空港 その2

*****


 揺すり起こされて、俺が目を覚ますと、飛行機はすでに羽田空港に着いていたようだ。

「もうちょっとで降機口と飛行機が接続するよ。降りる準備をしよ」

 俺が起きたのを確認すると、鈴木は持ち込んでいる鞄からスマホを取り出し、いじっていると、ふと、俺に向かって苦笑した。

「ナベ、顔拭いた方がいいよ。顔の左に寝跡がすごくついているよ」

「あ、本当だ。ナベ、今回はかなり気持ち良く寝れたみたいだね。よっぽど座席に力を入れて寝てたとは」

 佐野も鈴木の向こう側から顔をだし、笑いながら俺の顔をじろじろと見た。

「い、いや、変な夢を見てさ。なんか、女に平手打ちを食らった気がする。ってて、ちょっと痛いねこれ」

 頬をタッチすると、ひんやりと痛みを感じた。

「え?ひょっとして、田中玲子か?」

 佐野が座席上の荷物入れを覗こうとした顔を下げて、俺にそう言った。それを聞いて、横の鈴木も驚く。

「なに、ナベ、そいつが夢に出てきたのか?」

「なんだ、まだいちゃもんつけてきたら言ってな、文句は俺が引き受けるよ」

 そう胸を叩き、佐野は口元をにやりとした。少し目を細めながら鈴木も同意する。


 田中玲子。ジャニオタ。

俺が同僚の代打で参加した合コンで、その女から俺にアプローチをかけといて、ゲームオタクってことで、こっぴどく振りやがった女である。

俺は俺でジャニーズのネタとか、デート場所とか結構勉強したんだけど、結局なんか変な理由で振られてしまった。

ゲームを買おうとしたんだけど、その並んでいる周りの人のファッションがダメだからって……。

ちょっと意味不明すぎて、俺が女性恐怖症に陥った。

振られた後も、会社で会うたびに何かしら上目線で文句を言ってくる女だった。

なんどか夢にも出てきたぐらいだ。

ほっといてほしいのだが。

佐野と鈴木、あとは呉、が一緒にいるときには逆に言い返せるが、俺一人の時は言われ放題だ。


「違う違う、別の女さ」

「お、それはそれで珍しいな。はい、ナベのショルダーバッグ」

 佐野は鞄を渡しながら、聞いてきた。

「いや、実はさっきで二回目なんだよな。夢で見たのは」

「二回も?どんな女だ?」

 そう鈴木に聞かれたので、赤いベレー帽ってだけ言った。

「うん?どっかで聞いたような?」

「そうだよ。ほら、陽明山の警察署からホテルに戻るときにさ、俺、ちらっと交差点で見たって言ったじゃん。どうも、その女っぽいんだよな」

「なになに、鈴木も知ってるやつなの?ナベが言っていた女って?」

「いや、俺は聞いただけだけど、見たことはないな。あ、前が動いた。佐野先に出ちゃって」

「おう。まぁ、他の女のことが出てくるだけ、いいことだと思うよ」

 佐野はそういうと、通路に並んでいる乗客の流れに沿って前に動いた。

鈴木、俺と続く。


 そのまま搭乗橋を通って、俺達三人は空港の到着ロビーに入った。

ぞろぞろと歩いて、入国審査場に着いたときに俺は気づいた。

やばい、あの赤い小包の中には台湾元にして九十九万元。日本円にして約四百万円が札束として入っているんだった。

急いで前を歩いている鈴木に声かけた。

佐野は歩き速度が速く、すでに審査の列に並んでいるからだ。


「ち、ちょっと、鈴木」

「ん、どうしたの?トイレか?だったら待つよ」

「いや、違うんだ。ほら、例の小包がね」

「……。あっ」

 入国審査官や警備員が近くにいるので、小声での会話になるが、それで、鈴木が俺が何を言っているのかに気づいてくれた。

さらに、俺が困っている事象にもだ。

「どこにしまったの?」

「トランク」

「マジで!?」


 鈴木のしまったの顔を見て、俺もその顔になった。

そう、俺は部屋を出る直前、服と一緒にその小包をトランクの中に入れたのだ。

しまったというのは二点あって、一つはトランクの中において、盗まれる可能性があるってこと。

もう一つは、これから税関を通るときに開けろと言われる可能性が高いことだ。

前者の場合、俺にはそれを探し出すすべがなく、後者なら、罰金もしくは没収となる可能性がある点だ。

かといって、トランクをターンテーブルから引き取った後、その場で小包だけを自分の手持ち鞄に入れるとしても、他の人から見ると、怪しさ満点で、逆に呼びつけられそうだ。

 入国審査のラインに鈴木と二人で並ぶと、鈴木は自分の頭のてっぺんをなでながら、考え込むように黙った。

その後、俺の両手を見て、ついでに前で既に審査官と話している佐野を見て、ニヤッとした。

「ナベ、あとでちょっと佐野にも協力してもらおう」

「え?どうやって」

「まぁ、まずは入国をパスしよう。そのあとはトイレだ」

「パスって、外国人の呉さんじゃないんだから、俺達は日本人だから、入国審査で引っかかるとこはないだろう」

「そうか、今回は呉さんはいないんだ」

 そう、この四人で唯一の外国籍である呉はこういう時は、外国人専用の審査となり、少々面倒となる。

とはいえ、本人はそれを気にしていないので、俺たちはもっと気にする必要はない。

ただ、すこしばかり時間がかかるだけだ。

その呉がいないので、俺達三人はすぐに審査を終え、税関前のトイレに向かった。


 鈴木のアイディアとは、佐野が持っている二つのお土産袋を俺に渡し、俺がさも、会社の出張で台湾に行ってきたような雰囲気を醸し出す。

そうすることで、税関がこいつは仕事だから悪をしないだろうと、勝手に誤解することを狙うものだ。

 やるじゃん、という佐野と反対に、俺は少し口を閉じれなかった。

わざわざトイレに男三人で集まって、なにか戦略を練るのかと思いきや、単に佐野のお土産を俺が持つだけというものにだ。


「それ、別にトイレに来なくても大丈夫なんじゃないの?」

 思わず俺がそういうと、鈴木はけたけた笑いながら、立小便の便器に向かった。

「いや、俺がトイレに来たかっただけだ」

「おいおい」

 苦笑しながら佐野はその後ろ姿が視界に入らないように振り向いた。

「まぁ、とりあえず、やってみるか。佐野、それじゃ、その紙袋借りるね」

「はいよ」

「結構かさばってるね。ちなみに、中には何が入っているの?」

「ああ、ほら、パイナップルケーキ。本当はトランクに入れていたんだけど、例のお姉さん方のお土産が大きすぎて、これらを取り出したんだ」

 佐野はそう俺に紙袋の中身を見せると、愚痴った。


 お姉さん方に佐野が頼まれたのは、台湾でマンゴを成分にしている製造されたシャンプーとリンスのセットを三つ分だった。

呉の新しい彼女、グレースの親戚のところでそれを見たときには笑いが止まらなくなった。

シャンプーの大きさが一リットルだった。

リンスもだ。それを三セットって、合計で六リットルの容量を会社のお姉さま方(=お局様)に買わなきゃいけないなんて、笑うしかなかった。

どんだけ嫌われているんだ、佐野は。

鈴木も俺も香水とか、石鹸とか、小さいものばかりだぞ。

まぁ、呉に至っては、彼女らに気に入られているのか、こういう買い物の依頼自体がなかった。

羨ましい。


 まぁいい。横で小便をしている鈴木は置いといて、佐野と俺は先にトイレを出ることにした。

少し待って、ターンテーブルに俺のトランクが流れてきた。

それを受け取り、税関の列に並ぶ。

ちらっと佐野と鈴木を探すと、二人も近くの税関待ちの列にいた。

 さぁ、ドキドキの税関。

 と思ったのは俺だけだったかも。

 税関のおっさんは俺の手に持っている紙袋に視線をちらっとやると、「出張ですか?」と聞いてきた。

いきなりだったので、うまい言葉がでずただ頷くと、俺がパスポートを渡す前に、「行っていいですよ」と指示してきた。

 これだけだった。

緊張するもなにも、いつの間にか税関を通り越えた。


「早かっただろう」

「助かったよ」

 到着ロビーで佐野と鈴木を待っていると、鈴木がウィンクをしながらやってきた。

佐野も続いていたので、紙袋を渡す。

「あぁ、まだ十六時ちょっとか」

 紙袋を受け取って、佐野は時計を確認しながらつぶやいた。

「二人ともごめん、俺、ちょっと秋ちゃんとこ寄ってくるわ」

 片手で拝むジェスチャーをしながら、佐野はそう俺達二人に謝ってきた。

「え?秋ちゃんって、この前大喧嘩して別れたんじゃないの?」

「ごめん、鈴木、佐野言っている秋ちゃんってどこの子?」

 事情を分かってそうな鈴木に俺は聞いてみた。

佐野は特定の彼女を作ってはいないが、それに近いのは少なくとも二人知っていた。

が、俺が知っている両方ともその名前じゃなかった。

「いやー、この前の合コンでさ、いい子がいたんだわ。ちょっと付き合って2週間だけど、やきもちがすごくてな、だから別れたんだけどさ、実はさ……」

「い、いや、いいから行ってきな。また月曜日に会社でな」

 そのまま佐野に説明させると、いつの間にかゲームオタクにはきっつい惚気話を聞かされそうだから、話を中断してばいばいした。

鈴木も苦笑しながら手をひらひらと振った。

佐野がタクシー乗り場へ直行するのを見て、どうしようかなと鈴木に話を振ろうとしたら、何やら言いたいことがあるらしく、俺の方をちらちら見てきた。


 なんだ。夢で誰かがやった気がしたが、男のちらちらは気持ち悪い。

どうせ、鈴木もしたいことは分かってるんだ。

「鈴木、いいよ。行ってきな」

「あはは、ばれちゃった?ごめんごめん、それじゃ、俺も彼女のとこに行ってくるよ。それじゃ、またね」

 鈴木も満面の笑顔でタクシー乗り場に向かった。

 正直、二人ともうらやましいが、俺はしばらく一人が良い。

あの第二の田中玲子に出会ったら、一生女を嫌いになりそうだ。


 はぁぁとため息をつきながら、俺は空港バス乗り場に向かった。

羽田空港から川越まではリムジンバスが出ているので、それに乗るためだ。

まだ十七時前、このまま帰るのも勿体ないなと考えたら、大事なことを思い出した。

 俺にはあの赤い小包があるじゃないか。

 急いで、二階の到着ロビーに戻ると、俺はトランクからその小包を取り出し、十枚の一万元を抜き出すと、両替所で両替した。

三十九万円ちょっととなった。

 よし、これを資本金として、今から風俗へ行くぞ!

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