惚れた弱みというやつで。

歌音柚希

惚れた弱みというやつで。

今日はデートだ。

そう思って目覚めたのが朝七時。

色々済ませて、着替えたって九時。

私はあまり派手な色が好きじゃない。だから、今日だってホワイトのセーターにジーンズ、ネイビーのコート。極めて日常的。

まぁ、服について彼に何か言われたことはない。……裏を返せば褒められたこともないっていうことなんだけど。


いや、ね、あの子は素直じゃないから! 分かってるよ私は!!


「虚しいね……」


鏡の向こうの自分に笑いかける。鏡の私は、あんまり強がるなよ、とでも言いたげに肩を竦めた。うるさいバーカ。

一人暮らしの部屋に、私の声だけが響く。

なんだかどうしようもなく寂しくなって、君に会いたくなって、いつの間に私は誰かに会うのが楽しみになっていたんだと思いながら、シンプルな部屋の電気を消した。さぁ、燃え尽きてやろうじゃない。



待ち合わせは十時。今は九時半だ。さすがに私のほうが早いだろうと待ち合わせの場所に向かうと、まさかまさかのありえない光景を目撃してしまった。

「ええー……?」

思わず間抜けた声を出してしまう。幸い周りには誰もいなかったから助かった。

どうしてこんなに私の彼氏は期待を正面切って裏切ってくるのだろう。

いつもの場所には、眼鏡をかけて暇そうにあくびをしている、そこらの女子なんかには絶対負けないくらい可愛くて天使的な完璧容姿を持った男の子がいた。

つまり私の彼氏というわけで。

眼鏡かけてる、今日はちょっと違うな、眼鏡かけても可愛いって何者だあいつ。

そこまで考えて自分に苦笑い。

「私ってば相変わらずだ」

君による侵食は、いつの間にかだいぶ酷くなっていたらしい。

はぁ、と一つ息を吐いてから身だしなみを軽くチェックする。と言っても、私の彼氏は私と一緒でいたってシンプルな恰好を好む。もっとお洒落になっても着こなせるのに。なんて言ったら、「僕がお洒落になったら桜花さん困るでしょ」って憎らしいほどの笑顔で返されて撃沈した私。全く持ってその通り。今でさえ彼の隣を歩くのは気が引けるのに、そんなことになったら恐れ多くて近づけない。

よし。覚悟を決めた。


「遅い」

顔を見るなり一蹴される。

「君今何時か分かってる? 待ち合わせも何時か分かってる?」

「あのさぁ、いつも僕は二十分前には来てるんだよ。桜花さんは全然知らないだろうけど」

「じゃあそれを私に言え」

大人の余裕で笑顔を浮かべて答える。

「いいよ気遣われるのやだし」

「はぁ……。透華、君は、一体どっちなんだ」

早くも今日一日の私が見えてきた気がする。

いっつもこうだ。年下だからって、私が透華の笑顔に勝てないからって、君はそうやって私を振り回す。予測不可能のジェットコースターに乗ってる気分。

「どっちでもないよ。じゃあ行こう」

君はなんでもない顔で自然に私の手を取った。この仕草だけで、透華はやっぱりこういうこと慣れてるんだろうなって思う。そんな私は悪い大人なのかどうか。

ちょっとだけ悲鳴を上げてる胸が痛くて、握り返せない。

いつもの私にならなきゃ。ハイテンションで握り返して、透華にうざがられる私に。そうはいっても、体は心に正直で。どうしたんだよ今日の私。

いつまでも握り返さない私を不審に思ったのか、透華が私を振り返った。

「どうしたの? 今日変だけど」

悲鳴を無視して、無かったことにする。そして、いつものふざけた『木崎桜花』を演じる。自分に自信がある、感情表現が豊かな二十三歳。

「いやー、私が静かだったら透華はどんな反応するのかなって! っていうか今日の透華めっちゃ可愛いね!? 黒縁眼鏡とかどうしたの急に。あ、もしかして私の好みに合わせてきた?」

冗談で言ったのに、なぜか透華は挑発的な笑みを口元に浮かべる。

「そうだとしたら?」

あまりにも突発的すぎる。珍しく言葉に詰まった私を見て、天使の顔をした小悪魔は、ふふ、と満足げに笑った。ちくしょう可愛いじゃないかお前。

「冗談だったら殴るよ」

「だってさー、この前言ってたじゃん。だからかけてってあげようかと思って」

自分の魅力を理解したうえで、透華は首をかしげる。すれ違う人々が透華に目線を奪われる。計算高いことは知ってるから、これも全部演技だって分かってはいるんだけど。いるんだけど、騙されたくなる。可愛いんだもんしょうがないね。

「ほーんと可愛いんだから透華はー!!」

「ほーんとちょろいよね桜花さんは」

小バカにする瞳でさえ、私に向けられることが嬉しいと思ってしまうのだから、私は君に染まってしまっている。


今日も今日とて透華に振り回されて、時間はあっという間に過ぎ去っていく。

気づけばもう三時。

「ねぇ、今日このあと仕事だって言ってなかった?」

「うん。五時には戻らないと」

「そっかー。ここで終わりかな」

「桜花さんこそ仕事無いの」

「今日は完全オフなんですぅ。羨ましいか」

「羨ましいよその精神が」

「馬鹿にしてるな」

こんなくだらない会話。それでも終わってしまうのは少し名残惜しい。

素晴らしい笑顔の店員さんが二杯目のカプチーノを持ってきてくれる。私たちに一度意味ありげに微笑んで、店員さんは去る。周りからの視線が凄い。どこにいても透華は目立ってしまうみたい。


投げれば必ず返ってくるボールが楽しくて、ついつい話し込んでしまった。

とっくに四時を過ぎていることを知る。仕事人間の透華は、珍しく焦っていた。

「まだ間に合うかな」

「大丈夫だってー。タクシー捕まえていきなよ。ここから電車は遅い。割高だけどそんなのケチらないよね、天上透華なら」

「まぁ、時間が買えるならね」

慌ただしいお別れ。もう少しだけゆっくりしてほしいとか。

そんなことを君に言ったら嫌われるだろうね。だって私も君と一緒だ。

「ほら、タクシー呼んどいたから。そうだ、今度会える時は私の行きたいとこについてきてよ。今日は振り回されてあげたんだから! じゃ、オフ決まったら連絡ちょーだいね!」

早口で言い切り、スマホを軽く振って挨拶代わりにする。そのまま背中を向けて歩きだそうとすると、不意に腕を引っ張られた。

そのまま後ろから抱きしめられる。

息が止まる。


「わがままでごめん」


耳元で囁かれた言葉は謝罪。え、どうしてという戸惑いが伝わったらしく、世界一可愛い君は消えそうな声で呟いた。

「いつも僕ばっかだから……」

その破壊力は。

今の私の顔が透華に見えなくて良かった。ていうか誰にも見せられない。こんな緩んだ表情なんて。

「なっ、なに急に! いつものことじゃない!?」

ここまで来ても強がりたい私。素直じゃないのはお互い様?

「ううん、いつもになってるのがダメだと思う」

「いや、だって、私不満なんか言ったことないよね!」

正直、私は甘やかしたい側なので全然何とも思ってなかったけど。

もしかして透華はずっと気にしていたんだろうか。

「僕のこと、めんどくさくなったら言ってよ。気をつけるから」

なになになになになにー!?

今日の透華可愛すぎるよ!? 人殺せるよ! 存在が武器だよ!


「嫌いにならないでね」


爆弾。震える声が私の耳をくすぐる。


「か、からかってる!?」

「失礼な。本気なんだけど。だって嫌われたくないし」

「そーれがからかってるのかって聞いてるの!」

腕の力が緩んだから、その隙をついて勢いよく振り返る。そこには本気の顔をした透華。柄にもなく余裕を失っちゃってる自分を宥めて、演技派女優を被る。

「ねぇ本当にめんどくさいって思ってない? 桜花さん嘘上手すぎてわかんないから」

ああもうホントに。

「本当のこと教えて」

何なんですかこの人。


「一回しか言わないからよく聞け! 私は年下を甘やかしたいし、それが君ならなおさらで、振り回されることすら嬉しいと思ってるの! それでいいの! 無邪気な笑顔で私のこと見てくれればそれだけで生きていけるから!!」


今日は調子が狂う。こんなこと絶対言ってやらないと決めてたのに。

相変わらず私は君に甘い。

まぁ、惚れた弱みってやつだ、仕方ない。


「たまに好きって言ってくれればあともう何も言わないわ!」

透華はしばらく唖然としてから、徐々に顔を赤くしていく。それと同時に笑い始める。最終的には涙目で私を見上げるものだからもうね。

「そっか、このままでいいんだ」

「素直になられても気味悪いからね」

「うん。もう絶対二度とやらない。無理」

「私の頼みでも?」

ちょっとだけ黙って、透華は目を逸らした。

「時と場合による?」

「……今日の透華可愛すぎ」

これがすべて計算だったとしても構わない。私は君の隣にいられるだけでいい。

それが幸せだと思えてしまう、惚れた弱み。

「そろそろタクシー来るよ。待ってないと」

「待って」

またも引き留められて―天使の顔をした小悪魔は私を甘やかす。

「またね、桜花さん」


そう言って魅惑的に微笑んだ透華の顔が、いつまでも私を支配していた。








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惚れた弱みというやつで。 歌音柚希 @utaneyuki

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