第3話

 

 ◇

 当時のことを巴は短く語った――美月さんと考志は異母姉弟で、共にハーフ。親は二人が小さいころに亡くなり、美月が教師として自立するまで考志はアメリカの祖父母に引き取られていた――。

 

――私はちいさいころ、数えるほどだけ会っていた。生まれもってのブロンドに青い瞳、白い肌は忘れられない。

 そして極めつけに右手のタトゥー。私たちが高校生になり再会したとき、こんなやつもいるという免疫があったが、他の一般の生徒は敬遠して、教師もあまりいい声で話かけなかった――と。


 すると返事が返って来る。

「俺は慣れていたけれど」

 考志はアメリカでも同じだったと言い、コーラをもう一本ねだった。


「自販機はよく、アンタらに故障させられた。もう触らせないよ」

 言いながら巴が店内の冷蔵庫から持ってくる。

 店内では最初に来店した女の子がまだいたが、駄菓子の棚を眺めている。 

「物価上ったんだ。でもコーラ一本、百二十円にしてあげる」

「マルボロあるか。まけてくれ」

 巴はきょとんとして、ああ、二十八だったと思い直し、煙草の自販機を開け、マルボロを一つ、コーラとともに孝志に渡す。


「三百円でいいや……で、アメリカのどこで暮らしてた?」

「イースト・ベイって所。トレーラー暮らし。まずやっぱり日系って洗礼を受けた。もちろん俺だけじゃないし、慣れればどうってことない。適当にやってた」

 孝志は右手で煙草を取り、左手でコーラを娘にやる。巴に目も合わせない。

「で、俺と会わせて何か変わった事、あったか」

「ん? 私が何かしたっけ?」

 何の話をしていたのか、巴は忘れたと言う。孝志は「高校時代の話だろ。ちがったか?」と返す。

「えっと、わかんないな」

 恵が出発する前、水うちした店先に蒸気と熱気があがる。

 蜃気楼のように、巴の視界が揺れて見える。


 互いに思い出にふけっていたか、と考志は煙草を吸い、すこし間を置いてしゃべる。

「浦島太郎みたいだ。みんな変わってるのに、俺だけ変わってない」

「アンタには子供がいる。私はいない……浦島太郎か。わかるな、それ」

「だろ? ジェシーの世話は、ほとんど近所の人に任せてた。男は、ほら、自分の子供かどうか、わからないから」

 巴はジェシーを見る。

 ジェシーは地面につかない足をぶらぶらさせてただ真っ直ぐに空を見上げていた。

「大丈夫、アンタの子供だ」

「わかるのか」

「そっくり。顔も、仕草も」

 巴は空を見上げて、入道雲の接近を確かめながら、笑った。ここに座ると考志はいつも空を見上げていたというと、やっと孝志と巴の目が合った。

「そうだったか?」

「うん。何してるのって尋ねると、頭の中で曲を作っていたって……でも楽譜も書かずに、すぐギター弾きだして、聴いて覚えろって。みんな覚えるのに、苦労してた」

「なら、こいつは何をしてるんだ?」

「それぐらい聞きなさいよ、パパ」

 

 考志はジェシーに、何してると尋ねると、彼の左耳にそっと耳打ちする。巴には聞き取れないほど小さな声でしゃべり、考志は何度もうなずいていた。そして、そっとジェシーの口を塞ぎ、巴に向かって「俺と同じことしていた」と言う。

「どこで覚えたんだろう? 十歳で作曲なんて、できるもんなのか」


 巴は笑い声をこらえて、あんたこそと尋ねようとした。

 でも一台の車のクラクションで、質問は制された。巴がその方を見ると、黒い軽自動車が店前に停車した。


 運転手に向かって巴が手を振ると、停止した車体の運転席と後部席のドアが一度に開く。出てきたのは、双子の女の子、その子らの母親だった。


「誰だかわかる?」

 巴は考志に向かって言う。

 彼は左目を閉じ、ゆっくりうなずいた。そしてジェシーの頭を撫でた。


「おねーちゃん、おはよう」

 双子の女の子はそろって挨拶した。巴がおはよう、元気がよくてよろしいと返すと、また同時に「アイスください」と百円を二枚差し出す。


「はい。じゃあどれがいいか、選んで来いっ」

 受け取ると、双子は走って店内の冷蔵庫へ向かった。

 巴は母親に挨拶する。

「あの子たち、すっかり元気になったね」

 その挨拶に母親は色白い顔でも優しく微笑んで、うなずく。

「ええ、所詮はただの夏風邪だから……」

 それより、と母親は考志に目をやる。

 考志は手をひらひらさせて、簡単に再会を済ました。母親はすぐ疑問をぶつける。

「いつ、帰ったの」

「さっき。始発で」

「今までどこにいたの」

「昨日までアメリカに」

「その子は誰なの」

「たぶん、俺の娘」

 そこで母親は長い黒髪を風にさらし、ジェシーに握手を申し出た。

「名前はジェシカ。おい、握手しろ」

 

 考志の声に反応して、そのちいさな手を差し出し、握手をした。

「はじめまして。私は白木しらき紫苑しおん……ジェシーって呼んでいい? あなたのお母さんとは、姉妹なの。あっちの子は、響華きょうか静華しずか。仲良くしてあげて」

 紫苑は微笑んでいたものの、ジェシーは顔を赤くしてうつむいた。

「どうしたの、お腹でも痛い?」

 紫苑の声を合図に、ジェシーは走り去ってしまった。

 

 すぐに考志が追う。「また後で」と言い残し、ジェシーに追いついて手を繋いだ。


 美月さんの家では盛大に追悼の飲み会がおこなわれているだろう。大丈夫だろうかと巴がぼやく。紫苑は大丈夫と言い切った。

「美月さんは考志以外には寛大だから」

「あの子、昔の恵にそっくり。なんか、嫌な予感がする」

「相変わらず心配性ね。去年の恵ちゃんの家出だって、その杞憂からだったでしょう」

「う……それ言われると、何も返せない」

「馬鹿なら帰って来ないわ」

 紫苑は双子のようすを見に、店内へ入った。


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