第10話 出会いは大事件

 砂漠と緑の生い茂る豊かな大地とを分断するように岩盤のような山がそびえ立つ。遥かな昔に隆起した岩の塊がそのまま山となり、壁となったと言われる。一見して肌色の岩はあらゆるものを阻むかのようにむき出しの岩肌を削りだし、およそ道らしい道などは見当たらない。しかし、よく見れば巨岩と巨岩の間には小さな谷間が存在する。折り重なった岩盤にできたわずかな隙間は、高さこそ十数メートルと十分なものだが、横幅はわずか四メートル程度であり、酷く狭い。行商人たちが洞窟の途中で鉢合わせるとなると行き交うのに一苦労するぐらいだ。

 これで崩落しないは奇跡的なバランスのもとであるとも言われ、かれこれ数百年以上は使われている天然の行路でもある。唯一砂漠地帯へと通ずる道は商人の間でも軍の間でも重宝される重要な地点でもあるのだ。

 この岩山を挟んだ砂漠側にオークの国が存在し、緑豊かな大地はディアンと呼ばれる豊穣の国がある。木々に囲まれた大地には清らかな川が流れ、湖の存在も確認できる。死の大地の反対側は命溢れる大地なのだ。

 ここディアンからさらに五つの山を越えた先が、セバゥプアの中央に位置するルドラトである。かつてはその行き来すら困難であったが、時代の移り変わりは山の麓に道を築き、開拓を行っていった。

 それでも雪が積もれば道は閉ざされるし、大雨が降れば土砂が流れる。自然の脅威は相変わらずであるが、そのたびに王立軍は導機を用いてこれらを正すのだ。王立軍は戦いの為の組織にはあらず。それこそが誇りの一つであり、民の信愛を集める姿である。

 ゆえにアリア・ジルベットが王立軍への入隊を決めたのも当然の事であった。


「ど、どうしよう……やっぱりやめようかしら……」


 馬に揺られるアリアの心境は複雑である。彼女は故郷のディアン、そのさらに奥にあるミゾルの街へと向かっていた。そこに彼女の生家がある。ルドラトより二日、早馬でここまで帰ってきたのは、騎士長への就任及び此度の任務についての報告である。本来、これらは部下にやらせるものだが、あいにくとアリアは騎士長になって間もない。伝令を向かわせるというのはなんとなくだが気が引けた。それに、この帰省はコラト王の計らいでもあった。

 曰く「帰りがいつになるのかわからんのだが、せめて親の顔は拝むべきだろう?」というありがたいお言葉を頂戴している。それはその通りなのだが、アリアは気が進まない。故郷に戻れば、アリアは歓迎どころか国総出で祭りになる勢いだ。それが嫌なのだ。両親、特に父は狂喜乱舞するほどだろう。騎士長への昇格もそうだが、聖導機の受理というのはそれほどまでに名誉なことなのだ。

 その名誉がまさかあんな簡単に済まされるとは思わなかったのだが。

 アリアは深く溜息をつきながら、腰に携えた剣へと視線を落とす。それは一般の騎士に用意されるシンプルなものではなく、全体が白銀に輝き鍔と柄には真っ赤な宝玉がはめ込まれ、一つの紋章を象ったような造りとなっていた。それはルドラトの武を象徴するものであり、代々ルドラトを守護するに値する騎士のみに許されるものだという。

 そんなとんでもないものをコラト王はたった一言でアリアに手渡したのだ。恐れ多いという問題ではなく、むしろこれは何かの陰謀ではないかとさえ勘ぐってしまうぐらいだ。コラト王は食えない王とも言われていたが、そんなものじゃない。何を考えているのかアリアはもうわからないぐらいに混乱しているのだ。


「あぁ嫌だわ……気持ち悪くなってきた……おかしいわね。これは名誉よ、名誉。なのになんで気が重くなるのかしら……」


 今自分の顔を鏡でみたらひどいことになっていそうだった。

 騎士長の地位と聖導機を返すなどという無礼もできるわけがないし、王が呼び出し直々に任命したとなればそれはもう覆らないことだ。二日も経ってアリアはやっと腹をくくるしかないと、そう思い始めていたのだが、実家が近づくにつれてその決心も鈍ってくる。


「はぁ……それでも王命は王命……投げ出すことは許されない。ジルベット家の名誉の為でもあるんだし、さっさと報告してさっさと出立、これで問題ないわきっと」


 自分をできあいする父は必ずや盛大な祝いを催すだろうが、そうなる前にアリアは任務を始めるつもりだ。それならば、胸を張って「父上、私、騎士長になり、聖導機をもらい受けました、では任務ですので!」とまくし立ててさっさと国を出よう。それでいい。

 そう思いも新たに、アリアは馬の手綱を握り返した、その瞬間。

 大爆発でも起きたかのような轟音と地響きが周囲に轟く。森の獣たちが一斉に騒ぎ、鳥たちが空を覆いつくすように飛び去っていく。


「な、なに!」


 驚き、興奮する馬から振り落とされないように手綱を握り、馬を落ち着かせる。この時、アリアの動きは早い。彼女もまた王立軍の騎士なのだから、異常事態への対応は理解している。アリアは馬の腹を叩き、走らせた。


「音の方角はミゾルに近い! 岩山の方!」


 アリアは遥か彼方を望む。砂塵が巻き上がっている。ちらりとだが無数の岩盤らしき物体が放りあがっている。距離がある為にそれは小さな塊にしか見えないが、実際は何十メートルもの岩石となる。そんなものが打ち上げられているなど、普通ではありえないことだ。


「まさか、狂獣!?」


 駆け巡る思考の中、アリアが思い立ったのは、狂獣の存在であった。狂獣は巨大なもので四十メートルを超える。そんなものが岩山で暴れればあの程度のことは可能だ。それに岩山の向う側は瘴気の

 汚染がひどいとも聞く。

 遂に壁を破って現れたか! アリアは下唇をかみしめて、急いだ。狂獣であれば導機の出番である。この時ばかり、アリアはコラト王の気まぐれに感謝した。白銀の剣を鞘から抜き、右手の持つ。そしてそれを天高く掲げようとした瞬間、彼女の視界にはとんでもないものが映り込んだ。

 そこにはまず、予想通りの狂獣の姿。巨大な蛇、ミミズとも見える化け物だ。全身は岩のように硬化しており、四十メートルなどという話ではなく、推定百は軽く超えるような存在だった。

 そして、その狂獣の頭部にしがみついている物体。赤と黒の八メートルの巨人。右手には鉄塊のような武器を持ち、下顎からは牙が伸びた竜のような頭部。ずんぐりとした機体が狂獣の頭部にしがみついているのだ。


「ど、導機! なんであんなのが……って!」


 暴れ狂う狂獣とその頭部にしがみつく導機。それらが戦闘を行っているのは傍から見てもわかる。問題なのはその暴れ方だ。頭部にしがみついた邪魔ものを排除しようと、狂獣はその長い全身をのたうち、頭を振る。勢いをつけて振っても剥がれないのであれば、最後の手段、ぶつけてでも排除しようというのが本能だ。

 狂獣がぶつけようと頭を振る方角、それはミゾルの街の方であった。


 ***


「ぬおぉぉぉぉ!」


 真紅のローブを纏った玄馬が悲鳴をあげていた。

 ガイオークスの翡翠色の空間の中はそう簡単に揺れることなく、さらに玄馬が立つ台座は自動的にバランスを取ってくれるのか、たとえガイオークスがひっくり返ろうと吹っ飛ばされようと、倒れることはない。それでも感覚が接続された玄馬にしてみれば、暴れまわる狂獣に振り回される光景を感じとるわけで、必至に台座の支えにしがみついてしまうものである。


『えぇい、よもやサンドワームまで狂獣になるとはな!』


 頭部コクピットのブレイデルは振り落とされないようにと細心の注意を払いながら、ガイオークスを狂獣の頭部へとしがみつかせていた。

 玄馬とブレイデルがオークの国を出立して二日が立つ。砂漠の横断は過酷であり、ブレイデルであっても厳しい。それゆえにガイオークスにて一気に駆け抜けようという計画であり、それは玄馬の無尽蔵の魔力であれば可能となる方法であった。事実、ガイオークスは玄馬の魔力を食らい、ほぼ一日中自動で走り抜けていた。旅は順調な走りだしを見せた、かのように思われていたが今朝になって状況が一変した。

 それは、瘴気を受け、狂獣と化したサンドワームなる怪物に襲われてしまったのが原因である。サンドワームとは砂漠の大地に住まう一メートル程のミミズのような生き物で砂を食して生きる温厚な存在であった。しかしながら、瘴気は大地を蝕む。その蝕まれた大地を餌としたサンドワームが百メートルを超える狂獣となって二人に襲い掛かってきたのだ。

 幸いだったのは、ガイオークスを展開したままであったということ。それにより二人は戦闘にこそ巻き込まれたが、無事でいられたのだ。


『サンドワームは大人しい生き物のはずだ! 焼いて食うとうまい! それがこうも凶暴になるとはな!』

「その説明、今いらねぇぇぇ! こちとら魔力ガンガン回してんだぞ! なんでパワー負けしてんだぁ!」


 玄馬の言葉通り、ガイオークスは咆哮をあげるかの如き駆動音を轟かせていた。全身に駆け巡る魔力は隅々まで力となり、狂獣の岩の如き表皮をいともたやすく握りつぶしていた。

『踏み込める地面がないからに決まってるだろ!』


 しかし、八メートルと百メートル。その差はパワーだけは埋められるものではない。ガイオークスはかなりの重量を持つ邪導機であるが、この狂獣にしてみればその程度の重さなのだろう。しかも足を踏ん張れないのでは腕力があろうと、叩き潰すのは難しい。

 ゆえに振り回されているのだが。そして、二人は今現在、数百メートル上空から地面に叩きつけられようとしていた。玄馬はともかく、衝撃をもろに受ける位置にいるブレイデルはただでは済まないだろう。さらに、その眼下には街並みが見える。


「下! 街! まずいっておい!」

『えぇい、一か八かぁ!』


 舌打ちと共にブレイデルはガイオークスを操作し、狂獣の頭部を蹴り、空中に躍り出る。数回ほど空中で回転したガイオークスは、その態勢まま右手のメイスを脇に抱えた。回転が収まった後、落下を始めるガイオークスはその状態で、メイスの先端を狂獣へと向ける。

 狂獣はやっと頭部から離れたガイオークスに巨大な顎を開き、飲み込もうと迫る。


『玄馬ぁ!』

「フルパワーじゃぁぁぁい!」


 ブレイデルの怒声に応じるように、玄馬も叫ぶ。ブレイデルがなにをしようとしているのかはわからないが、自分はとにかく魔力を与えるだけだ。気迫に応じた……というわけではないが、玄馬の体から相当量の魔力が吸い上げられていく。それでもなお玄馬は平然としている。彼にしてみれば一向に減っているようにも感じられないからだ。

 そして、その膨大な魔力はガイオークスを通じて構えるメイスへと流れ込んでいく。


『こいつを撃ったら二日は動けなくなるが、玄馬の魔力ならば!』


 ブレイデルは片目を瞑り、狙いを定めた。狙うは狂獣の頭部。いい具合に大きな口をあけて迫ってくる。

 ガイオークスが構えるメイスの先端に魔法陣が展開される。同時にその魔方陣には無数の岩石が寄せ集まっていた。どこからともなく出現、召喚された岩石は次々と一つの塊となり、一瞬にしてガイオークスと同等の巨石へと変化した。


『ぶち抜け!』


 号令と共に魔方陣が爆発、その勢いに乗せられるように巨石が撃ちだされていく。大質量の巨石は一瞬にして空を斬り裂き、狂獣の口中へと叩き込まれ、頭部を貫通していく。

 ガイオークスは発射の勢いに飲まれ再び空中で錐揉み状となるが、コクピットのブレイデルは大笑いしていた。


『ガハハハ! 見ろ! ガイオークスの岩石砲の威力を! これでぶち抜かれて無事な奴はおらん!』


 ブレイデルの言葉通り、巨石に撃ち抜かれた狂獣は断末魔の声を上げながらその身を崩していく。無数の岩の塊が剥がれおり、それは徐々に砂と化して空へと舞っていく。砂に紛れて光の粒子も出現し、それらはガイオークスへと吸い込まれる。


「そいつはぁすげぇ! けどこのままだと俺たちも無事じゃねぇけどな!」


 勝ち誇ったように笑うブレイデルに反して玄馬の顔は蒼白だ。何しろガイオークスは空中に放り投げられ、なおかつ落下中なのだ。しかも眼下には街が広がっている。ガイオークスの空を飛ぶ機能はない。


「おぉぉぉぉ!」

『お、おい! なんとかしろ!』


 やっと状況を理解したブレイデルもこの時になって慌て始めた。戦闘中の興奮が冷めてきたのだ。


「できるかぁぁぁ!」

『クソ導師め! 空ぐらい浮かせろ!』

「うおぉぉぉぉ! 俺の中に眠るパワーよ! 都合よく目覚めやがれぇぇぇぇ!」


 無常にもそんな力は発動することなく、ガイオークスは数百メートルの空からそのままミゾルの街へと落下した。大の字の状態で、運よく大広間に落下したガイオークスは多量の瓦礫を巻き上げ、落下の衝撃は街の屋根や窓を割り、整理された街の地面を大きく歪ませた。

 そして、ガイオークスは……


「……生きてるか?」

『全身が死ぬほど痛い』


 装甲に傷一つなく、乗り込む二人も無事なままであった。

 玄馬は当然というべきか、彼の乗り込む空間は一定の状態を保つ。どれほどの衝撃があろうと、最小限に抑えられる。変わってブレイデルの方はガイオークスが持つ機構に全てを委ねるしかない。それでもなお、体が痛い程度で済むのはオークの強靭さゆえであろう。これが常人であれば目もそむけたくなるような状態になる。

 さらに言えばガイオークスのコクピットはかなり丈夫な作りらしく、同時に衝撃吸収機能もかなりのもののだろう。破損などは見当たらなかった。


「化けもんだな、お前もガイオークスも」

『丈夫なのが取り柄だ。くそ、埋まっているな。動かせん。このまま出られるのかどうか怪しいな』


 ガチャガチャと具足を動かしてみるが、ガイオークスは落下の衝撃によって地面に埋没し、半ば固定された状態であった。思うように四肢は動かず立ち上がることもままならない。

 そうこうしているうちに頭上に人の姿がちらほら見えてきた。そこに映る面々はみな一様に耳が長く尖っていた。肌も白く、美男美女揃いともいえる。


「エルフ? あれ、エルフ? すげぇ、マジでイケメンと美女揃いじゃん」

『バカ! 関心してる場合か! くそ、なんとか動けんのか! おい、あの光の玉になって出るぞ!』


 それもそうだ。誤解を受ける前に状況を説明する必要がある。玄馬は言われた通りに、ガイオークスとの接続を解除し、降りる準備を始める。

 が、それよりも前に玄馬とブレイデルは近くから地面を揺らす足音を耳にした。その足音は、恐らくは導機のものだ。しかし地面に埋まっている今、どのようなものが接近しているのかはわからない。

 足音はどこか駆け足気味だった。

 そして、それがすぐ傍までやってきたかと思うと、今度は少女の甲高い声が響いた。


『き、貴様ぁぁぁぁ! 一体何をしたぁぁぁ!』

『最悪だな』


 少女の絶叫を耳にしながら、ブレイデルは顔を覆った。

 玄馬とブレイデルが見上げる先には白銀の騎士がこちらを覗いていた。

 聖導機ガラッテ。二人はまだ知る由もないが、それはアリア・ジルベットの駆る聖導機であった。

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