エピローグ


 身の丈七尺か八尺はあろうかという大女が東海道を京に向けて疾駆していた。

 実際は歩いているのだが、その大きな歩幅と急いでいる様子が走っているように見えた。

 どうやら、急いでいるようである。

 この大女、武家の娘か妻風である。共に付けているのは、侍女が一人。一番躰が健朗な侍女を選んだが、この大女の旅の勢について行きかねている。

「お方様、少しお待ちを」これが、この侍女の旅が始まって以来の決まり文句である。

 この言葉がかかるたびに、大女の表情は険しくなり、侍女を睨みつけた。

 どうやら、我が背、夫の軍勢は敗北したようである。一人、二人と夫の軍勢の与力よりきの武者が這々ほうほうの体で帰ってきたが、誰もが言うことはバラバラで仔細がつかめなかった。一月二月ひとつきふたつきと待っていたが、我が背は帰ってこなかった。

 戻ってきた武者の言うことは不確かだったが、我が背が帰ってこないことだけは確かだった。自分がこうやって待っているのに、帰ってこないことがこの大女を苛つかせた。それも、ものすごく。

 先ず、待っているのに帰って来ないというのは、男女の別を問わず、人として非礼であろう。

 里の父親が実家に戻ってくるようにと、二人の郎党を迎えに指し向けたが、この大女、薙刀を振り回しこの二人の郎党を追い返した。

 二人の郎党は、姫にはなさねばならぬことがあるそうです。と大女の父親に伝えた。

「お方様、御気をつけなければなりませぬ」京に近づくごとに 侍女の決まり文句の割合がこちらのほうに変化していったが、これも、大女を苛つかせただけであった。

 東海道の平家が設けた関所には、この大女ことごとく引っかかり詰問を受けたが、捕らえられたり、しつこく尋ねられることは一切なかった。

 なぜなら、この大女が杖にしているのはどう見ても薙刀だったし、なにより源氏は滅んだのだ。誰もが面倒を嫌がった、もう戦は終わったのだ。

 大女は、京まで結局鎌倉から四日で歩ききった。しかも、危なかった、もう少しで京を行き過ぎるところであった。なんのことはない。本来ならもう少し早く着けたが侍女が足手まといとなり一日ほど無駄にしたと思っている。

 我が背も含め、どうして自分の周りにはこんなに使えないやつばかり居るのか、分からなかった、分からないことも含めて、すべてがこの大女を苛つかせた。、

 この大女、疲れきった侍女を連れ、ちょっと小洒落た橋を渡ると、往来にやけに人が多くいることに気付いた。

 どうやら、三条大橋を渡り、東大路を越えて都の市街地に入っていることにそれで気付いた。

 この大女、都は始めてらしい。

 大女は鞘をはめ幾重にも布を巻きつけた杖がわりの薙刀をどかっとつくと三条大路である都大路に仁王立ちとなった。今、この瞬間、この京を治めているのは平清盛でなくまごうことなきこの大女である。

 侍女は、膝に手をあて、腰を曲げ、うつむき口を大きく開け息をしていた。なんとか少し休めそうだ。

 だが、休めなかった。

 往来の都雀達は、この異様な八尺の大女と侍女の二人組を明らかに避けていたが、この大女が避けねばならぬものなど何一つなかった。

 知らない事は訊かねばならないし、尋ねなければならない。

 大女は通りがかった一人の初老の男をつかまえると尋ねた。誰もがこの大女と侍女の二人を避けていたがこの初老の男は体力上の理由で大女を避けられなかっただけである。

 大女は、首が晒してある、晒し台の場所を尋ねた。

 初老の男は丁寧にまず鴨川の位置を教え、晒し台の場所を教えた。

 知らなかった。川があったことと川があることを。

 そしてもう一つ尋ねた、知りたくないことだったが、知っておきたかった。平家の六波羅屋敷の位置を。

 初老の男は、小さく笑い。晒し台を見つければすぐわかると答えた。

 この大女身の丈は六尺あろうとも、他の女と同じく、地図の類は苦手である。

どうやら、行き過ぎたようであることは、我が背が帰ってこないことと同じくらい確かだった。

 倒れんばかりの侍女を引きずるように先ほどの小洒落た橋まで戻り、橋の上から浅い川を眺めた。

 なんだ、この浅い、湿気しけた小さな川は、これがあの有名な鴨川なのか、こんな小さな川がどうして有名なのか、大女には委細わからなかった。この川の小ささも大女を大いに苛つかせた。京はどうやら大女にはあわない様だ。

 大女は侍女を引ずるようにして鴨川の河原を下った。

 しかし、我が背も、この地を訪れたのかと思うと、ちょっと嬉しかった。この旅で始めて嬉しい気分になったが、すぐその気分は終わった。

 目の前に、晒し首を置いた、首台があった。

 戦はもう終わり、ふた月となる。番兵はいなかった。往来の都雀もそこに首台があることすら気にしていない様子である。晒し台の周りには小さな柵が造ってあった。

 晒し台には、髑髏が四つと名札が五つあった。この大女武家の娘であり字は一応読める。

 名札は五つ。一つには、悪右衛門督信頼と書いてあり、髑髏が一つ。知らぬ名前である。

 なんと読むのかすらわからない。読み方など知っておく必要がない、もう髑髏になっているのだから例え使えないやつでも、もう大女を煩わすことはないだろう。

 もう一つの名札には播磨守源義朝と書いてあり、髑髏が一つ。なんだ我が義父ではないか。最近見ないと思ったらこんなところで、髑髏になっていたのか、どうりで見ないはずである。

 次の名札には、鎌田政清と書いてあり、やや大きな髑髏が一つ。どこかで聞いたことが在るかもしれない。しかし、どっちにしろ髑髏になっているんだ自分と違い使えないやつだったにちがいない憐れむ必要はない。しかもやや大きい髑髏だ。大きいのに使えない奴とは、質が悪い。

 次の組み合わせは、不思議な事に名札しか無かった。髑髏がないのだ。名札には源朝長と書いてある。松田殿とか呼ばれてた我が義弟じゃないか。誰かが髑髏は持っていったらしい。

 次の名札は、、、、。

 鎌倉悪源太源義平と書いてあった。そして、どこか見覚えのある髑髏が一つ。

 大女は静かに大きく息を吐いた。

 いろんな感情がこの大女に沸き起こった。

 衝撃。我が背の髑髏を見るとは思わなかった。

 戸惑い。夫の髑髏を見た場合普通はどうすればいいのだ。

 憤怒は二つ。こんな髑髏になってしまう使えない我が背に対する怒りと我が背をこんな目に合わせた連中に対する純粋な怒り。

 悲しみも二つ。やっぱり普通に単純に悲しかった。二つの悲しみの一つはこんな姿になってしまった夫に、もう一つは夫に先立たれた自分に。人生で今一番悲しいかもしれなかった。

 そしてたくさんの疑問。どうしてこうなったのか、なにがこうしたのか、なにがいけなかったのか、なにか理由があるのか、誰がこうしたのか。

 知りたくも合ったが、知りたくもなかった、知らないほうがよさそうでもあった。

 大女は、信じられないほどの量の滂沱の涙を流しながら、こちらもいろんな表情が相混ぜになったすごい顔をして相当長い間、我が夫の髑髏を見つめながら、薙刀をどかっと地につき、立っていた。


 しなければいけないことがある。 

  

 こんな髑髏になって晒し台に転がっている使えない奴らと自分は全く違うのだ。我が背夫から任された大変大きな儀があるのだ。

 大女は侍女に自分を援護するように命じると侍女は大女が立ち尽くしている間にどうにか体力を回復したらしい。

「お方様、どうかお気をつけて」と息もえに言うと、小さな小刀を抜くと逆手に持ち、周りをキョロキョロしだした。

 周囲の都雀からするとこんな滑稽な二人組みの女はいなかった。平家の役人に通報するのもバカバカしかったし、関わらないほうが最良である。

 大女は、六尺もあるので、柵など安々とまたぐと晒し台の側まで歩を進めると、悪右衛門督信頼と名札の書かれた髑髏を何の躊躇もなく持ち上げた。すると顎の部分が晒し台に残った。

 知らなかった。

 髑髏は頭と顎が別々になっているのか!?。折り紙みたいな仕組みになっていると思っていた。

 こんな時にかかわらず大女は一つ賢くなってしまった。

 そして、一つづつ、顎の部分が落ちないように押さえて、胸に抱き、寸法を図った。幾度も幾度も丁寧に。これは、違う、これも違う、これの筈がない。

 そして最初からこれだと思っていた髑髏を丁寧にそして丁重に幾度も胸に懐き図った。

 二人しかわかりあえない思い出と想いが、いくつもいくつも湧き上がってきた。

 これしかなかった。これだ。これ以外にはありえない。

 そう名札には書いてあるとおり、

 鎌倉悪源太源義平、我が背、我が夫だ。

「お方様、お急ぎを」侍女が急かした。

 なにを言っているんだ。さっきまでへたり込んでいたくせに。使えないやつほど要らぬいことをべらべらと喋るものだ。

 大女は、夫の髑髏を着物の懐の中にしまい込むと、今度は、柵をまたがず、すねで弾き飛ばし破壊しながら侍女のところまで戻ってきた。

「お方様」

 侍女に言われて、帰る方角を見て、気付いた。そこには山を背にして大きな大きな屋敷が建っていた。

 見たことがないぐらいに大きかった。使えないやつほどこういう大きな屋敷に住みたがるものだ、なぜなら、使えないやつだから。

 そして、大女はその大きな屋敷をみて全て理解した。

 なにもかも。使えないやつと違って、自分のようなものは、一瞬で理解するものなのだ。 夫が都になぜ呼ばれたのか、なにをしたのか、なにをされたのか。

 ほんの一瞬でも離れ離れになったことがないように夫に関することは、すべてを理解した。

 手には布を巻き偽装しているものの薙刀の得物を持っている。

 この屋敷に駆け込み一暴れでも二暴れでもしてやろうかと、思ったが。それはそこら辺に髑髏になって転がっている使えないやつがすることだ。自分は違う、この髑髏を運ばねばならないのだ。

 大女は、侍女に薙刀をもたせた。侍女はあまりの薙刀の重さに一瞬ふらつき、まあまあ大変なことになったが、どうにか持ちこたえた。

 大女は、左手で懐の髑髏を持ち、右手で地面に落ちてる路傍のつぶてを拾った。

 夫は遊び女の息子だ。路傍の石が丁度よい。

 そして、そのつぶてを右手で屋敷の中に投げ込んだ、すべての気持ちを込めて、全部夫と自分の二つぶんだ。

「くそくらえ!」

 大女は叫んだ。

 礫は、屋敷の中の濡れ縁に座っていた、難波三郎経房という平家の郎党の頭に直撃した。

 塀の向こうから投げられたのだ、避けようがあるはずもなかった。六尺の大女に礫をぶつけられては命の保証はない。

 難波三郎経房は、頭を礫で割られ絶命した。

 大女は、そんなこと知る由もない。使えるやつは、使えない奴のことなど気にしないものだ、たとえ死のうとも。

 大女は、往事と違い、帰りは侍女を待たなかった。

 大女は得物の薙刀を侍女に預けたまま、奇声を上げながら、もしかするとこの八尺の大女は狂ってしまったのかもしれない、その場から走り去った。

 誰も追いつけない程の速さで走り去った。

「きぃいいいいいいいいいいい」

 八尺の大女の奇声は日ノ本中どこまでも響いたが、この大女と義平の髑髏の行方は杳として知れない。

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鎌倉悪源太 美作為朝 @qww

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