軍議

 1159年 12月 27日 午後 六条河原


 鴨川の東岸は平家の軍勢が埋め尽くさんばかりに広がっていた。その平家の軍勢の背後には清盛の六波羅屋敷、その背後には清水寺が控えている。軍勢の多さにも驚かされたが、なにより背後の六波羅屋敷が義平がぶらぶら京を歩いていたときとは全くちがう様相を呈していた。

 ただの屋敷でなく、まさしく要塞だった。塀は先を尖らせ材木で高くそびえ人の背では全く届かぬ高さに、その塀の前には、逆木を乱立させた空堀が人の背丈ほどの深さに掘られていた。六波羅屋敷の内部は一切うかがい知ることは出来ない。

 しかし清盛はその屋敷に篭もることなく、屋敷の前方に全ての軍勢を討ち出していた。源氏を正に殲滅せんが為にである。

 平家の軍勢は恐らく、六百から七百騎。正に鴨川東岸を溢れかえらせ埋め尽くさんばかりである。

 迎え討つ源氏は鴨川の西岸に控える。源氏の軍勢は多く見ても百騎にも満たない数である。中心に源義朝。

 鴨川を堺に最前線として源氏平氏の両軍が対峙している。

 もう一つ、驚くべき出来事は、鴨川の西岸の南に源頼政の軍勢が二百騎ばかり着陣していることである。源頼政の軍勢は義朝から見て、丁度右翼に当たる位置にあたる。

 渋谷越と呼ばれる、六条河原の南に京からの退き口に源頼政が蓋のように着陣しているのである。

 義朝は中央の対岸の清盛にだけ睨みつけ視線を送っているが、義朝の右側に駒を進めると、義平は、右翼の源頼政の軍勢をそれこそ親の敵でもあるかのように睨みつけている。

 西の空にあった暗雲はもう京の天上にかかっている。

義平は、駒を軍勢の右翼の端まで進め頼政の軍を軽く睥睨するが、鴨川の西岸にいながら矛、薙刀は斜めを向き、微妙な方向を指し示している、どちらの味方か全くわからないというより、退き口を塞いでいるのだから清盛と通じていることは必至である。

 義平は、義朝の元に戻ると、愛馬"瑞雲"から下馬した。

 義朝が尋ねる。

「馬を休めておるのか、義平?」

 義平は義朝の轡持ちから強引に轡を奪うと馬首を自分の方に向けた。嫌でも自分と父義朝が対峙するように。

 ただならぬ、義平の雰囲気に義朝も気づき、更に深く尋ねた。

「なんじゃ」 

「この義平、父上に一生のお願いが御座いまする」 

「先ほどより、何じゃと申しておる」

「これは、義平一人の大事にあらず、父上のお命、ひいては、我等一党の命運に関わる大事にございまする」

「どうした、おまえらしゅうもなく大げさになりおって、見たこともない平家の大軍の前に臆したか」

「どうか、この義平に右翼をお任せあれ、数は何騎でも構いませぬ」

「中央の清盛が怖いのか」

 義平が轡を膂力で押さえ込んでいるせいか、義朝の馬が暴れいなないた。

「南を、いな、右翼をご覧あれ」

「愚鈍な鵺退治がどうした?」

「その鵺退治が、我等の退き口を押さえ込み、我等、河内源氏退治を狙うとりまする」

「あんなもん、心配いたすな、鎧袖一触じゃ」

 義平が、声を荒げた。

「父上、このままでは、本当に天下第二の不覚人として歴史に名を残しまするぞ、どうか、この義平に右翼をお任せあれ」

 そこへ、下馬し、大股で義朝の乳母子の政清がどかどかと恐ろしい大股で歩んできた。この男、学こそ無いがこういう不穏な空気を読むのは天才である。

「こら、悪源太、兄者を困らしておるのか?」

「父上、なにも無理は申しておりませぬ、この義平に右翼を任せて頂ければよいだけでございまする」

「ならぬ、おまえは中央じゃ」義朝は拒んだ。

「おい、悪源太、兄者を困らせる輩は甥っ子とはいえ、この政清が許さぬぞ、、」そう言うや政清は義平の大鎧の大袖の根元あたりを掴んだ。

 義平は、一切振り向かず政清に掴まれた肩に手を上からあてがうと、そのまま政清の指と手ごとねじ上げた。

「ぎゃー」政清が腕を拗じられ、悲鳴をあげ、尻餅をついた。

「義平らーっ」義朝も怒鳴った。

「父上ーっ、この義平、一生のお願いに御座いまする何卒この義平を右翼に、源頼政公の軍勢を打ち砕き、父上の血路を開いてみせましょう」

 義平兜のままだが、頭を大きく下げた。

「そして、おまえが一番に東国に逃げるのか」

「否、全く違いまする、この義平に信用なくば、殿軍を御申し付けられませ、父上が東国に退きて一風呂浴びられるまでとこしえに京で殿軍を勤めまする」

 政清がアイタタと言いつつ、手を擦りながら起き上がってきた。

「いや、おまえは中央じゃ、先陣を申し付ける。あの平家の大軍を切り開けるのはおまえしかおらぬ義平」

「清盛公を討てるかどうかの問題ではありませぬ、天をご覧あれ、雲が広がっておりまする、南へ退く他に、京からの退き口は一切御座いませぬ、季節は真冬、北へ、北国街道を通って東国へ退くなど到底不可能でございまする。ここあたりでチラチラ舞い落ちる雪でも、八瀬、大原のあたりでは、馬も通れぬ程の雪が積もっておるやもしれませぬ」

 道理は通っている。政清も、義朝も押し黙った。

「この義朝、退くことを考えて戦をするつもりはない」

 義朝の声は小さかった。この声の小ささが全てを物語っていた。そして義平も理解した。もう利や理で図る戦の範疇を超えているだ。

 源氏の頭領としての意地をかけた戦いなのだ。

 義平は、義朝の馬の轡を離した。何事にも勝ち負けはあると信頼に語った自分だが、大戦を前にしてこれは誰が勝ったのであろうか。

「では、父上一つのことだけ、この義平と約束してくださりませ」

 義平の声も小さかった。

「なんじゃ」

「退く際は、何があろうと南へ、右へ、必ず、南へ。それだけお守りくださりませ」

「分かった、しかし、その方は、わしとともに中央を突き清盛を討ち果たすよいな」

「はっこの義平、承知」義平は政清の方を向くと続けた。

「叔父上は父上の側を離れられぬように、父上をお守りくださりませ」

「この悪源太が、わかっておるわ」

 そこへ、志内景澄が多数の馬をひいてやってきた。

「なにがあったんだ」

「いつものことだ、俺が抗っていただけだ」

「そうか」

 同族殺しの源氏らしい、大荒れの軍議は終わった。後は闘うだけである。

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