第3話

 先輩の突然の来訪があった次の週の学校。

 俺はいつも通り自分の机で弁当を開こうとしたあたりで先輩からメールで呼び出された。まあ一応付き合っているという形なのだ、呼び出されること自体は構わない。

 良いんだが、その場所が問題だった。


「中庭は目立つんじゃないですか」

「むしろある程度は人目につかないと困るよ。寄ってくる男を避けたいという目的があるんだから」

「カカシを納屋に突っ込んでも意味がないって話ですか……まあそういうことなら協力しますが」

「顔にへのへのもへじでも書いてあげようか」

「俺は他人からの評価がなんであれ、親から貰った顔が嫌いじゃあないんです」

「良い話だ、感動する。それじゃあ飯としようか」


 中庭のベンチは丁度木陰になっていて風通しも良い。冬は寒すぎて辛いが、5月という今現在では悪くない憩いの場所だ。つまり人が集まる。そして周囲は俺達の方をちらちらと見ている。こっち見てんじゃねえよと言いたいところではあるが、直接あれこれ詮索するような奴が居ないだけ良いのだろう。

 と、思っていたら、丁度厄介そうな連中が来た。


「柚梨先輩、どうしたんですか?」

「沖か。どうしたも何もご飯食べてるんだよ。見ればわかるだろう?」


 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした女が、御法川先輩に声をかけた。陸上部の二年生の沖だ。眼鏡をかけてポニーテールの髪型にしており、顔つきもどこかおっとりとした印象だ。だが、顔に似合わず性格はまさしく体育会系スパルタといった感じで、俺のようなエンジョイ勢とはあまり折り合いが良くなかった。良くなかった、と過去形で表現できることが嬉しいのでこちらに構わないでほしい。


「それは……そうですけど……」


 目は口ほどに物を言うなどと言うが、「なんでこんな男と」という不躾な視線を送ってこられてもな。ケンカ売ってんのこの子。


「俺達付き合ってるんだ」

「そういう冗談は良いから。悪いけど私、先輩と話してるの」


 と、沖は歯牙にもかけずに俺の言葉を切り捨てる。


「いや本当だ。付き合ってるんだ」


 御法川先輩の言葉に、沖の表情が固まった。


「そうだ、蓮。昨日淹れてくれたコーヒー美味しかったな。また頼むよ」

「ええと、淹れてきましょうか。タンブラーか何かに入れて」

「良いのかい?」

「淹れたてじゃないんで香りは飛んじゃいますけどね、それでもよければ」


 俺も御法川先輩も、良い趣味をしていない。独り者を煽るカップルの如く、沖がショックを受けているのを密やかに楽しんでいる。俺達の状況とは違うだろうが、他人の男や女を狙う間男間女ってのはこういう背徳感を求めているんだろうな。いつの世も不倫がなくならないわけだ。


「……お邪魔しました」

「ああ、またな」


 沖は肩を落として中庭から去っていった。


「……あれで良かったんですかね」


 女同士の関係というものはよくわからないが、沖は御法川先輩を慕っていたように思う。俺は正直彼女のことが苦手だからあの子がダメージ食らおうと一向に構わんのだが。


「……良いんだ。正直ちょっと沖に……というか、沖達に依存されて困っていた。授業中以外は四六時中押しかけられて自分の時間も持てなかったし。変な男に言い寄られて困るというのもあるが、言い寄ってくる女の子もそれはそれで困る」

「依存ですか……」

「まあ昼や部活が終わった後に帰るくらいなら良いんだが……。休みもひっきりなしにメールで相談とか買い物に付き合ってとなると流石にな……私から卒業して彼氏でも見つけて欲しい」

「まあ確かにそこまでは面倒見きれませんね」

「私はただ走りたいだけで陸上をやってるんだ。だからちょっと……疲れる」


 その言葉は意外だった。間違いなく御法川先輩は陸上部でリーダーシップを発揮していた。他人を気にせず自分の練習、自分の結果しか興味がないというストイックなタイプとも違い、仲間や後輩の面倒をよく見ていたし、顧問の先生から頼まれる雑事も嫌な顔をせずにこなしていたように俺の目には映っていた。


「……まあ俺はもう陸上部じゃないんで、愚痴りたいことがあれば幾らでもどうぞ」


 仮初の彼氏とはいえ、そのくらい労っても罰はあたるまい。


「それよりもコーヒーの話は本当だろうな? 頼んだよ」

「いや良いですけどね。そんなに美味かったんですか?」

「ああ。あれでもう少し甘いもののメニューが多ければ私好みなんだが」

「店長にかけあってみますよ」


 そんな他愛ない話をしながら昼休みを過ごした。

 友達が居らず暇潰しに困っていた身としては純粋に助かったと思う。お互い、利益を与えあっていると思うと気が楽になった。誰かとダメージを与え合うだけの関係よりはよほど救われる。

 しかし御法川先輩は自分がこれまで抱いていた人物像と実物との間に相当なギャップがある。俺自身、色眼鏡で見ていたということもあるかもしれないが、俺がこれまで抱いていた御法川先輩のイメージと、周囲の人間が抱く御法川先輩のイメージはそう大きくズレてはいないはずだ。御法川先輩は、自分の素というものを友人や知人に見せてこなかったのだろうか。

 そう考えると、先輩も孤独な人なのかもしれない。


***


 そんなわけで周囲の人間に二人仲睦まじく昼食を取る姿を見せつけるという悪趣味な習慣がしばらく続いた。

 陸上部の連中は俺達の姿を見て誰もが面食らったし、御法川先輩にそこはかとない憧れを抱いていたであろう男や女は俺に痛々しい視線を投げつける。これまで自撮りや自分の自慢げな姿の写真をネットに上げる人の気持ちがわからなかったが今、頭ではなく心で理解できた。他人からの羨望や嫉妬というのはたまらない美酒だな。これに酔っ払う連中が増えるのもわかる。とはいえこんなさもしいマウンティング合戦もいつかは負けるときが来る。俺も酔わないよう気をつけねば。

 もっとも俺と御法川先輩は一応「付き合っている」という形に過ぎず、学校において昼休み以外はほぼ別行動だ。俺も先輩も重くべたべたした付き合いというのにはあんまり興味がない。一緒に登下校するということもないし夜にメールで連絡を取り合うといった小まめなこともしていない。休みの日の場合も、先輩は部活に全力投球しており、俺は俺でバイトに勤しんでいる。陸上部は夏の大会に向けて練習まっさかりらしく先輩も他の部員も大変らしい。だがそのせわしない練習のおかげで高田と俺の件も忘れられつつあるようだ。そのときは大事だと思っても人間はやがて現状に適応し忘れてしまう。またふらりとバイト先の喫茶店にやってきた御法川先輩からそんな話を聞かされたのだが、俺としてはまあ良いことなんじゃないですかとしか言えない。だが俺の答えにご不満だったらしく、「他人事のように言うな」などと怒られた。理不尽だ。更にこんな雑談をしていたら店長から「もう上がっていいからテーブルに座ってろ」と言われる始末だ。ますます理不尽極まりない。


「それですみません、そろそろ帰ろうかと」

「ん? 構わんが」

「ここのテーブルに座ってると常連の人に微笑ましい目で見られるので少々辛いです」

「あ、ああ、そうか」


 御法川先輩が、こちらを見ている老婦人の微笑ましい目に気付いてさっと赤面する。ここは昔ながらの店長の知人やお得意さんが多いので、アルバイトである俺に彼女ができたという話を言いふらしてしまっていた。おかげでお客さんからあれこれ詮索されてどう対応すべきか非常に悩む。同じ学校の生徒であれば「俺達付き合ってますよ」と言っておしまいだが、お客さんには取り繕う必要も無い。そのことが逆に作用してどう振る舞うべきかがわからない。ラブラブしい姿を見せておいて後で彼氏役としての俺が不要になったとき「フラれました」ということになれば、これは凄まじく憐れまれることだろう。先々のことを考えると面倒だな。

 ともあれ俺達は慌ただしく店を出て、駅までの道程を並んで歩く。俺は家も図書館もここから徒歩圏内ではあるが、先輩が店を出るときは駅まで送る習慣ができていた。


「実はちょっと図書館に行こうと思って」

「勉強でもするのか」

「中間テスト近いですし」

「……意外と真面目だな」

「いや普通気にすると思うんですけど……そういえば先輩って進路どうするんです?」


 うっ、といううめき声が聞こえた。地雷踏んじゃいましたかね。


「大学には行こう……とは思ってるんだが」

「志望校が固まらないって感じですか……というか進路相談とかは」

「だいたい自分の偏差値に近い大学の名前を出してはいるが……」


 内心としては決めあぐねていると。ま、よくある話だろう。


「インカレの陸上強いところとかどうです?」

「部活としては好きだが将来設計に組み込むほど打ち込もうとは思っていない。走るのは好きだがそれを目的に大学を選ぼうとは思わないな」

「なるほど」


 まあウチの学校も弱小ではないが、そこまで強いというわけではないしな。中堅と言ったところだ。


「人に聞くばかりじゃなくてお前はどうなんだ」

「ん? 最寄りの国立大狙いですけど」

「迷いがないな。やりたいことでも?」

「やりたいことってのは特に無いですね。今のバイト続けたいってのはありますけど」

「人のことは言えんがお前もてきとうだな。何か無いのか。例えば……弁護士とか医者とか。芸能人とか作家とか」

「なんですかそのラインナップは」

「夢があるだろう?」


 夢、か。

 小学生くらいの頃は医者になりたいと思ったこともあったな。

 もっと言えば誰かを救うヒーローになりたかった。


「公務員か、安定した会社に勤めたいですね」

「…………全然夢がないな」

「そうは言いますが、大事ですよ生活は」


 どうも俺の答えはご期待に添えなかったようで、先輩はがっかりした様子だった。確かに、進路に悩んでいる若者には快い答えではなかっただろう。迷える子羊に幸いあれと祈りつつ改札をくぐる先輩の背中を見送る。

 将来という点において俺が選べる選択肢は限られている。赤の他人を救う前に自分と自分の家庭の方が大事だ。子供の頃の夢を追いかけてもいられない。そんな内心を言おうかと思ったが、彼女の進路を考えるにあたって参考にはならないだろう。恐らく御法川先輩は、噂に聞く限りではお金持ちだ。どこか都会の私大に行って仕送りで一人暮らしといったことも無理なく叶うだろう。ちょっとくらいモラトリアムが長くて悪いということもあるまい。

 先輩を送った後は、俺は図書館へと向かった。だが流石に休みの日は混んでいる。自習室も人が多くあまり集中できそうもなく家に帰ったほうがマシだなと考えて帰途につく。

 家の玄関を開けて台所を見ると、母さんが死んだ顔でテーブルに突っ伏している。


「……風邪引くからちゃんと寝なよ」

「あー……おかえりー……」


 長時間のシフトが終わり帰ってきたところだったのだろう。晩飯の材料らしき野菜やお惣菜の入ったエコバッグがずんがりとテーブルの上に置いてある。状況としては、冷蔵庫にしまおうとしたあたりで疲れがピークに来て意識が落ちたと推察できる。


「やっとくから寝てなって。今忙しいんだろ」

「うーん……やる、やるから……」


 と、口では言いつつも体は動かない。夜勤明けでかなり疲れているのだろう。

 もっと休めば良いのに。と、言いたいところではあるが、そういうわけにもいかない。


「あんまり無理しないでって」

「あんたこそバイト減らして勉強しなさい……」

「バイトは楽しいし、今の成績なら大学は合格圏内だってば」

「もっと上のところ狙えるでしょ」

「面倒だよお金もかかるし……」


 そういえば、医者になりたいという夢は母と祖母が喜んでくれていた。祖母が他界してもう10年ほどになる。ちなみに祖父が死んだのは最近で、ようやく三回忌が過ぎたところだ。

 子供の頃、母さんと共に祖母の見舞いに行った日のことを今もよく覚えている。おばあちゃんの病気を治すんだ、などと威勢よく言ったものだった。いやしかし現実問題として難しいのなんの。お金はかかるわ学力が足らんわ、流石に現実味がない。それに母さんの働く様子を見るうち、医療関係への憧れは年が立つに連れて色褪せていった。流石に傍目から見てて忙しすぎる。父の勤め先のシステム開発会社もなかなかのブラックだが恐らく病院ほどじゃない。そんな現実を知って声だけ番長になってしまったことはおばあちゃんに申し訳なく思う。ごめんなさい。

 気付けば母はまた寝落ちしており、ベッドへと運んで毛布を掛けた。母親じゃなくて彼女をお姫様抱っこしたいところではあるが、先輩には体を求めないのも契約の一つだ。仕方ない。


「あれ、そういえば……」


 俺が医者になる宣言をして、お姫様抱っこをした相手が他にも居たな。

 確か、祖母の入院していた病院の入院患者の子だった。祖母の見舞いに行く途中でやたら青い顔をした女の子が居て、その子を病院までお姫様抱っこで運んだのだ。彼女自身俺に捕まる力もないので背負うこともできず、母親に「よし、蓮。お姫様抱っこしなさい」と発破をかけられてチャレンジしたのだ。ぶっちゃけデブい子だったので数百メートルの道のりが相当大変だったのを覚えている。それを期に、祖母の見舞いのついでに女の子と話すようになった。後から聞いた話では、喘息と肥満のために運動を勧められていたところで、いきなり長い距離を歩きすぎてしまっていたらしい。やや暗い性格ではあるが、素直な子だった。学校のような人目も無かったので、「医者になりたい」とか「医者になったら病気を治してあげる」とか、格好いい台詞を吹かせるだけ吹かした記憶がある。そのくせやったことと言えば、ダイエットのウォーキングに付き添って励ましたり神社の健康祈願のお守りをあげたりという「応援」とか「祈る」などの労力の要らないことばかりだった。今思えば恥ずかしい記憶だ。

 名前は、ええと……思い出した、みかんちゃんだ。名字はアキノだったか。彼女も重篤な病気というわけでもなかったので、今頃はどこかの高校で同じく勉強に取り組んでいることだろう。俺のように夢をなくしてしまったか、それとも健康を取り戻して前向きに生きているか、それはわからない。健康を取り戻して明るい学生生活を送っていてほしいと思う。

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