第16話 継嗣

 彼の家を、行きそうなところを、行くわけもない親戚の家を原田達は探した。成果はなく、ただ、諦めを加速させた。原田という男が、朝日が昇るのをこれほど恐れたのは生まれて初めてだった。

 剣持の家に戻った、彼女が憔悴した原田に配慮したためだ。彼女の精神力は尋常ではなかった、最も実働し、釜坂の行方不明の報せから一睡もしてないというのに、他者に一切の弱みを見せなかった。『依代』の回収を長らく共にした仲間が失踪し、しかも、敵に与しているかもしれないのに、言動にも表情にも、諦観の欠片もなかった。

 そのニュースが流れるまでは。

 雪実は朝食後に何か不吉な報せを聞いたらしい。携帯電話を耳に押し当てながら居間に飛び込みテレビを点けた。流れていた星座占いはすぐ、一人の凶悪犯の脱獄の話題にシフトする。緊急のニュースだった。

『釜坂彰一の脱獄』アナウンサーもテロップも、確かに、その事実を伝えた。

 原田の意識は明滅していた。剣持たちは部屋から出て行った、釜坂を見つけるための準備がこれからあるのだろう。

 親友がこの戦いに身を投じた理由が画面に映っている。

「もう、だめだ」

 原田は呟いた。その時電話が鳴った。誰もそこにいなかったから、原田はそれを取った。

「美術館だ、すまん、特定は……でき……な」

 電話の向こうで、苦しそうに秀長は言う。

 突如電話が切れた、異変は明らかだった。


 電話の内容を二人に伝えて数分後、秀長の言葉を頼りに、原田と剣持は、それぞれ市内の別の美術館に向かう運びとなった。

 一番近い美術館を任され、原田は赴いた。年間パスを馴染みの受付に見せ、原田は建物の奥に向かう。

 少しの間だったが、こんな時だというのに、特別展示される自身の絵の傍に展示されていた、新収蔵品に集中してしまった。任務の放棄に気付き、原田は頭を左右に降る。

 そもそも、美術館に何があるのかは分からないが、必ずや、手がかりを見つけなければ。

 そう思った矢先だった、後ろに、不意に人の気配を感じ振り返る。

 いつの間にか、後方の椅子に座り、自身の作品を鑑賞している者がいた。

「もしかして、この絵を描いたのは君じゃないか?」

 第一声は、原田を三重に驚かせた。音楽の神に愛された声との出会いに、優れた観察者との出会いの可能性に、敵であるかもしれない恐怖に。

「何故」

 漏れ出した感情は、独り言のようになった、しかしその容姿すら欠点のない男は、自己の存在を原田が認め、ひいてはそれを質問への返答と捉えた。

「絵に対する視線と、外観から読み取れる精神性、あとはカンバスを想定した身長。君は、隠密には向かないな、あまりに人からズレてる、紛れるにしては真剣に見過ぎだ」

 ここにきて、原田にはその正体がわかった気がした。伝え聞いていた、彼こそが……、いや違う、彼の姿は、どう見ても二十歳以下にしか見えない。

「君はすごいな、十六に至ってないだろう? それなのに、死を厭わぬ覚悟が眼差しにも滲みでてる。道を違えたら首を切る、叶えられねば喉を裂く」

 では、これは誰だ? あの男ではないというのなら……。

「惜しむらくは、生じた不純物。支えあうはずの友の、度を過ぎた異変。ウェイトを占め始めた異性の存在。興味深い色遣いと現在の制作者の表情だが、おそらく前作の方が純粋で美しかっただろう」

携帯電話は警戒してマナーモードに設定してある、連絡は可能だ。

「残念だが、君は雉の頓使になってしまうかもな」

だが、原田の右手は動かなかった。周囲の空気ごと固定されたかのように、指の関節を曲げることもできない。

「あなたは、誰だ?」

破顔した男の顔は、よく知る人達と似ていた。

剣持秀嗣けんもちひでつぐ……剣持秀長の子、忍の兄だ」

 剣持に出会ってから、様々な驚きを抱いてきた原田であったが、今回は今までより、正確に言えば今までとは異質の趣があり、彼に強い衝撃を与えた。

「そんなわけ……」

 声は出た、意図せず体全体が麻痺したわけではない事実を確認する。動けるかどうかはまだ解らない、この時、原田の心の全ては、目の前の男に向かっていたからだ。

「奥底では信じてくれているようだ……剣持の性質からすれば、隠し子みたいなものは有り得ないと思っていたようだが、秀長の印象がそれを帳消しにしている。この容姿や雰囲気が、どちらかと言えば芸術家の君の心を、肯定に向かわせているようだ」

 心が読み上げられていったと原田は錯覚した、危険から逃れるため後退を選択する。だが、左足が動かなかった、これは麻痺などではないと彼は直感した。

「秀長さんは、どこですか?」

 最低限の貢献をすべく、再度原田は口を開いた。この情報を持ち帰れるかもわからないのに。

「なるほど、聞いた通りか。なかなかに冷静だ、我が身に危険が迫っているというのに、まだ、状況を客観視している」

 片手と片足の自由を奪われた原田であったが、頭の性能は損なわれず、情報は次の情報を求める燃料になる。

「恵一は、あなたが?」

 敵に接触した可能性があり、原田の性質を正確に伝えられる人間など限られる。

「おお、すごいね。でも君が望む答えは上げられそうにない。彼の心の在り様、彼以外で一番詳しいのは君だろうというのもあるしね」

 剣持秀嗣と名乗ったものは立ち上がった、会話を終わらせるつもりなのだろう。次の行動はわかった、彼の『依代』に宿る神の利益を完全に知る頃には、原田は無事ではいられないだろう。生殺与奪の権利は既に秀嗣の手の中にあった。

「恐れる必要はない。目的は一緒だ、ただ先に忍にたどり着かれて、秀長を殺されてしまうと面倒だからね」

 原田の意識は、ここで一度途絶えた。

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