第7話

 時刻は深夜の零時を回った。


 ついにここまで来た。なんかいろいろあったけど、これでやっと天空集住地に帰れる。


「あと少しで帰れるね」


 夢果が言った。


「ああ。ほんとだよ。俺、帰ったらとりあえず寝ようと思う」


「わたしも」


 この様子なら祓魔師がここを突き止めて襲撃してくることもないだろう。


 零時三十分まであと少し、三十分になればドウェイン=スコットと連絡を取って、天空集住地に帰るのだ。


 俺たちはもう完全に安心しきっていた。


 しかし、それは唐突にやってくる。


 神の悪戯か、魔王の悪戯かはわからない。


 ピンポーン、と。部屋の呼び鈴が鳴った。


 誰だ? こんな時間に。


 訝しみながら部屋の扉に近づき、ドアスコープを覗き、誰が尋ねてきたのか確認。


 そこにいたのはホテル従業員の制服に身を包んだ男――ホテルマンだった。


 どうして? そんな疑問があったから、俺はチェーンを付けたままでドアを開く。チェーンがあるからドアは少しだけ開かれる。


 その瞬間、ホテルマンは素早い所作でペンチのような形をしたチェーンカッターを取り出し、それでチェーンを切断。そして、一気に部屋に入り込んでくる。


「っ!」


 俺は咄嗟に刀を出現させた。対するホテルマンの衣装に身を包んだ男も腰に差していた剣を抜き、俺に襲い掛かってくる。


 拮抗。


「やあ」なんて声をホテルマンは発した。というか、こいつはホテルマンなどではない。どこのホテルに客室に強引に押し入るホテルマンがいるか。


 俺はそいつの顔を見る。


「お前……っ」


 それは知っている顔だった。


 そいつは祓魔師だった。アド・アボレンダム所属の、名前は確か……ジルベール=ギー。


 ジルベール=ギーがホテルマンに変装して乗り込んできやがった!


「どうして、ここがっ!?」


 わからない。どうやってこいつはここを特定した?


 ジルベールはそんな俺の疑問には答えてくれない。彼はにやりと口を裂いて笑い「お邪魔するよ」と言っただけ。


 ぞろぞろと開け放たれた扉からほかの祓魔師たちも入ってくる。俺はそちらの対処をしたかったが、ジルベールを相手にしているからどうしようもなかった。


 部屋の方から悲鳴が聞こえてくる。夢果と灰ヶ峰のものだった。ちょっと、と夢果が声を荒らげて反抗しているようだ。しかし、サキュバスに憑かれている夢果に戦う力はない。サキュバスはただ人間を唆すだけの悪魔だ。自分と性行をさせようと唆すだけ。あとはまあ蝙蝠の姿に化けて飛び回るくらいか。夢果の持つ異能力も男を誘うか、蝙蝠の羽を生やして空を飛ぶ程度。


 今すぐにでも助けに行きたかった。


 でも。


「あなたの相手は俺ですよ」


 ジルベールが一向に退いてくれない。どうやら今はジルベールとの戦闘に集中しなくてはいけないようだ。


「――、――、――」


 俺には理解できない言語を口ずさむジルベール。突如に襲い掛かる眩暈。まただ。こいつ、聖書の一節を唱えやがった。


 悪魔憑きであるからして、こういう聖なるものにはてんで弱い。聖性に触れると眩暈を起こす。


 足がふらつき、俺は鍔迫り合いを諦めて、思わず後退をしてしまう。何をしているんだ、俺は? そんなことを思っても、あまりの気分の悪さに後退せざるを得なかった。したくなかったけど、気付けば俺のふらつく足は後ろへと下がっていた。


 刀を持つ手も震える。切っ先をまっすぐジルベールに向けられない。


 不敵に笑うジルベールはこちらへ近づく。彼は軽く剣を横に振る。片手間に俺を殺すみたいに振られる剣。俺は朦朧とする意識の中で刀を振って、ジルベールの振る剣を防ぐけど、その反動は防ぎきれずに頽れる。


「後で殺してやるから、おとなしくしていてください」


 そんなことをジルベールは言って部屋の方へ向かう。


「ふざ、けるな……」


 何が後で殺してやるだ。殺したいのはこちらの方だ。


 這うようにしてジルベールの後を追うも、ジルベールはすでに部屋の方へ消えている。


 床を這って、俺もようやく部屋の方へ辿り着く。しかし、そこは、もう……。


 夢果は床に倒れていた。意識はあるみたいだが、その顔は苦痛に歪んでいて、どうやら壁かどこかに身体を打って身動きができないらしい。あと、たぶん今の俺みたいに聖書でも唱えられて、気分を悪くしているんだと思う。


 そして、灰ヶ峰椿姫は完全に気を失っていた。気絶した彼女は祓魔師の一人に抱えられていた。


「捕えましたね」ジルベールが言う。「ベッドに寝かせてください」


 言われて、灰ヶ峰を抱えていた祓魔師は彼女をベッドの上に放り投げる。乱暴にベッドの上に乗った灰ヶ峰はそれでも起きる様子はない。


「エレキシュキガル。まったく悪趣味な悪魔だ。見つめた者を殺すだなんて。そんな悪魔に憑かれたこの子もまた酷い悪であった。彼女のおかげで、我々の仲間も殺された」


「不可、効力……だったんだろう」


 俺はそんなことを言いながら、刀を杖にして立ち上がる。


「まだ、立ち上がりますか?」ジルベールがこちらを見て、言う。「しかし、その様子では思うようには動けませんね。なら、そこで黙って見ていてください」


 ジルベールは剣を掲げる。その剣は灰ヶ峰を突き刺すように掲げられていた。


「不可抗力。そうは言いますが、本当にそうでしょうか。我々は彼女を追っていた。彼女にとって我々は脅威でしたでしょう。きっと排除なり退けさせるなりしたかったはずです。結局、我々から逃れるためには我々に攻撃するしかなかった。忌々しい悪しき穢れた力を使って。だから、彼らは彼女の不可抗力で死んだのではない。彼らは彼女の悪意によって殺された。ならば、悪は排除しなくてはいけない。殺すことは悪なのです」


「お前らだって……」


「我々は正義だ。悪魔憑きは人ではない。神は人を殺すことを禁じているが、それ以外を殺すことは禁じていない。化け物を殺すことを神はきっとお赦しになるだろう。いや、お褒めになる。ゆえに、悪魔憑きを殺すことは神より赦された正義の所業」


 御託を言って、ジルベールは掲げた剣を灰ヶ峰に突き立て――



「うるさいと思って来てみれば。ふふん。これは僥倖。すばらしく僥倖。我が主に感謝しなければなりませんね」



 ――突き立てようとした刹那にツンと透き通る女性の声が響いた。


 ジルベールは灰ヶ峰に剣を突き立てるのをやめ、そちらを見る。俺も咄嗟に振り返り、声の主を見る。


 というか、俺の眼前にその声の主はいた。白い祭服を着た金髪碧眼の女性だった。


「一応、この階のこの部屋以外の宿泊客はみんな追い出させたはずなんだけど」とジルベール。


「あら、そうでしたか。どうやら、私の方にはその通達は来ていなかったようですね」


 女性の返しが気に喰わなかったようで、ジルベールはつまらなそうな顔をする。


「嘘を言え」ジルベールが言う。「お前、いつから俺たちのことを尾行していた」


「尾行だなんて人聞きが悪い。本当にたまたまだったんですよ。私たちはここに宿泊していた。そうしたらどういうわけかあなた方が乗り込んできたんです。で、どうして乗り込んで来たかを考えれば、それはもう悪魔憑きがこのホテルにいると考えるのが普通です。いや、しかも、私たちも追っていた灰ヶ峰椿姫がいるとは本当に僥倖です」


 というわけで、と女性は言った。


「灰ヶ峰椿姫を渡してもらいたい」


「嫌ですね。こいつは我々が駆除する」


「いや、彼女は我々が清めます」


 勝手に話が進んでいるが、俺の意見も聞いてほしい。だから俺は言った。


「いやどっちも違う。灰ヶ峰は俺たちが連れて帰る」


「あなたは黙っていなさい」


 女性がそう言って、彼女は水の入ったペットボトルを懐から取り出す。そして優雅な所作でキャップを外す。このタイミングに水を飲むのか、と俺は首をかしげたがそんなことはなかった。


 女性はペットボトルに入った水を俺にぶっかける。俺の頭の上からどぼどぼと水が落ちてくる。つむじの辺りがひんやりしたかと思えば髪は濡れ、髪を伝って水が滴り、顔を濡らし、身体を濡らしていく。


「は?」


 あまりにも、すごくあまりにも突然のことで、俺は呆然となって動けない。


 なんだ? こいつは何をした? どうして俺はこんなにもびしょびしょに?


 女性の突然の行為を推し量っていたら、俺は不意に脱力してその場に倒れ込んだ。


 倒れ込んでから、俺は吐き気を催す。頭痛がする。視界がぼやける。高熱に悩まされているときみたいな感じ。


 眩暈。


 この感覚は、悪魔憑きが聖性に触れたときのそれ。


「ただの聖水ですよ」


 倒れた俺を見下ろして女性が言った。


 女性は俺を跨ぎ、前へ出る。


「さて、話の続きです。どうか、灰ヶ峰椿姫さんをこちらに渡してはくれないでしょうか? アド・アボレンダムの……祓魔師さん」


「さっきも言いましたけど、こいつは我々が駆除をする。祓魔師協会に渡すつもりはない」


 この女性、祓魔師協会の祓魔師なのか。酷い眩暈を感じながら俺はそんなことを思う。


「なら」と祓魔師協会の女性が言う。「なら言いますが、我々祓魔師協会はアド・アボレンダムのやり方を認めていません。しかしこの世界にアド・アボレンダムのような組織が存在している以上、あなた方を悪と認定するわけにはいかない。悪魔憑きは、憑いている悪魔さえ祓ってしまえば問題ないのです。悪なのは悪魔であり、それに憑かれている人間ではない。あなた方のやり方は人間と悪魔、両方を殺すやり方です。まったくどうしてあなた方みたいなのが市民共同体に属せているのだか。甚だ疑問です。……とにかく、我々はあなた方を認めない。認めない以上、我々はあなた方から灰ヶ峰椿姫さんを救い、正規の方法で悪魔祓いを行います」


「とは言うが、あなたがいくら願おうと、俺は灰ヶ峰椿姫をあなたには渡さない。こいつは俺がこの場で殺す」


「させません」


「あなたには何もできない」


「そうでしょうか?」


「なに?」とジルベールが訝しむ。


「ほら、ベッドの上を見てみなさい」


 俺は重い身体を動かして、女性の祓魔師とジルベールの方を見る。女性の祓魔師はベッドの方を指さしていた。ジルベールがベッドを見る。灰ヶ峰を寝かせたベッドだ。


 しかし、ベッドの上に灰ヶ峰はいなかった。そこに寝ていたはずなのに。灰ヶ峰椿姫はいない。


 俺は咄嗟に部屋の中を見回す。そして見つける。


 灰ヶ峰を小脇に抱える男がいた。童顔な感じを見るに少年。たぶん俺と歳は大差ない。


 誰だ? アド・アボレンダムの祓魔師ではないのか?


「裏切りか?」とジルベールが言った。やはり、彼はアド・アボレンダムの祓魔師なのか。


「部下の顔くらい憶えておきなさい」


 女性の祓魔師が言う。


 灰ヶ峰を抱えた少年は女性の祓魔師の隣に立つ。


「彼はね、私の部下なのです。あなたのではなく、私の」


「まさか」


「そう。あなた方がこの部屋に突入する際に紛れ込ませていた私の部下。有能でしょう。こうやってちゃんと仕事を遂行してくれるあたりが特に」


「俺を出し抜きましたね」


 ジルベールはそう言ったが、その声音には怒気を感じる。


「祓魔師協会の正義こそが主に認められた正義。私はただその正義を執行するだけです」


 行きましょう、と女性が言って、少年が「はい」と答える。そして彼らはジルベールに背を向ける。再び俺を跨ぎ、扉の方へ歩いて行く。


「待て」とジルベール。「どこへ行く? 悪魔祓いならここですればいい」


「言ったでしょう。正規の方法で悪魔祓いをすると。こんな場所ではできません。ここではない場所で、悪魔祓いは行います」


「お前ら、名はなんと言う?」


 続けてジルベールがそう訊いた。


「彼の名前は御手洗みたらい清二せいじ」と女性は少年を指して言った。


「そして、私の名はローズ=デュラン。祓魔師協会に限らず。祓魔師の間でならばこの名前はそれなりに有名だと自負しておりますが、あなたはどうでしょう。私の名前は知っていますか?」


 ローズ=デュランと名乗った女性の言葉を聞いたジルベールはかかかっと笑う。


「そうかそうか。〈十二使徒〉が一人、《熱心者のシモン》の異名を持つ祓魔師、か。これはまた大物だ」


「どうします? ここで私たちを殺して、灰ヶ峰椿姫さんを奪取しますか」


「人殺しはしない主義でね。ここでお前らを襲えば、俺は神のルールに逆らうことになる」


「そうですか。では、今度こそさようなら」


 ローズ=デュランと御手洗清二は部屋を出て、去っていった。


 それを見送ったジルベールが「さようならにはならないさ。あいつを殺すのは我々だ」と独りごちたのを俺は聞いた。


「とりあえず、ここから撤退だ」


 ジルベールが仲間の祓魔師に呼びかける。そして彼らも部屋から出ていく。


 俺も夢果も動けないのでその場で寝転がっているだけだった。


 ジルベールが俺を見下ろしていた。


「なんか闖入者のおかげで興醒めですね。殺す気が失せたので、ここでは殺さないことにします」


 言って、彼は俺の腹を蹴る。俺は胃液を吐き出し咳き込んだ。


 咳き込んでいる俺につまらなそうな視線を向けて、ジルベールも部屋を去った。


 ――というか、灰ヶ峰椿姫が連れ去られた。俺たちが連れて帰らなくてはいけない女の子なのに。


「くそ、待て」と毒づき、部屋から去った祓魔師どもを意地でも追いかけようと俺は床を這う。


 けれど、聖水の影響なのか、先ほど蹴られた影響なのか、酷い眩暈は頭痛に似ていて、それは俺の意識を削ぎ落す。仕舞いには意識は遠のき去っていき、つまるところ俺は気を失った。

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