彼が見つからない

 私は彼の顔が分からない。


 私の周りは似たもので溢れている。テレビとか雑誌とかが、なんでか流行りを教えてくるからだ。

 だから皆、同じ恰好。

 彼も例に漏れず皆と同じ恰好をしていて、だから私は彼の顔がわからない。のっぺらぼうの方が何もないという特徴があってわかりやすいと思う。でも彼は流行を追い掛ける。いや、流される。

 流行の化粧、流行のバック、流行の髪形。皆どこが違うのか。似ている姿かたちばかりで、私の馬鹿な頭では理解できない。だから大好きなはずの彼も、誰だかわからない。だって言葉遣いも声も皆似ているように感じるんだ。何が違うか、間違い探しみたいで嫌になる。ああいうの、苦手なんだ。私は。

「かなっ」

 後ろから声が聞こえた。皆と変わらない声。特徴なんか、見つからない。でも、私を呼ぶのは彼だ。振り向くといろんな人がいて、やっぱり皆同じに見えた。

 彼らしき人は大きく手をふっていた。だから彼だとわかるんだ。

「かな、けーだよ。待たせてごめん」

「いーよ、別に」

 すい、と手を繋ぐ。彼はいつも手を繋ぐとき、へらりと笑う。だから私は彼と手を繋ぐことが嫌いじゃない。

「今日はどこ行く?」

「どこでもいい」

 私は短く答えた。私に行きたい場所があれば彼は連れて行ってくれるけど、今日は特にない。ない場合、私は別にでかけなくてもいいと思う。けれど彼は行く場所を決めているはずだから、私はどこでもいいと答えるのだ。

「じゃあ、ショッピングでもしようか。んで、映画館に午後からいっていい?」

「いいよ」

 彼のパターンはある程度決まっている。雑誌とかで見たコースを回るから、予測することは難しくない。頭が悪い私でも、繰り返しばかりだから覚えられる。

 彼は本当にわかりやすい。

「ここ、最近できたんだ」

 案内された店は電気が明るくて床がぴかぴかしてるから、眩しいくらいきらきらな店だ。もっとごちゃごちゃしててもいいと思うけれど、人がそこそこごちゃごゃしているからバランス上は問題ないのかもしれない。最近の店はどこも神経質なくらい綺麗で、人間と同じでどこも違いがわからない。

「今、これが流行っているんだ」

 彼はそういいながらテレビとか雑誌が決めた流行を私に見せる。流行の中でも一応違いがあるみたいで、彼は流行の中から自分のオススメを私に教えてくれる。でも私は馬鹿だから、やっぱりその違いもわからない。というより、興味がない。

「これなんか似合うんじゃないかな」

「私はあまり興味ないから、けー君自分の探せば?」

 いつも彼は今何が流行っているとか自分はこれが好きだとかしか言わない。なのに似合うんじゃないかなんて言ってきたから変な気分になった。興味ないからしかたないけど、興味を持てないことが申し訳なく思える。

「嫌いじゃない?」

「嫌いじゃないけど買わないよ」

 変なことを聞くなぁと思いながら答える。彼はなんでか安心したように笑った。何でそんな顔をするのかわからないけど、彼が笑ったから私も笑った。

 それから彼と本屋にいった。彼は本があまり好きじゃないのに、いつも私に気を使ってくれるのだ。

 お店は昔から営業している、私の好きな店だ。数少ない紙の本が置いてある店。少しほこりっぽいこの空気が私は好きだ。

「これ、まだ買ってないやつじゃない?」

「あ、そうかも。覚えてくれていたんだ、凄いね」

 彼が見つけてくれたのは、私が集めているシリーズのものだ。彼は読んだことないのに、よく覚えてくれたなぁと思う。彼は私と違って頭がいいんだなぁと、こういう時実感する。

「買うの?」

「あまり重くないから買っちゃおうかな。けー君が見つけてくれたし」

 少し気分が浮かれて口元が緩む。彼を見ると、彼も幸せそうに笑っていた。

「他はいい?」

「今日はいいや。有難う」

 彼は私の言葉に満足したのか、また笑った。私は本を買って、それからまた彼の隣に並ぶ。他に人がいないから隣に並ぶのは難しくなくて、私は上機嫌で手を繋いだ。

「ご飯、何したい?」

「何でもいいよ」

「じゃあ、パスタにしようか! この間雑誌で紹介してたんだ。女の子に人気のカフェなんだって」

 彼が嬉しそうに言って、私は手を引かれて歩く。私はあまり味の違いがわからない。彼はいつも色々なことを知っていて、色々なことが違うってわかる。凄いなぁと思いながら、私は彼を見上げてる。

 カフェに着いたら外で食べることにしようって彼が言って、外の机で食べることになった。真っ白いテーブル。外にあるのにぴかぴかで、中と同じだと思う。なんで外なのかわからないけど、外は中よりぴかぴかが少ないので嬉しい。彼は空いていてよかったって笑ってる。

「カルボナーラがお勧めなんだって。かなはどうする?」

「あさり」

「わかった、ボンゴレだね」

 彼がお店の人にお願いして、ごはんが来るまでお話を聞く。彼の言葉は難しくて、知らないことで、今なにが人気なんて私は興味が無いけれど、彼が嬉しそうだから私はそれでいいと思う。

 笑う人の顔は好きだ。彼はとても楽しそうに笑う。だからお話をたくさん聞きたいと思う。覚えられないけど。

「おいしい?」

「おいしい」

「こっちもおいしいよ」

 パスタが来て、アサリがたくさんあって幸せになる。アサリってなんでこんなに美味しいんだろう。どこで食べてもおいしい。みんな同じだから、あさりを頼めばいつもおいしい。

 彼はいつも私がおなじものを食べるのに、いつもおいしい?って聞いて、そうして彼のもおいしいって言う。私はいつも同じだからおいしいって言って、彼はいつも違うのにおいしいって言う。流行って味も同じなのかな。どこどこがどこよりおいしいはわからないけど、あさりかじゃがいもだったら私はわかる。彼はいっぱい知ってるけど、ちょっと不思議。でも彼は流行が好きだから、わかっていてもみんなおいしいのかも知れない。

「あのね、かな」

「なぁに?」

「あのね」

 彼はそう言ってから黙ってしまった。彼のごはんは終わってて私のごはんはまだだから、ちゅるちゅる食べる。あさりおいしい。パスタを食べ終わって、三個だけ残しておいたあさりの一個目を口に入れたら、彼がまた、あのね、と言った。

「今度、大事な話があるんだ」

「大事な話?」

「手帳、出してくれるかな」

 彼が黒色の手帳を出す。私はピンク色の手帳。彼は二十七日、を指した。

「この日、大丈夫?」

「大丈夫」

 赤いからこの日はお休み。よかった、って彼が笑ってくれて、よかったねって私も笑う。彼は笑うほうがいい。

「じゃあ、十時に。約束だね」

「約束だね」

 彼が小指を差し出す。その小指を私の小指でぎゅっとして、上下に手を振って。

「ゆーびきーりげーんまーんうーそついたーらーいっぷんこしょこしょしーっちゃう! ゆびきった!」

 指を離して彼と一緒に笑う。なんだか擽られた時を思い出しちゃって、こしょばったい。

「約束だよ」

「約束だよ」

 最後のあさりを口に入れて、ご馳走様をしてお店を出る。彼はにこにこしていた。

「そろそろ映画館行くのにいい時間だと思うんだ。楽しみだね」

 彼に手を引かれて歩く。ちょっと人が多くて分かりづらい。でも彼は手を離さないでくれるから、大丈夫。

 ポップコーンひとつとメロンソーダとコーラを彼が買う。彼は買う時もいっしょに手を繋いでくれる。たくさん人がいるから、彼はいつもよりぎゅってしてくれて、それがちょっと嬉しい。お財布を出すときは離しちゃうけど。

 彼に手を引かれて椅子に座る。映画はちょっと難しい。みんな名札貼ってくれればいいのになぁって思いながら見る。笑ってる人がたくさんいる映画が好き。ポップコーンもメロンソーダもおいしいから好き。だから難しいけど、映画が嫌いなわけじゃないんだ。今日のポップコーンは塩味で、映画に出てる人は泣いている。彼も泣いていた。

「面白かったね!」

 彼は泣いていたのにすごくにこにこと笑う。映画を見た後、いつも彼はどんな顔をしていても笑って面白かったって言う。泣いている時とか怒った顔の時、いつも心配になって手をぎゅってしちゃうけど、でも彼は終わればいつも笑ってる。その顔を見て、私は安心する。

「そろそろ帰ろうか。日が沈むのはやいねぇ」

「かぼちゃ食べたしね」

「ああうん、冬至すぎたもんね。はやいなー。かなと付き合ってもう三年か」

 彼は指を折って、頷いている。私は手帳を見ないとわからない。手を繋いでいると手帳は出せないし、彼は頭がいいからきっと間違っていないし、何年でも彼と今一緒だからあまり数えても意味がないと思う。

 でも、彼は数字が好きで、三年が嬉しいって笑ってる。彼が数えてくれて彼が嬉しいなら、私も嬉しくてぽかぽかする。

 握った手がとても暖かい。

「じゃあまた、二十七日の十時にね」

「約束だね」

 彼は私を抱きしめて、私も彼を抱きしめてバイバイの合図。彼が見えなくなって彼の笑顔が思い出せなくなるのは少し寂しいけれど、今日は彼が見つけてくれた本がある。へらりと笑って、ドアを閉めた。

 カレンダーの二十七日に丸をつけて、バツ印との間の空欄を数える。彼がまた名前を呼んでくれるまであと十二日。印をつけるのはきっと楽しい。私はひとりでくすぐったい気持ちでいた。


 でも約束だって言った二十七日より前に、彼とはもう会えないって私は彼のお母さんって人に教えられた。

 よくわからない。彼のお母さんって人が言うには、彼が死んだらしい。でも、見に行っても私は死んだのが彼かなんてわからなかった。

 免許証とか、そういうのが彼の名前と住所だった。だから彼は彼なんだって。持ち物が彼のものだから。

 けど、皆同じ姿かたちだから、実は彼じゃなくて泥棒さんかもしれない。そう思うんだけれど、なんでか皆彼だという。私と違い、皆頭がいいから姿かたちが違うと分かるらしい。彼のお母さんも彼だと言って泣いていた。私は彼だとわからなかったので、泣かなかった。

 彼のお母さんが泣きながら彼から私へのプレゼントだって言って、箱をくれた。白い四角い箱に、ピンクのリボン。でもこれは本当に彼のだろうか? 実は泥棒さんのものじゃないかなと思って、でも彼は泥棒さんじゃなくて彼なんだってみんながいってるから、私は困ってしまった。

 泣いている彼のお母さんといった人にありがとうございますと言って彼のプレゼントを受け取って帰る。箱は彼がくれたわけじゃないから開けなかった。開けてもいいんだけれど、別にいいかなって思った。

 手が冷たくて、ああ、冬だなって思った。はやくお餅が食べたい。

 そうして丸のついた二十七日、お通夜で誰か分からなくて、彼がいなくて、彼はどこに行ったのだろうとおもった。お棺の中の人はやっぱり誰かわからない。だって私の名前を呼んでくれないし、彼の名前を教えてくれない。

 彼は私の馬鹿な頭を分かっていて、私が彼を見つけられないと言ったとき、見つけられないなら先に見つけてくれると言っていた。そうして私の名前を呼んで、私に名前を教えてくれると言っていた。なのに彼はもういなくて、私に名前を教えてくれない。私に名前を教えてくれる人は今傍にいてくれない。

 だから私は彼のお母さんが誰かも分からなくなってしまった。何度か彼のお母さんって言ってくれたけど、でもすぐに人の中に言ってしまって、難しかった。一番泣いている人が多分彼のお母さんだった。

 お通夜が終わって、お葬式も終わって。縁切り餅ってのを食べたけど、おいしくなかった。食べたい御餅と違う。それだけはよくわかった。

 彼らしい人は燃えて、私は一人で家に帰った。やっぱり涙は出なくて、机の上のピンクのリボンが結んである箱がやけに不思議だった。これ、私のじゃない。でも私のものだから、机の中にしまった。

 彼が彼だと私はわからなかった。けれども彼は約束を破って、指きりの約束も破っている。ということは、多分彼なのだろう。頭のいい人たちみんなが彼だと言っていたし、多分本当なのだと思う。私にはわからないけれど。

 彼が死んで悲しいけれど、彼が死んだのなら、彼のことを諦めるしかないと思う。

 新しい彼を作ろう。私には皆同じに見えるのだから、それはきっと簡単な事だ。

何も悲しい事はないんだ。私は新しい彼を探す決意をした。


 はじめに彼を探しに行ったのは、彼と会った公園だった。でも彼はいなかった。小さな子ども達がにこにこと楽しそうにしているだけだった。

 次に彼を探しに行ったのはカフェ。洋服屋さん、映画館。どこだったのかはあまり覚えていない。みんな同じに見えるからいいかなと思ってお店に入った。でも、みんな同じ顔で新しい彼を探すなんて難しかった。

 時間があるときは必ず新しい彼を探しに行った。それでもいつも見つからなくて、私は悲しいと思った。彼と会えなくなってからたくさんのバツをかいて、七夕様の日に私は彼に会えますようにと書いた短冊を持って、彼からもらった箱も持って、商店街に行った。ここにお願いを吊るすのだ。彼が居ないから高いところに届かない。背伸びをしていると、誰かが私の肩を叩いた。

「一生懸命だね。貸して、つけてあげる」

 誰かがそういって私の代わりに高いところに短冊を括ってくれた。知ってる人なのか知らない人なのかはわからない。その人は、括った私の短冊を見上げていた。

「遠距離恋愛?」

「もう会えないの」

「……ふうん」

 その人がじっと私を見下ろす。よくわからないから私はその人を見上げる。

「オレが代わりになってあげようか」

「代わり?」

「そ。折角の祭りに一人じゃさみしーだろー?」

 よくわからないけど、手をぎゅっと握ってもらえてちょっとどっきりする。にこにことその人は笑っている。

「彼?」

「彼でもイイよ」

 びっくりした。七夕は本当に願いを叶えてくれるんだ。そんなの無理だって思っていたけど、彼だって言った。いなくなっちゃってた彼なんだ。やっと会えた。それがただ嬉しい。

「これ、私にくれたの?」

 首を傾げると、彼はきょとりと瞬いた。私も瞬いた。それから彼は笑った。

「あー、なに、彼氏にもらったやつ大事にしてるの? 本当好きだったんだね。もらってあげよーか」

 彼はなんだか不思議なことを言う。ちょっともやもやして、訳がわからないからポケットにしまった。

「なんで約束破ったの? こしょこしょの刑だよ?」

「? 意外と幼いんだねオネーサン。可愛い彼女なのになんでほっといてるんだろーね」

 彼は彼じゃないみたいだ。新しい彼、になるのだろうか。ゆびきりげんまんを覚えていない彼に少し悲しくなった。

「彼になってくれるの?」

「なってあげる」

 私は彼か新しい彼を探していた。それでもずっとずっと彼を探していたのに見つからなくて、それは悲しいことだった。だ新しい彼がそういってくれたとき安心した。もう悲しいことをしなくていいのだ。そう思うとほっとした。

「んじゃあ見て回ろ。えーっと名前は?」

「かな」

「オーケイかなちゃんね。オレはゆーいち。よろしく」

 彼はそういって私の手を握り締めた後、引っ張って歩き出した。商店街の中はいろんな色で溢れている。私はお祭りの日のお店は好きだ。でも人が多すぎて、少し怖い。彼の手をぎゅっとした。

 彼は商店街の入り口から出口まで、ひとつひとつお店を見ていく。相変わらず似たものばかりでわからないけど、彼が楽しそうだからいいんだと思った。笑っている姿を見るのが好きだ。

 そうやってたくさんのお店を見ていって、商店街の出口にある本屋さんの前にきた。売り物はなにも出していないけど、今日もお店はやっていた。

「本屋さん」

「なに? かなちゃんこーいう店行くの? めっずらしい」

 彼は不思議そうに言った。私は彼の手から離れて本屋に入る。待ってよ、と言ったのは多分彼だ。

 少し埃っぽい店の中には、店員さん以外人が居ない。そういえば本屋に行かなくなっていた。メモを持っていないから、好きなシリーズがどこまで買ってあるのかわからない。

「ねぇ、これどこまで買ったっけ」

「忘れちゃったの? じゃあまた今度だね」

 彼はそう言った。彼なら覚えていたんじゃないかなと思ったけど、本当に同じ彼じゃないんだ。だから仕方ない。別に、覚えてくれるから彼が好きだったわけじゃない。彼の笑顔が好きで、彼は今笑ってくれている。だから大丈夫。

「ていうか、かなちゃん今時珍しいくらい機械苦手なの? 教えてあげようか。データで管理したほうが楽だよー。端末があればどこでも読めるし」

 彼がそういって私の手を握った。私はその手を振り払った。

「どうしたの?」

 彼は笑ってる。でも、笑っていないように見えた。幸せになるぎゅっが、なんだか怖い。

「紙がいい」

「そ? 破けたりするし重いし管理大変かと思ったんだけど」

「紙がいいの!」

 彼の脇をすり抜けて私は店を出た。どこにいけばいいかなんてわからない。ただ走った。誰が誰だかわからないから、彼が付いて来ているかも分からなくて、誰も居ないところに行きたかった。

 なんで彼から逃げたのかわからない。新しい彼が代わりになれば、私は彼なのか違うのか分からないからそれでいいと思った。なのに、私は逃げてしまった。

 ぜえぜえと苦しくて、公園の水を飲む。ハンカチで水滴を拭こうとカバンをあけたら、ピンクの手帳とピンクのリボンに包まった白い箱の下にハンカチがあって、少し濡らしてしまった。

 手と口を拭いてから、ハンカチをしまう。白い箱をそっと取り出す。箱は硬いから四角いままだった。

「けーくんの?」

 誰も居ないから、教えてくれる人はいない。私のじゃないけど私の箱は四角いけど、リボンは少しだけ緩んでいた。

「開けるね」

 開けていいのかわからないけど、疲れてしまって開けちゃおうと思った。彼はいない。指きりの約束も守れていないし、私のじゃないプレゼントを開けても、彼なら許してくれるかなと思った。

 それに、私のじゃないけど私のものだし、なんとなくリボンを解いて箱を開けた。ぱかっていい音がして、中には指輪があった。

 よくわからないので取り出してみる。私は指輪をつけないから、これは彼のだったのだろうか。指輪にはタグが付いていた。見ると、『ケイよりカナへプレゼント』と書いてあって、これは本当に私のだと知る。何故彼は私が使わない指輪を私にあげようと思ったのだろうか。

「あれ?」

 タグの裏に、『わからなくなったら指輪の台を外してね』と書いてあった。なんだろうと思ってわからなかったから外す。

 そこには、小さな写真と、ケイの名前。

 それを見た瞬間、何故かぐわぁんと衝撃が走った。さっきの彼は彼じゃない。わかっていたけれど、彼は彼じゃないし、彼の代わりになれないのだ。どんなに同じ顔でも、どんなに同じ格好でも、彼じゃない。

 さっきの彼は一緒に買い物した彼じゃない。一緒に映画を見た彼じゃない。

 一緒に笑った彼でもない。泣かせてくれた彼でもない。

 私の馬鹿な頭に苦笑して、それから「じゃあ俺が見つけるよ」と笑った彼じゃない。

 涙が浮かぶ。ショックだった。彼の顔がわからなくて、彼が誰かもわからないのに。ああ、ああ、ああ。私は彼を見分ける事なんて出来ないのに、彼を求めている。

 馬鹿なのに、馬鹿の癖に、なんで私は馬鹿なんだろう!

 それでも彼は見つからない。あの死んでしまったのが彼なんて保証はない。みんなが彼だと言って、それでしか私はわからなくて、私はあの彼が彼だったとわからないままだ。

 私に彼は見つけられない。見つけられるのなら、死んでしまったのが彼だとわかるのに。

 見つからないから分からない。探す事も出来なくて、もやもや、もやもや。

 彼が名前を呼んでくれないから私は彼を見つけられないのに、探すことも出来ないのに私は彼を求めたまま途方にくれる。


 彼が見つからない。


(「彼が見つからない」了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小編集 空代 @aksr

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ