第4話


 

 ◇

「あ! 代金! 孝志のヤツ――」

 巴が声を上げ、愚痴りはじめる。

 紫苑はさっきまで孝志の座っていたベンチに腰掛け「また後でって言ったでしょう」と返す。

「どうしてそうポジティブかな、もう……迂闊だった」

 夏の日差しが少し強くなった。巴は額に汗を浮かべ、シャツの襟をひっぱって拭う。

 紫苑は何度も咳払いを始めた。巴が声を掛けると「軽い夏風邪」と言う。

「仕事も行き詰って……リフレッシュしたいの。少しだけ避難させて」

「家に籠るより、外に出た方が治る――紫苑の持論だった」

 巴はラムネを店内の冷蔵庫から取ってきて、紫苑に渡した。

 店内ではまだ、女の子が駄菓子を眺めていた。 


 ◇

「でね、おねーちゃん、お母さんがギターひいてくれたの!」

 紫苑の両脇には双子がアイスを食べていた。左には響華が、右には静華がいる。

 声を上げたのは響華だった。

「すごいんだよ! ぎゅーん、ばりばり、ばりーん、どかーん――って!」


 巴は笑いながら「紫苑はプロだもん」と言う。

「ギターで『ぎゅーん』は私でもできる。頑張ったら『ばりばり』って出せるかも。でも『ばりーん』『どかーん』なんて音は無理だね。やっぱりプロは凄い」

「巴、それは――」

 紫苑の抗議はかき消されてしまう。

 双子から、ギターを教えて、とせがまれて――巴は笑顔、紫苑は困った表情を浮かべていた。


 ◇

「シズもひきたいよね? ギターでぎゅーん!」

 響華きょうかの問いに静華しずかもうなずき、教えて、教えてとせがむ。

「あのね、キョウちゃん。紫苑のバンドはイギリスって外国にあるんだ。‶スモーキー・ジェーン〟ってロックバンドでね、メンバーがよく変わるって有名。昔、来日するたび紫苑に入ってくれってお願いしてた。それだけ紫苑は凄い」

 紫苑がこめかみを押さえて「やめてよ……」とぼやく。だが巴は止めなかった。

「でも紫苑は『いまのバンドが大事だから、バンド全員交代させろ』って――これはね、友達思いだから一人で出演なんて嫌だって意味。わがままじゃ無いよ、わかるよね?」

 響華がうんうんと頷きながら聞く。

「すると何と! みんなゲストとして出演することになった! 紫苑たちは大阪、東京、札幌――日本中ライブした! 当時の雑誌、DVDもあるよ! プロデビュー前の紫苑の姿、見たくない?」

「見たい!」

「じゃあ、紫苑にアイスを十本、買ってもらおう!」

 双子はさらに興奮して、アイスを咥えながら両手で紫苑を揺さぶった。

 紫苑は巴を睨みつけて言う。

「やめてよ……あれは美月さんの知り合いを何人も通して、頭を下げて、やっと前座メンバーに加えてもらった。なのに『残りのツアー、勝手に着いて行こう。乱入できるかも』なんて提案したのは、巴だった」

「で、引き抜きまで話が進んだ。こっちでのバンドはバラバラになったけど、みんなデビューできた。結果オーライ」

「失敗してたら目も当てらない。笑えないわ」

 と、紫苑は言ってから、立ち上がって双子に向かった。

 膝を折り、視線を双子の高さまで合わせて言う。

「シズ、キョウ。目を閉じて想像してごらんなさい。音楽、特に演奏って、すごく難しいの。学校、お友達、テレビ、ゲーム、家族、そして才能……たとえ全部無くなっても楽器があれば幸せ、なんて思えないと、上手にできないことなの。それでもやりたい?」

 双子は目を閉じて、首を縦に振る。

 紫苑はこめかみを押さえて「私はお父さんと、シズとキョウを幸せにすると約束した。二人はギターがあれば幸せなのね? 今から楽器店で買って、そのままお別れしましょう」と告げると双子は、じゃあやらないと言った。 


 そして「キョウの言う音は、機材が壊れた音」と紫苑は巴に言う。

「高校時代の機材、返してもらってから観賞用にしていたの……でも、懐かしくって、風邪のリハビリがてら、簡単なリフを弾いていたら突然、音が割れたの」

「ごめん。手入れしてなかった……ギターはグレッチだっけ。アンプはメサブギー……げっ! まさか、ヴィンテージもの?」

「いいえ。古いだけの安物……弾いていて改めてわかった。やっぱり私にとって、マーシャルとレスポールは曲を選ばない良品。ロックでもポップスでも、私に合わせてくれる」

 紫苑は両の掌を巴に見せる。


「きゃあっ!」

 双子がその手――絆創膏だらけの左指、傷口を縫った右の掌――を見て声を上げたが、紫苑は「ギターが下手だとこうなるの。真似しないで」と言った。

「私のルーツは、古い七十年代グレッチとメサブギー。リードチャンネルをいじってピアノのように綺麗になった時、音を求められた気がした……グレッチの好きな音を鳴らしていたら、弦が切れて皮を裂いて、ギターダコも潰れて、アンプも壊れて、子供にみつかった……どれも学生時代と同じ凡ミス。孝志や『あの人』が見たらきっと呆れるでしょうね」


 ◇

 紫苑は夫のことを『あの人』と呼んでいた。本人しか知らないし、巴も深くつつかなかった。

 

 だがいつも出会うたびに、美人で二十代なのだから、いくらでも貰い手があるだろうと巴は問う。


 紫苑はそんなことを思うことがない、と言い切る。

「そんな事より巴、前に教えた孝志のアメリカでのライブ動画……見た?」

 巴は頷き、答える。

「見なけりゃよかった。下手なホラーより気持ち悪い、最悪な歌声だった。言おうとしたけど、ジェシーちゃんがいたから止めた」

「昔の声はもっと酷かったのよ? 楽曲に助けられたの。〝your hand〟とか……孝志自身、超えられず苦しんでいるのかもしれない……私、記者に向かってそう答えてしまって……軽率だった。孝志に謝らないと」

「いいんじゃない? 孝志だもん……ねえ、せっかく大物になったのにどうして田舎に籠って作曲オンリー、提供ばっかりしてるの? 自分で演奏するのが面白いはずでしょ? こっちは肉体労働オンリー。体が悲鳴を上げて止む無く休む。なのに好きな音楽を仕事にして悩むって、どういうこと?」

「言い辛いわ。特に子供の前では」

「そこをオブラートにしてさ……解決できたら、いいなって」

 すると紫苑はラムネを一口飲み、子供たちに向かって「遊んでいらっしゃい」と言った。

 双子は返事してベンチから降り、店先に置かれているコインゲームやカプセルゲームを眺め始める。

 その姿を眺めて、紫苑は言う。

「人それぞれ。多くのプロは悩んでも、決して口にも態度にも出さず楽曲を発表していく。私もそうしていた……村に帰省するまで」

「五年前だっけ。シズちゃんとキョウちゃんを抱えて――ガチャガチャ、まだ禁止中?」

 巴の声に紫苑は頷く。ラムネの瓶を左右に振って「あの子たちは長続きしないの」と続けた。

「でも私は自分の書いた、たった1フレーズに納得できず、考え込んで落ち込んで……チューナーを使っているのに、音が狂って聴こえた。だんだんレスポールに苛立って、メンバーやスタッフに当たって……極限状態でのレコーディングやライブだった。アドバイスを貰っても悪評に感じて、良し悪しを売上げで計るようになって……そんな曲ばかり作って、そんな曲しか求められなくなって、また悩む。好き嫌いだけの問題じゃない……わからないでしょう?」

「うーん。私は友人とか関係なく、‶スモーキー・ジェーン〟のギタリスト、白木紫苑のファンだからね。ファンとしては曲も演奏してる姿も好き。カムバックを待ってる……友人としては、考えすぎじゃない? ほら、音を楽むと書いて音楽。楽しむには心を軽くしないと。ぱーっと好きな曲を弾けば?」

「想像してみなさいよ……男、女たちが数人、狭いステージにいる。気持ちの無い拙い音、意味不明な歌詞、適当なリズムがずっと響いてる。心無いパフォーマンスに反応する人はいない。終わると百人も入れるピットは空っぽ。スタッフのまばらな拍手が響いて、全員が作り笑顔。そしてカーテンコール。アンコールも無い……あなたの貴重な時間とお金を浪費して、観に行ったら、どう?」


「う……うわ、すっごく痛々しい。見てられない、大損」

 巴の間をいてからの返事に、そうでしょう、と紫苑は言って、続ける。

「演奏している側も悲惨……趣味なら良い思い出。仕事にするとそれが当たり前。私たち自身、痛々しく思えてくる。反省して考え、悩む。次はもっと良くしよう、曲順を変えてみよう、新しい曲をやろう、スキルを上げ、機材を変えメンバーも……ずっとその繰り返し。耐え切れなくなって、私は逃げた。巴に助けを求めて、ここに帰って来た。ここのベンチに座って、力を蓄えて戻ろうとしたけれど『お前の居場所はここじゃない』と追い返された……恨み辛み、未練から作曲活動を……ごめん、脱線した」

「いいよ。半端なく厳しい世界だってわかった。あのイギリスまで行って勝ち組だと思ってた紫苑が、そんな悩みで帰って来たんだね。五年経ってやっと打ち明けてくれた……戻りたい?」

「もちろん。未だに苦悩と快楽、天秤に掛けると、やや楽しい方に傾くから……でも天秤に掛ける時点でプロ失格。プライドやポリシーも無い、宙ぶらりんの証拠。ステージに立つ資格すら無い。子供にも言いたくないの」

「ここに帰ってから作った曲、連ドラの主題歌になったのに?」

 黙って紫苑は頷く。

「私なら自慢するよ……次元が違うなあ」と巴は息を大きく吐く。


 紫苑は息をついてから、続けた。

「巴は村でずっと働き続けている。私が作ったのはたった三曲。売上なんて雀の涙ほど。色々兼業してやっと生活できている……みんな歩いてる。抜け道なんて無い、引き返すこともできない道を、めげずに投げ出さず、歩き続けてる。なのに私はしょっちゅう立ち尽くして、いいえ、座り込んで……止めましょう。口に出すとこんがらがるわ」

「こんなときこそ、音楽が欲しいなあ。何か作ってよ。店のBGM、主題歌にできそうなやつ」

「そうね……ここだったら、人生についてだったり、楽しみや自由についての……ああもう。リフレッシュするつもりが仕事を思い出して……ああ、もう。だから口にしたくなかった」

 ラムネを飲み紫苑は、こめかみを押さえて瞼を閉じ、言う。

「子供に風邪をうつされて治りかけたとたん、祭りの準備に法事。仕事は停滞して……なのに孝志はぶらりと帰って来る、巴は激励か暴露かわからない話をする。つられて子供ははしゃいで、もう……」

「悩むのもいいけど、頭、体、口が動くなら仕事しろ――私じゃなくて紫苑の本能がそう言ってるんだ」

 巴は舌を出して見せると、紫苑はすばやく右手の中指を立てて、すぐ引っ込め言った。

「子供たちの前だからこれで……巴も仕事をしなさい」

 

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