第5話 ヒスイとおにぎり【後編】


 翌日の朝。


 炊き上がったライスを釜からおひつに移し、ヒスイが気合を入れようと頭巾の結び目をハチマキのようにキツく締めた。


 「ドロシー……、頭が急にクラクラって……」


 「ああ、もう。キツく締め過ぎよ。貸してみなさい」


 しゃがんだヒスイの頭巾を丁度いい具合に結び直してあげる。気合の入れすぎ、と言いたいが無理もない。なにしろヒスイにとっては生まれて初めての料理なのだから。


 作るのは例によっておにぎりだ。なので難しい料理というわけでも無い。ただ淡々と握り続ける作業だ。


 親方の元で働く人たちはみんな体格の良い男たちばかりなのでおにぎりは一人に3個。55人分のなので合計で165個のおにぎりを作ることになっている。


 ヒスイが料理初心者ということで作るのは何も入ってない塩おにぎりだ。これだけでも作業工程が軽減されるので大分作りやすくなったはずだ。


 今回、カルムはオカズを作っているのでおにぎり作りに参加出来ない。


 また、ドロシーも途中でお弁当の梱包作業に移るのでおにぎり作りはヒスイの頑張り次第となっている。


 簡単な料理とはいえ、初めて料理をするヒスイにも気を配らないとだめね。とドロシーはヒスイとは別の方向で気合を入れた。


 「ヒスイ、手は洗ったかしら?」


 「うん!」


 「それじゃ、さっそく始めましょうか」


 「りょーかい! まずはお塩を用意して~」


 塩の袋を持ったヒスイが炊き上がったライスに塩を入れようと袋を傾ける。


 「はい、ストップ」


 「はぇ?」


 ヒスイの手にしていた塩の袋を手で制止、動きを止める。


 案の定、ヒスイはいきなり間違えた方法を取ろうとしていた。


 「おにぎりを作るときは、まずこうして水で手を濡らして、それから濡れ手に塩をまぶして、それから握るの。こうすることでおにぎりの表面に丁度いい塩梅に味付けできるのよ」


 「う、うん」


 「あと、本来はこのように三角形を意識して作るのだけど、今回はカタチを意識せずに作りましょう」


 「どうして?」


 「おにぎりを握るときに気をつけることは崩れないように、そして柔らかく握ることよ。三角形というカタチを意識しすぎて崩れたり、逆に握りすぎて硬くなったおにぎりを提供するのは食べてくれる人に失礼でしょ?」


 とくに、ヒスイのような初心者がカタチを意識しようとすると自然と握る回数が増えてしまう。そうなるとおにぎりは必然的に硬くなってしまい不味くなってしまう。


 「な、なるほど」


 「そんなところかしら。それじゃ、改めて作り始めましょうか」


 「了解です! ドロシー先生」


 ヒスイがビシッと手の甲を額の辺りに構えて敬礼する。


 「……先生って響き、良いわね」


 ヒスイにおにぎりの作り方をレクチャーしつつ簡単なコツと注意点を教えておにぎりを作り始めたが、やはりヒスイの作るおにぎりは少し不格好だった。


 しかし、悪戦苦闘しながらもヒスイはゆっくりと、だが確実におにぎりをひとつひとつ作っていく。


 すぐ近くではカルムがフライパンで卵焼きと唐揚げを作っていた。香ばしい匂いに包まれた厨房の中で二人は油の踊る音を音楽におにぎりを黙々と作り続けた。


 「ヒスイ、腕にライスが付いてるわよ」


 「そういうドロシーだって肘に付いてるよ」


 「私は身体が小さいのだから腕を一杯に伸ばさないとライスに手が届かないのよ……、って誰がチビよ!」


 「そこまで言ってないよっ!?」


 ときどきこんな会話を交えつつもおにぎり作りは着々と進んでいった。


 途中、残りのおにぎり作りはヒスイに任せ、ドロシーは冷めたおにぎりをお弁当のカタチにするべくあらかじめ用意しておいた紙と葉で包んでいく作業に移った。


 最初の方に作ったヒスイのおにぎりは大きさがバラバラなので大きさを選んで均等になるように入れてゆく。


 おにぎりのお弁当を7割ほど作り終えた頃、ドロシーはヒスイの様子をチラッと伺った。


 料理慣れしていないヒスイは額に汗を浮かべながら、それでも一生懸命作っていた。


 「よいしょ、よいしょ。わっせ、わっせ」


 おにぎりの形はまだまだ不格好だが、しかし大きさが均等になっていたりとだいぶ様になってきている。


 これならおにぎり自体には何の問題も無いだろう。


 しかし……。


 「…………ふぅ」


 やはり、初めての調理作業にヒスイの疲労が目に見えて分かった。


 「ヒスイ、大丈夫?」


 「大丈夫! これぐらい余裕だよ!」


 明らかに強がっている。


 とはいえ、ヒスイの頑張りのおかげで作業も残すはあとわずかだ。


 「無理はダメよ。あとは私がひとりでやるわ」


 そう言うがヒスイは握る手を止めなかった。


 「一度やるって言ったんだもん、最後まで頑張りるよ!」


 そういってヒスイは黙々とおにぎりを作り続けた。


 カルムが冷めた卵焼きに包丁を入れる手を一瞬休めてフッと微笑んだのが分かる。


 慣れない料理に疲れているだろうに、それでも頑張るヒスイにドロシーも自分の頬が緩むのを感じた。


 たとえ形が不格好でもヒスイの作ったおにぎりが美味しく食べて貰えることをドロシーは願った。


 やがて、ヒスイは165個のおにぎりを作り終え、55人分のお弁当を作り終えたのだった。


 おにぎりを包んだお弁当と唐揚げと卵焼きを包んだお弁当をそれぞれ複数の大きめの箱に詰めた。


 箱の下には別の箱を用意し、今朝方に氷売りのラズリルに頼んで作ってもらった小型の氷を入れてある。


 こうすることでお弁当を保冷し、少しでも痛みを遅くする仕組みだ。


 あとはよく冷えた緑茶を数本の大きな水筒に入れ、これらを荷台車で港まで運ぶだけとなった。


 「それじゃ二人共、よろしくね」


 「カルム、本当に良いの?」


 今回、お弁当を届ける時間は丁度お昼時だ。当然、カルム食堂のお昼の営業時間でもある。


 そんな中、カルムはお弁当はドロシーとヒスイの二人で届けて欲しいとお願いしたのだ。


 「ああ、お昼はそこまで忙しく無いし、それにお弁当を作ってる間に下ごしらえも済ませてあるからね」


 「だとしても、二人で行く必要は無いんじゃないかしら?」


 今回は55人分のお弁当に水筒という重さを荷車で引くことになるわけだが、ドワーフ族であるドロシーにかかればその程度の重さは軽いも同然なのでヒスイについてきてもらう必要は無かった。


 「配達ついでに、二人には今のうちに休憩してもらおうと思ってさ。ほら、ヒスイも姉さんも疲れてるだろ?」


 確かに、食堂でずっと接客をするよりは港まで配達に行く方が疲れないし気分転換も兼ねて良い休憩になるだろう。


 しかし、ドロシーにはカルムの考えがどうにもそれだけでは無いような気がしていた。


 「……分かったわ」


 とはいえ、休憩を貰えるのは嬉しい限りだ。ドロシーは腑に落ちないが納得することにした。


 「ドロシー、準備出来たよ!」


 「はいはい、今行くわ。それじゃカルム行ってくるわね」


 「うん、いってらっしゃい」


 ドロシーが荷台車を引き、ヒスイがそれに随伴ずいはんするように付いてゆく。


 港に着くとさっそく現場で監督作業をしてる親方を見つけた。


 「おお、ドロシーちゃんにヒスイちゃん。昨日は突然の注文すまなかったな!」


 「親方さん、こんにちわ!」


 「お仕事お疲れ様、親方さん。別に謝る必要は無いわよ。依頼を受けたのも最終的にはうちの店主の意思だもの」


 「わははは!! そうか、そう言って貰えると助かるぜ! で何を作ってきてくれたんだ?」


 「おにぎりと唐揚げと卵焼きよ」


 ドロシーは荷台車に乗せた箱の蓋を開けて中から紙と葉に包まれたお弁当をひとつ取り出す。


 「おにぎり……、ライスボールか?」


 「ええ、現場では手軽にご飯を取りたい人が多いでしょうから良いと思ってね」


 「みんなで頑張って作ったんだよ! おにぎりは私とドロシーが握って、唐揚げと卵焼きはカルムくん!」


 「おにぎりのほとんどはヒスイが握ったのよ。この子、一生懸命頑張って作ってたんだから」


 「ほほぅ、つまりこのライス……、いや、おにぎりはドロシーちゃんとヒスイちゃんの手作りでもあるってわけだな」


 親方は普段の豪快な笑いとは違う笑みをニヤッと浮かべると木箱を運んでいた男たちの方を振り返る。


 「おーい、お前らぁぁっ!!!! 飯が届いたぞぉぉぉーーー!!」


 お腹の底まで響くほどの大きな声で親方が働いていた男たちに呼びかける。さすが現場監督を務めるだけあってよく響く声だとドロシーは関心した。


 もし、親方に給仕をさせたならきっと騒がしい中でもオーダーを聞き間違えることは無いだろう。


 親方の大声を聞いた男たちは、重そうな木箱を担いだまま一斉にこちらを見る。


 「あれ……、いつものおばちゃんじゃない」「女の子?」「んだあの子。おっぱいでけぇぞ」など様々な声が聴こえてきた。


 「喜べお前ら! なんと今日はな! この子たちがお前らのために弁当を作ってくれたそうだぞ!」


 親方の言葉に周囲の空気が一瞬ザワッとなり、男たちの視線が親方の隣りに居たドロシーとヒスイに集中する。


 「お、おい、見ろよあの耳。あの子、ひょっとしてエルフ族じゃないか!?」


 「エルフってあのエルフか!? 不老でいつも花の香りがする美女揃いっていう……」


 「俺初めて見たわ……。すげぇ美少女」


 「んだよ! おっぱいでけぇな!」


 とくにヒスイが注目の的だった。同性のドロシーから見ても可愛く美しいのだ。当然だろう。


 「じゃあ、隣りの小さい子もエルフなのか?」


 「いや、あれはただの乳臭いガキだろ」


 「エルフの子みたいに美少女でも無いみたいだしなぁ」


 「んだよ……、おっぱいちっせぇな」


 ピキピキ……。


 「ふふ、ふふふ……」


 「わははっ! ドロシーちゃん可愛い顔が引き攣ってるぜ!」


 それでもドロシーはにっこりと影を落とした笑顔を浮かべ続ける。


 ヒスイと並んで立つとよく比較されるドロシーだったが、流石に複数人から同時に言われると堪えるものがあった。


 「よぉぉぅし! 今運んでるブツが終わったヤツから飯だ! 早くしねぇと無くなっちまうぞ! わはははッ!」


 「みなさーん! 頑張ってくださーい!」


 そんなドロシーの気持ちなど露知らず、ヒスイは大きく手を振りながらと曇りの無いびっきりの笑顔で男たちを応援する。


 男たちはそんなヒスイの無邪気なエールに応えるように「「「ウォォォォォーーーッ!!!!!」」」と雄叫びを上げ、さきほどまでの2倍のスピードで木箱を運び出した。


 「まったく、男って……」


 「わははっ!! ま、それぐらい単純な方が生きてて楽しいってもんだ」


 呆れるドロシーに無邪気に手を振るうヒスイ。二人は男たちの給仕をしたあと、一緒になってお昼を食べてから帰路に着いた。


 「みんな喜んでたね!」


 「ええ、そうね」


 ヒスイに手渡しで『お疲れ様です』という言葉と共にお弁当を受け取った男たちは皆すっかりヒスイの虜になっていた。


 中にはおにぎりを食べながら『これが、この塩気がヒスイちゃんの味……っ!』などと意味不明なことを言ってる者や、『この包み紙は大切に持って帰ろう……』などと言っている者もいた。。


 これなら干し芋や乾燥豆はおろか、ヒスイが持って来さえすれば調理前の食材でも十分に満足したのでは無いだろうかと今なら思えた。


 「ひょっとして、カルムはこのことを見越して……?」


 男なら可愛い女の子に給仕をして貰えれば喜ぶこと間違いは無いだろう。


 実際、男たちの表情とすっかり軽くなった荷車がみんなが満足してお昼を食べてくれたことを証明してくれていた。


 「ドロシー。私大変なことに気が付いちゃった!」


 「私は変態が居たことに気がついたけどね……」


 「……ん?」


 「いえ、なんでも無いわ。それでどうしたの?」


 「料理ってすごく大変だけど、それを誰かに食べてもらって、美味しいって喜んでもらえるとすっっごく楽しいんだなって気づいちゃった!」


 ヒスイは空を仰いで嬉しそうに言う。


 その笑顔は仕事を終えたときのカルムの満足気な横顔とどこか似ていた。


 「そうね」


 ドロシーもその横顔を見て微笑んだ。


 二人は軽い足取りでカルム食堂へと帰る。それは決して荷車の上のお弁当が空っぽになったことことだけが理由では無かった。




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 「あ、そういえば。あそこの人たち今夜ウチに食べに来てくれるんだって!」


 「…………は?」


 「楽しみだね! 頑張っておもてなししなくちゃ!」


 「いやいや、ちょっと待ちなさい!?」


 そう言ってヒスイはフンッと鼻息を荒くして気合を入れるがドロシーはその言葉の意味に動揺していた。


 カルム食堂はたった3人で経営している。なのに55人もの団体客をその3人で捌くことになるわけだ。今朝のお弁当作りとは比較にならないほど大変なことになるのは明らかだった。


 『配達ついでに、二人には今のうちに・・・・・休憩してもらおうと思ってさ』


 そこで、ドロシーは出かける前にカルムが言っていた言葉を思い出す。


 「ま、まさか、カルムが私たちを休憩させた本当の狙いって……」


 冷静に考えればヒスイのような美少女が男たちの元に出向けば当然、男たちの気を引くだろう。となれば、その男たちは再びヒスイに会うために食堂に訪れるようになるのは当然の流れと言えた。


 ヒスイは本当に男を誘惑して虜にするサキュバスなのではないだろうか?


 「がんばろうねドロシー!」


 「え、ええ、……そうね」


 果たしてどうなることやら……。ドロシーはそんなことを思いながら笑顔で隣りを歩くヒスイを見て改めてヒスイを羨ましいと思った。


 その日の夜。仕事を終えた大勢の男たちがカルム食堂に訪れると店内で新緑の髪を持つ美しいエルフ族の少女が天使のような笑顔でお決まりのセリフと共に出迎える。


 「いらっしゃいませ! ようこそカルム食堂へ!」

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