六波羅合戦

 1159年 12月 27日 午後 六条河原 その二


 源氏平家の両軍は鴨川を挟みいきり立っていた。

 この時代より少し前の話になるが白河法皇が意のままにならないものが3つありと言い天下三不如意と言った。

 賽の目と鴨川と山法師とだたという。

 賽の目とは、サイコロの目を当てることでなく、賭博のことである。

 鴨川は白河法皇でも諦めていたようにたびたび氾濫したことで知られる。よほど大きな川かと思われがちだが、水量は思いのほか少ない。同じく京を流れる桂川や宇治川などとは比較にならないほどである。深さは子供膝丈ほどで、戦をするにあたっては、あってないようなものである。濡れることさえ厭わなければ、大人が渡ることは造作はない。たびたび氾濫したというのは、恐らく都のすぐ東を流れていたことと、大規模な治水工事をせず、土手が低かったからだと思われる。

 因みに、山法師とは叡山の僧兵のことである。このころから、朝廷の権威にも動じずどこにもまつろわぬ一大勢力だったのである。

 数の少ない、源氏の軍勢は中央にまとまっているものの、数の多い平家の両翼は、功を焦り。東岸から西岸へと鴨川を渡らんとじりじりしている。さらに、源氏は右翼に源頼政という旗幟を鮮明にしない不確定要素を抱えている。

 義朝が百騎、平家が七百騎、源頼政が二百騎。最悪義朝の軍勢は十倍の敵と戦うことになる。


 義平は、景澄に小さい声で語りかけた。

「戦が始まったら、馬をまとめて、後方に居ろ、そして父上のところへ馬ごと持っていけ」

「どうするんだよ、あんないっぱいの馬、」

「逃げるときの代え馬にするんだ」

「もう馬に乗っているのにか」

「馬も人と同じで永遠には走れない。なんで、偉い御武家だけいつも、戦の度、生き残っているかわかるか」

「俺は元追い剥ぎだぞ、知ってるわけ無いだろう」

「馬は、逃げるときにこそ使うんだよ、な、御武家は信用ならないだろう」

 そうこうしていると、またもや鏑矢が戰場には似つかわしくない、可愛らしい音を立てて飛んできた。こういった場合。優勢な戦に早っている側から先に放たれる。平家の鏑矢だ。

 ぴゅーーーーーーん。

「嫌な音だ、鬼か天狗の羽音だ」義平が言った。

「俺は怖くないぞ」

「俺は怖いね」

 ぴゆーーーーーーん。三人張りとか五人張りとか言われる両軍の弓自慢が何本も鏑矢を放つ。

「お前ら二人、何をごちゃごちゃ言っとるんだ」義朝が軽く咎めた。

 次に、弓を上に向けて飛距離は稼ぐが狙ってはいない上げ矢を放ち合う。これも両軍の何人引きとか言われる大弓を引く弓自慢が飛距離を自慢するのと、射程を予め図っておく意味合いがある。

 しかし、この矢は鏑矢と違い、狙っていないものの、各軍の真上から相手に対して降ってくる、そして鏑矢のような、仕掛け矢でなく、鏃がついた対人兵器である。

 ひゅん、ひゅんと両軍で矢が放たれると、しばらくし、それこそ、雨が降ってくるようにざーっと音とたてて敵の矢が振ってくる。先に鏃の付いた死の雨だ。

 当然、数の多い平家から放たれる矢のほうが圧倒的に多く、源氏の放った矢は少なく。

 源氏に降りかかる矢は圧倒的に多い。

 ざーっと音が大きくなった瞬間。

 義平は馬乗であぶみの上でさっと立ち上がると、自分の大弓を兜の上までかざし大きく八の字を何度も素早く描いて矢をなぎ払った。真横にいた父義朝の分まで払ってやった。 「ぎゃー」

「いてー」とか

 陣の周辺では、幾人かが降ってくる上げ矢に刺さり若干の悲鳴が上がる。

 義平は矢を払い終えると、鞍に腰を落としすぐに馬上に戻った。

「それ、為朝もやっておったぞ」義朝が言った。

「上げ矢は、これで払えまする。しかし、直矢は、無理ですので御自分でお守りくださりませ」

「いよいよじゃ、ほれ見よ、あそこに清盛がおるぞ」

 義朝が口の片方を挙げて無理やり笑い指差した先に平清盛が居た。川向うであったが、義平にもしっかとわかった。

 法師たちが運ぶ神輿にさえも恐れず、立ちふさがり、弓を引いた男。

 肥後守にして安芸守にして播磨守 大宰大弐、そして、海賊退治をし宋との貿易で莫大な富を築き上げた男。

 神のお告げを枕元で聞き厳島神社を造営した男。そして白川院の落胤とも言われる男が

鴨川の向こうに居る。

 武人らしく、櫨匂皮威鎧と呼ばれる大鎧を着、金色の鍬形の前たての兜をかぶっている。

眉庇が深いので顔まではわからない。  

 やがて、あたりでは我こそはと思わんものが名乗りを上げだした。

「やーやー我こそは、総州、下総の住人、千葉直仲様の郎党、市川二郎左衛門忠尚。諱は"権太夫"と呼ばれけむ。遠きものは音に聞け、近きものは目を見張れ。我こそはと思わんものはいざ組み合わせ参らせ給え」

「ようよう我こそは、左衛門尉、平忠長様の三男、平三郎太貞正、二つ名を"鯱殺しの大正"という者なり、遠きものは音に聞け、近きものは目を見張れ われこそはと思しめさんものはいざ、出会え、源氏の臆病者共め」

 あちらこちらで名乗りを上げるので、誰が誰で、どこから名乗りを上げているのか、、全くわからない。ただ、うるさいだけである。

「おまえは名乗りを上げのんか?」

 義朝が笑いながら、義平に尋ねる。義平もそれこそそこら辺中で名乗りを皆が上げるのがおかしくて仕方がない。

「こういうのは、どこかの琵琶法師にまかせておけばよいのです。そうか、暇なお公卿衆が日記に綴りましょうぞ」

 義朝がにやりと笑う。すると真横で鎌田政清が大音声で名乗りを上げだした。

「やうやう、うわれくおそわぁ、、」あまりにも声が大き過ぎて音が割れて一切何を言っているのかわからない。一体どんな膂力をしていれば、こんな声が出るのかわからない。

「ばうわう言いおって、なにを言うとるんじゃ?政清の阿呆は」

 義朝と義平はあまりのおかしさに笑いだした。

 義平は、にやにやして、景澄に焚き付けた。

「おまえもやれ」

「おう、任しとけ、やーやー」

 その時だった、両軍の名乗りが一段落したころだった。

 鴨川の東岸の平家の陣から、野太い声が響いてきた。

「おーおー悪源太、、。昨晩、その方の母御前を金で抱いたぞ。己から媚を降って摺り寄って着よったわ。恥ずかし気ものうな、、。大声上げを好がり、乱れに乱れよって、こっちが恥ずかしゅうて困ったぞ。端金で大股を開きよって、たっぷり抱いてやったぞ。どうした、悪源太。我を父様と思うて、組み掛かって来んか?」

 六条河原が一瞬で静まり返った。

 さっきまでにこやかだった義平の表情が変わり、目つきが変わった。

「おい」景澄が心配して声をかけたが、義平には聞こえていないようだった。

「どうする?おまえを嘲ておるぞ」

 父義朝が尋ねた。

「顔を覚えました。しかし、私には、父上が嘲られたとも取れましたが」

 義平の声は低く押さえられていた。

 今度は、義朝の顔色が変わった。

「討ち取ってこい」

 義平の返事はなかった。 

「わっ」景澄が声を上げた。 

 義平が"瑞雲"の手綱を取ると、轡を持っていた景澄はまたもや"瑞雲"の正に馬力に手を振りほどかれてしまった。 

 ゆっくり、ゆっくり騎乗の義平と"瑞雲"は一歩ずつ進めていく。鴨川の西岸から、川面に入った。まだ、進んでいく、一歩、一歩、平家の陣に向かって、たった一騎で義平は進んでいく。静かに鴨川の水面に瑞雲の足が映え、流れに抗う瑞雲の足回りだけ波立つ。

 平家の弓自慢武者ならもう直矢で義平を狙える距離である。それでも義平と瑞雲はゆっくりと進む。

 源平の両軍が行末を見守っている。義平と"瑞雲"は鴨川の中央あたりまで歩を進め進んできた。

 平家の陣に居た、義平父子を嘲った徒武者が恐怖に耐えきれず、悲鳴を上げた。

「ひえー、、なんだって言うんだ。あんな売女の子なんて、、侍じゃないだろう、おれがなにをしたって言うんだ、、」

 義平と瑞雲は歩を止めた。

 小さい声で義平が優しく、瑞雲に語りかけた。

「名誉のため、射る。その方は、じっとしてゆるりと鴨の水でも味わっておれ、この後この川の水は多くの者の血で染まり飲めなくなる故な、、」

 瑞雲は、ブルっと小さくいななくと川の水を飲みだした。

 義平父子を嘲った徒武者はわめいた。

「皆だって、知っているだろう、あの悪源太が売女の息子だってことを」

 そしてひーっと悲鳴をあげると、とうとう人をかきわけ背を向けて逃げ出した。

 義平は、瑞雲の馬上で矢籠から矢をいだし矢をつがえた。そして大弓をぎりぎりと引き絞った。義平も弓自慢とまではいかぬが、武者として相当な手練れである。

 義平は、南無八幡大菩薩、、と祈りそうになった、石清水八幡宮の八幡様まで瞼に浮かんだが、おれは、どこまでも抗う男だ、祈らぬ。そう思うと、背を向けて逃げる徒武者の兜の錣と背板の中間に狙いを定めた。

 徒武者は逃げているので、距離はどんどん離れていく。 

 弓は狙うのではなく、狙いはゆっくり的に対し絞る。岳父の三浦義明の教えを思い出す。

 義平は、弓を絞り矢を放った。

 矢は、逃げている平家の徒武者の錣と背板の間に命中し背から喉まで貫いた。

 嘲った徒武者は絶命した。

 義平が矢を放ち終えると"瑞雲"が頭をあげ、小さくブルっと嘶いた。

 鴨川の西岸にいる源氏の軍勢は

「おおおお」と皆が大歓声を上げ、弓や鎧を叩き賞賛した。

「悪源太殿おっ、、」

「義平殿おっ、、」

 1/10しか源氏の軍勢がいないとは思えないほどの歓声である。

 平家の武者でさえ、弓で鎧を叩いたり歓声を上げているものが複数いる。

 その時である、平頼盛たいらのよりもりが東岸の平家の陣から大声を上げた。

「者ども、何をしておる、あやつは逃げる我が郎党を背から射たのじゃぞ、しかもいまも居るのは直矢のあたる距離ぞ、誰ぞ弓自慢のものよ、あの悪源太を射らんか」

 義平は、まだ一歩も動いていない。矢もつがえず、顔だけ平頼盛に向けると射抜くような目で睨みつけた。

「辞めんか、頼盛。見苦しいぞ、」なんと清盛が一喝した。

 突然、義平が吠えた。

「重盛殿は、おられるか!待賢門での決着は、いまだ付いておらん、居られるなら、悪源太はここに侍りなん、そこから我を射られよ、それに合わせ、この悪源太もいざ射らむるや」

 平重盛は居るはずである、平家の重臣共の影に隠れ、姿も見せず、返答しなかった。

 今度は、手綱を捌き、南に馬首を巡らすと、さらに、義平は吠えた。基本、齢十九の若武者である。

源頼政みなもとのよりまさ公に、物申す、民や百姓どものように戦見物に来られたのか、参陣いたして居るのか、どちらなりや!!かばねの名が何なのかよくお考えなさりませ」

 今度は、鮮やかな手つきで矢を矢籠からいだし、つがえた。そして、頼政に狙いをつけ矢を引き絞り始めた。

「ほととぎす 名をも雲井に あぐるかな 弓はり月の いるにまかせて」

 と源頼政が鵺退治の折、時の左大臣藤原頼長とともに合句して詠んだ歌を大音声で宣った。

 義平が射た矢は、歌だった。そしてつがえた矢は元に戻した。

「まだ、矢は十分に残っておりまするぞ」

 義平は、そう頼政に言い残すと、またもや浅い鴨川をばしゃばしゃ渡り、元の陣に戻った。 

 陣に義平が戻るとさらに源氏の陣は大喝采である。

 義平は馬上なので、どうしていいかわからない景澄は瑞雲に抱きつき、瑞雲に噛みつかれている。

「やったじゃないか、この悪源太が」政清は籠手で拳でかなりの強さで義平の胸板をなぐる。

「叔父上、痛とうございまする」義平は、それほど痛くはないが大げさに後ろに怯む。

 三浦義明義澄親子は二人共泣いている。頼朝は泣きじゃくり顔がくしゃくしゃだ。馬がうまく扱えず、義平の側によってこれない。

 父義朝は、籠手のまま拳を義平に突き出した。

「我が息子よ、天晴ぞ」短く声をかけると

「恐悦至極」義平も短く答え、籠手のまま拳を突き出し、父義朝の拳に正面からぶち当てた。義平は始めて父と心が通った気がした。

 景澄が嬉し泣きをしている。

「サイコーだよ、、。源氏サイコーだよ。義平サイコー。俺、追い剥ぎになってよかったよ。そんで、鎌倉行ってよかったよ、出会えた柏尾川サイコーだよ。名前貰って、サイコー」

「父上、それでは参りましょうか」

 義平がもう一度、瑞雲を巡らせ、馬首を平家の陣に向ける。

「おう」

 義朝が答える。

「者ども、押し出せ!!」

「おう、」

「いざ、」

「おおお」

 最高調に士気の上がった河内源氏一党はたった百騎で七百騎の対岸の平家の陣に向けて鴨川を渡り突撃を敢行した。


 この戦いを後の世は六波羅合戦と呼ぶ。

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