第6話  襲撃された

「きたか」


 暗闇の中、俺は小声でつぶやいた。

 アリスとセバスチャンは少し前に所定の位置に付いたようだ。

 屋敷の各所に仕掛けた罠の調子も上々だ。


 それまで外でけたたましく鳴いていた虫の声は、少し前に止んでいる。

 屋敷に近づく気配は、全部で三十。先ほどの一件でよほど懲りたのだろう、何倍もの人数だ。こちらに気づかれないよう遠くで馬を降り散開してから、音を立てずに忍び寄ってくる。


 現在は夜半過ぎ。屋敷の灯りを消してから、随分と経っている。

 奇襲にはうってつけの時間だ。


 こちらの寝込みを襲い、反撃の隙を与えず殺害するつもりなのか、あるいはこっそりアリスだけをさらっていくつもりか。

 どちらにしても、連中の目論見は俺の存在のおかげで全てがおじゃんだ。

 ジークムント達も、まさか俺が土の精霊だとは思ってもいないだろう。

 俺はこれからのことを思い、のんきに忍び寄る気配たちに同情した。まあ、ほんの欠片ほどだが。


 もっとも、罠は屋敷外の敷地にも仕掛けることはできた。

 たとえば、落とし穴。暗闇ではそもそも気づかれにくいし、他の罠と組み合わせて仕掛けておけば一網打尽にできるかもしれない。その方が簡単だし、安全だ。


 だが、それでは面白くない。


 閉鎖的な状況で迫り来る危機の数々、渦巻く欺瞞に逆巻く憎悪。――そして試される己の人間性。

 ドラマだ。

 それが俺を惹きつけてやまないのだ。

 せっかくの機会なのだ。

 これを楽しまなくては、何のために土の精霊なんかに転生したのか分からない。



 男達が配置につく。


 正面玄関前。

 屋敷側面の一階窓際。

 二階の廊下に面したバルコニーに、寝室のベランダ。

 それに裏庭玄関の前。それぞれ三人ずつ。全員武器を持っている。


 一斉に突入するつもりだろうか。


 少し離れて、残りの連中。一応、バックアップを残しておくつもりらしい。

 ジークムントはさらにその一番奥で、取り巻き達になにやら合図を出している。

 彼はその顔に似合わず、存外頭が回るようだ。いや――最初に踏み込んでこないのは小心者ゆえか。

 こちらに完全に把握されているとは、夢にも思っていないだろう。かわいそうな連中だ。



 バリン、と窓の割れる音が屋敷内に響いた。

 同時に正面と裏側の扉がハンマーで乱暴に破られる。

 猛獣のような猛り声を上げ、男達が突入してくる。


「お客様のご来店でーす」


 誰に聞かせるともなくつぶやいて、俺は意識を屋外から屋敷内部へと移行させた。






 ◇     ◇     ◇






「お、おいハンスゥ! 屋敷の中はぁ、どぉなってやがる!? なぜ誰も出てこない?」

「へ、へぇ。ここからではなんとも……」

「クソがァ! 一体どうなってやがるんだ!」


 屋敷から離れた木立の影で、ジークムントが取り巻きの男の一人に当たり散らしている。

 でっぷりと突き出た腹に載せるように腕組みをし、偉そうにふんぞり返っている。だが、見かけの態度ほど余裕はなさそうだ。


 少し前まで聞こえていた男達の悲鳴は、今はもう聞こえない。

 木々が夜風によそぎ、下草では虫たちの声がけたたましく鳴り響いている。

 さきほどの阿鼻叫喚がまるで嘘だったかのようだ。


「……おい、ハンス! てめぇあの屋敷に入って様子を見てこい!」

「へぇ、お、俺一人だけでですかい……?」

「あぁ? ……クソ、この腰抜けが! 仕方ねぇな。おい、そこのお前とお前! コイツについていってやれ!」

「……はあ」


 自分のことは棚に上げ、ハンスに偵察を命ずるジークムント。

 ハンスは渋い顔で他の二人を引き連れ、屋敷の中に足を踏み入れた。待ち受けている運命も知らずに。


「チッ。あの野郎、いっぺん首を切り落としてやろうか」

「ちょっ、ハンスさん! 声が大きいですよ」

「るっせーな。エッボてめえもここで首と胴体切り離してやろうか?」

「か、勘弁して下さいよ……! ただでさえ仲間の行方が分からないってのに……」

「チッ。オラ、お前らが前にいけや!」


 ハンスに尻を剣でつつかれ、慌てて廊下の奥へと進む男達。

 三人が侵入したのは、屋敷二階部分の側面バルコニー、先ほど破られた窓からだ。

 窓を乗り越え降り立ったそこからは、左右に長い廊下が延びている。右に進めばエントランスホール。左は主に寝室や浴室、それに客間などがある。

 三人は少し迷ったあげく、向かって左側――寝室へと続く廊下に足を向けた。



「おい。エッボ、ブルーノ、今何か聞こえなかったか?」

「いいえハンスさん。俺には何も……」

「あっしにも何も聞こえませんで」


 しばらくして三人が廊下の曲がり角にさしかかったころ、ハンスが辺りを見回していった。


「いいや、確かに聞こえた。何か、木の軋むような、妙な音だ」

「このおんぼろ屋敷のことです、床板が腐っているのでは?」

「それはねえ。聞こえているのは、その角の向こう側からだ」


 三人が固唾をのんで辺りをうかがう。

 廊下の曲がり角の先、闇の奥で確かにキイ、キイと小さな音がしている。

 灯りは持っていない。万が一アリス達が近くにいれば、それを見て逃げ出される可能性があるからだ。


「おいエッボ、お前見てこい」

「……はあ」


 ハンスが、禿頭の男――エッボに顎をしゃくり、様子をみてくるよう促した。

 エッボはしぶしぶながら、音のする方へ近づいてゆく。


 キイ、キイと、確かに廊下の奥から、何かを漕ぐような音が聞こえる。

 エッボは一度立ち止まり、大きく息を吸った。それからゆっくりと吐き出し、口を横一文字に結ぶ。意を決して、廊下の角を覗き込んだ。


 そこには、扉があった。

 半開きだ。建て付けが悪いらしく、それが前後に揺れて、音を出している。

 扉の奥は小さな部屋だ。窓が割られ、夜風が吹き込んできている。


「……なんだ、ビビらせやがって。仲間が入り込んだ跡じゃねえか。ハンスさん! ここは大丈――」


 そこまで言いかけて、エッボは声を失った。

 誰もいなかった。

 エッボが振り返った廊下の先、つい数メートル先にいたはずのハンスとブルーノは、忽然と姿を消していた。


「ハンスさん!? ブルーノ? こんなときに冗談キツいっすよ!? 一体どこに――」


 彼らのいた方向へ戻ろうと一歩踏み出した瞬間。

 足下でガチン、と音がした。


「……?」


 何かを踏み抜いた感触に、怪訝な表情を浮かべるエッボ。

 足下を見て、それから前を見て――天井から振り子のような軌道を描き迫ってきた巨大なハンマーが、彼の視界全体を覆った。


「なッ――」


 鈍い音がして、エッボの身体が宙に舞う。そのまま廊下の奥に吹き飛ばされ、壁に激突した。


「がはっ……な、なんだコレは……」


 壁を支えに立ち上がろうとするエッボ。

 だが今度は手をついた箇所ががこんとへこみ、上から投網が振ってきた。


「くそッ……動けねえ! なんなんだこの屋敷はッ!!」


 わめくエッボ。絡みつく網から逃れようともがいていると、さらに床にある仕掛けを踏み抜いてしまう。


 ぼん、と音がして、床が跳ね上がった。

 そのまま天井に叩きつけられる。その衝撃で天井にあるスイッチが起動。

 ぱかっと天井の一部が開き、投網で身動きのとれないまま床に叩きつけられたエッボに、大量の油虫ゴキブリが降りかかる。


「あああああああっ!!!! なんだ畜生気色悪りぃ! クソが! 口に入りやがった! ペッペッペ!」


 わめきながらもようやく網から逃れたエッボは身体にたかる無数の油虫を払い落とし、もと来た廊下を走り出した。


「なんてこった……ッ! ハンスさんもブルーノも……! ジークムントさんに知らせないと……! この屋敷は……ヤバ――」


 焦る人間ほど、誘導しやすいものはない。思考は単純化し、焦りの感情は逃げ場を自分でふさいでしまう。

 エッボが、そこがハンスとブルーノの消えた場所だと気づいたのは、さらに床のスイッチを踏み抜いたあとだった。


「一体何なんだこの屋敷はあああああぁぁぁぁぁっ!!!???」


 音もなく、ぽっかりと床に開いた穴に吸い込まれ、エッボは悲鳴を上げながら落下していった。


 ――きりきりきり、かたん。


 小気味の良い音を奏でながら、全ての仕掛けが所定の位置に戻っていく。

 後に残るのは、夜の静寂だけだ。



 ――さて。実況はこれくらいとしておこう。

 俺は拡大させていた意識を自分の身体に戻し、大きく伸びをした。

 筋肉が伸びるにつれ、心地よい充実感が全身に広がっていく。


「ふあ~~、それじゃあ、腰抜けの蛙野郎ジークムントを捕まえにいきますか」


 俺は屋敷の窓から外を見渡した。東の空がわずかに白みかけている。

 ジークムントにはたっぷり罠を味わって欲しかったが、ヤツは仮にも役人だ。

 無用な怪我は、アリス達に不正や襲撃を告発させる際に不利に働くかも知れない。


 人を超越した精霊とはいえ、ただの魔物であることには変わりはない。

 人間を裁くのはあくまで人間だ。俺じゃない。


 そんな事を思いつつ、俺は屋敷の外に足を踏み出した。

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