?」


 あまりに必死な様子に、ちょっとドン引きしてしまう俺たち。

 いや、確かに地下牢ってのは、陰気で狭くて、土の精霊である俺でも閉じ込められたくないけど……そんなにイヤだった?


「……ごっ後生だ、俺はあんな死に方――」


 男の声はそこで途切れた。

 ピンク色の肉の塊が男の顔に巻き付き、口をふさいだからだ。

 肉塊はものすごい力で、男を鉄格子から引きはがす。


「――! ――!!」


 男はあっという間に牢の奥に引きずられていき――そこにはジークムントが大口を開けて待っていた。

 いや――大口、なんてものじゃない。

 顔の全部が口だった。正面からはほとんどヤツの顔が見えない。

 首の下から頭のてっぺんまで、ぬらぬらとしたピンク色の粘膜で覆われている。男を引きずってきた、肉の塊と同じ色だ。


 ジークムントは、必死で抵抗を続ける男を両腕で捕まえ持ち上げると、頭から丸呑みにしてしまった。

 男はしばらくの間ジークムントの体内から蹴りつけていたが、やがて静かになった。


 横で見ていたアリスが、ひっと息をのむ。

 誰もが、その異様な光景に目が離せない。


「ば、ばけもの……」


 あとずさるアリスの口から、つぶやきがもれる。


「あぁ? よぉーく見ろよ。こんなにカッコイイ俺様がバケモノだってぇぇ?」


 男を喰ってさらに巨大化したジークムントが立ち上がる。

 すでに天井すれすれの高さだ。

 牢のくらがりから、のそり、のそりと歩み出る。

 やがて松明の明かりに照らし出されると、その姿が明らかになった。


 もはや、人間ではなかった。

 手足は深緑色の粘膜で覆われ、大小無数のいぼで覆われている。

 頭部の左右に飛び出た金色の眼球は拳よりも大きい。深い闇色のアーモンド型の瞳が、その中央に浮かんでいる。

 口は頭部の両側まで裂けており、その端からピンク色の肉塊――巨大な舌がだらりと垂れ下がっている。


 人間の服を着た、巨大な蛙だった。


「ゲッゲッゲ。いつ見ても、ビビってる人間を見るのはい~い気分だァ。すがすがしい、最高の気分ってヤツだァ」


 言って、ジークムントは鉄格子に両手をかけた。

 鉄格子の隙間に手を差し入れ、押し広げてゆく。特段力をいれているようには見えないのに、鉄格子はまるで粘土のように変形してゆく。すぐに、ちょうどジークムントの顔ほどの隙間ができた。


「ま、とりあえずてめえぇらは俺のエサになれや」


 瞬間――ジークムントの口ががばりと開き、そのムチのような舌がアリスに襲いかかった。



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