第3話

 一枚の写真に関しての有力な情報が入ったのは、野口が写真をfailbookに上げて一週間が過ぎてからだった。冨田ミヨのfailbookの友人が写真の風景に見覚えがあるという連絡があったのだ。冨田ミヨの話では、それは日付けでいうと二番目の写真で、吉田と見知らぬ若い、二〇代前半に見える男性が肩を組んで写っているものだった。情報によると、そこは隣国の首都だそうだ。野口は不思議に思った。吉田は野口と同じく、全く語学がダメで、渡航の経験談など一度も聞いたことがなかったからだ。それでも、やっと見つかった手がかりだ。早速、冨田ミヨと一緒に隣国を訪れる計画を立てた。とはいえ、野口は高校生の修学旅行で一度隣国を訪れたことがあったくらいで、海外旅行の経験はそれ以外無かった。もちろんパスポートも持ってなかった。とりあえず野口は、ビジネス街にある、パスポートセンターを訪れ、パスポートを発行した。


 二人はそれから一週間後に隣国に向かった。冨田ミヨは年に二回以上は海外旅行をしているらしく、旅慣れしていた。野口にとっては高校生以来、十数年ぶりの海外渡航である。空港の普段見慣れない物や、風景に思わず目を奪われ、度々、先を行く冨田ミヨを見失ないかけた。搭乗手続きやら出国手続きで多少時間が掛かったが、それでも余裕を持って早く空港に着いていたので、二人は飛行機ゲートの手前にあるロビー内のカフェで一服することにした。さすがに国際空港なだけあって、様々な人種が今まで野口が聞いたこともない言語で、あちらこちらで会話していた。カフェはオープンスペースで、入口のカウンターで注文と会計を済ませ、商品をそこで受け取り、それを持ち去るなり、奥にある席で飲食するなりできるシステムだった。


 冨田ミヨは何度か訪れたことがあるようで、メニューも見ずにブレンドコーヒーを注文すると、席を取ってくると言って、奥に歩いて行った。野口は暫くメニューを眺めてカフェモカのトールサイズを注文した。結局、カフェで、いつも野口が飲むものである。野口はブレンドコーヒーとカフェモカの載ったトレイを受け取るとカウンター横にある、紙袋詰めされた砂糖とプラスチック容器に入ったミルクを二つずつ、そして紙ナプキンを大量に取り、トレイに載せた。そして冨田ミヨを探した。冨田ミヨはカフェの壁面の奥に座っていた。


「ミルクと砂糖はこれでいいかな?」

 そう言いながら野口はそっとトレイをテーブルの上に置いた。

「あ、ごめん、ありがとう。私は砂糖もミルクも入れないの」

 そう言って冨田ミヨは微笑んだ。

「あ、そうなんだ」

 野口はそう応え背負っていたリュックサックを降ろし、プラスチックの椅子の下に置いた。

「野口くんは高校生以来なんだよね、海外?」

「うん。その時と同じ国なんだけどね」

「そっか。私もあの国は、三回くらいしか行ったことないな。近いと逆に行かないものね」

「そうなのかな、俺はこれが二回目だからわからないけど」

 冨田ミヨは頷きながら、コーヒーソーサからカップを持ち上げ、そっと一口、コーヒーを飲んだ。その一連の所作に野口は目を奪われた。細く長い指先の爪は明るめのグレイベースのマニュキュアが塗られ、金色のビーズの様な小さな装飾が一つ、二つずつ散りばめられていた。カップの柄に絡み付くように、人差し指と親指が回される。その華奢な指二本は、まるでカップがそこだけ重力を失ったようにソーサから浮き上がっている様に見えるほど、現実感がない。そのままカップは少し濃いめの赤い口紅がひかれた唇に隕石が地球の重力に引かれるように吸い寄せられる。


「そう言えば、海外に住んでたんだよね?」

 野口はなんだか後ろめたくなり、気をそらす為に冨田ミヨの学生時代について尋ねた。

「そうだよ。父親が海外赴任してて、たまたま近くの大学に進学しただけだけど」

「わざわざ海を渡っても行きたい大学だよ、あそこは」

「ふふ、あの大学は様々な国の人が集まっていたから、いろんな価値観を知れたのは良かったかな。でも、結局、その相違って論理的に理解できないから、同じ国の人間同士集まってしまうのね。それも発見かな」

「ふーん。てか、タメじゃなかったっけ?」

「タメだよ、飛び級だから。そういう自由な感じもいいとこかな、向こうは。私に合ってた。でも、私にとっては和真と出会って、野口くんたちと一緒に居た時間が、本当に大切なの。だから、和真が死んだなんて、まだ信じたくないの」

「そうだね、だから今からそれを確かめに行くんだよね」

「うん、そう」

 野口たちの乗る飛行機は24番ゲートで、各飛行機の発着を知らせる電光掲示板のあるロビーからは随分距離があった。二人はカフェを出て移動した。ゲートに着くとまだ離陸まで三十分ほどあったが、すでに多くの人がゲート前に集まっていた。隣国に向かう飛行機だからか、隣国人と見受けられる乗客が多かった。見た目はほとんど変わらないが、服装もどことなくセンスが違うし、言葉は全く違う響きだ。待合ロビーの所々に配置された、大型の液晶テレビでは海外のニュース番組が流れている。砂漠の街が無人機で爆撃される映像が流れていた。


「ちょっと遅れるみたい」

 テレビを遠目に見ていた野口の後ろから、搭乗口前の客室乗務員に様子を尋ねに行っていた冨田ミヨが声をかけた。

「そうなんだ」

「ちょっと、お手洗いに行ってくるね。荷物、見てて」

 野口は頷いて、冨田ミヨの小さな白いトランクを受け取り、遠目に見ていたものとは別のテレビの前の黒い革張りのソファに腰掛けた。こちらのテレビでは本国のバラエティー番組が流れていた。“ひな壇”と呼ばれる、段々になったセットに多数のお笑い芸人が並んで座り、隣にある巨大モニターに流されるその芸人についての街角インタビューに、当人たちがひたすらツッコミ続けるという番組だった。野口は番組を見るともなく、眺めていた。ふと、この芸人達は自分の親友が自殺したらどういう反応するのだろう、と思った。


「ごめん、ありがとう」

「あ、おかえり」

 野口はそう応えて、冨田ミヨは一体どんなリアクションを取ったのだろうか、と考えた。

「やっぱり、空港のトイレって綺麗だね」

 冨田ミヨは黒いポーチを白いトランクに入れながらそう言った。

「へぇ、そうなんだ」

「この前、西の国に行ったんだけど、そこの空港のトイレのデザインが可愛かったの。便器の中に蝿の絵が実物大で描かれているの」

「それって、可愛いの?」

 野口は笑いながら聞いた。

「すっごいリアルなの、しかも。私、初め、びっくりしてトイレから出たもん」

 冨田ミヨは丸い両頬に小さな笑窪を作って笑いながら、応えた。そのとき、野口たちの乗る飛行機の搭乗開始のアナウンスが流れた。

「あ、出るみたいだね」

 そう冨田ミヨが言って、二人は立ち上がり搭乗口に向かった。すでに搭乗口前には三列で折れ曲がるほど人が並んでいた。

「うわ」

 野口は思わず口に出した。

「まあ、席は決まってるから」

「御利用ありがとうございます、チケットとパスポートを拝見致します」

 野口は野口より背が高く、絵に描いたようなモデル体型の客室乗務員に、チケットとパスポートを手渡した。

「ありがとうございます。お気をつけて、行ってらっしゃいませ」

 電車の自動改札機のような機械にチケットを挿入すると、座席が記載された半券が出てきて、それを渡された。絵に描いたような客室乗務員は、模範的な笑顔で野口を見送った。


 飛行機は、野口が一眠りしている間に隣国の国際空港に着陸した。二人は飛行機を降り、入国ゲートへ向かった。海を越えて外国の地を踏んでいるというのに、野口には全くその実感が無かった。まだあの空港の続きを歩いている感じだ。ゲートは全部で六ヶ所あり、正面右手のゲートは隣国の国籍を有する者が通っているようだった。野口が修学旅行で訪れた際は何百人もの団体だったし、高校生だったので適当な審査だったのか、野口は全く入国審査の記憶がなかった。野口の前に並んでいた冨田ミヨが、ゲートの女性審査官と楽しそうに会話している。そしてあっという間にゲートを通り抜けた。冨田ミヨは振り返り、ウィンクした。野口は一気に緊張感に包まれた。


“ Hi.”

 審査官は英語で野口に話しかけた。

“Hi.”

 野口は咄嗟に英語で返した。

“Show me your passport please.”

 やはり英語を普段話さない野口は動揺したが、passportという単語は聞き取れたので、パスポートを彼女の前に差し出した。

“What is your purpose of this trip?”

 彼女は野口のパスポートを見て、それから野口の顔を一瞥し、再びパスポートを見ながら尋ねた。野口は全く聞き取れず、ただ苦笑いで返した。

「どうしたの?」

 冨田ミヨが近づいて来て、野口に尋ねた。

「全く英語が聞き取れないんだ」

“Oh,is he your friend?”

“Yeah,could you pass him?His purpose is same as me.”

“Ok,well,good luck!”

“Thank you!”

 野口は何が何だか理解できないうちにゲートを通された。

「ベラベラだね、当然か」

「日常会話程度よ、空港でのやりとりには慣れてるし」

 野口はやっと海外にいる実感を持った。二人は空港の出口でタクシー乗り場に行き、冨田ミヨのfailbookの友達から得た情報の場所を運転手に言って、タクシーに乗り込んだ。空港では全く風景として感じなかった異国感も、タクシーの後部座席から眺めると隣国語の道路標識、長い歴史がありそうな建物、車道を走る自転車の大群などから感じることができた。野口は無事入国できた安堵感で、いつの間にか眠り込んでしまった。


「お前、蛍見たことある?」

「え、なんだよ、急に?あるよ」

「暗闇にさ、数え切れない程の光が飛び交うような……」

「うーん、映画みたいなのはないよ。そういうスポットって、すぐ話題になって、たくさんの人間が訪れて、実際はあんまり蛍いなかったりすんだよ」

「この前、映画観たんだけどさ、隣国の。ラストシーンが蛍の大群が飛び回って、綺麗なんだよ。あれ、CGなのかな?」

「最近の映画なら大体そうなんじゃないの?」

「いや、あれはCGなんかじゃないよ。まだ隣国にはああいう場所もたくさんあるんだよ、きっと」

「そうかな、こことあまり変わらないと思うけど」


「野口くん、起きて」

 野口は冨田ミヨの声に起こされた。

「着いたよ」

 野口はおずおずと外に出た。そこは大きな広場の前だった。有名な観光地で、多くの人々が行き交っている。冨田ミヨが支払いを済ませ、タクシーから降りて来た。二人は再度、冨田ミヨのスマートフォンに保存された写真の画像を確認した。

「どの辺りだろう?」

「野口くん、あそこで聞いてみよう」

 冨田ミヨは広場の入り口にある、アイスクリームの出店を指差しながら言った。白を基調に青、赤、黄、緑色の大きな水玉模様が塗られた屋台で、その前に置かれた、木製のフレームがついた小さな立て看板の黒板にメニューがチョークで書き殴られていた。メニューにはホットドッグやコーヒーも書かれていた。今は昼間のピークらしく、長い行列ができている。

「ちょっと時間空けた方がいいんじゃない?」

「うーん、そうだね。ここ、一周してみよっか?」

「そうだね、この場所が分かるかもしれないし」

 二人は石畳の広場を正面から右回りに一周することにした。広場の奥には巨大な門があり、隣国の現政権の初代元首の巨大な肖像画が掲げられている。広場はその門を含む巨大な壁の前に広がり、その壁の向こうには古代の城を囲むように旧市街が広がっている。


「一つ、疑問があるんだ」

 野口は歩きながら、そう切り出した。

「何?」

 冨田ミヨは歩くのが野口より早く、野口の2、3メートル先を歩いていた。冨田ミヨは足を止め、野口の方を振り返り応えた。

「うん、吉田は何故こんなに遠くまで来たんだろう? あいつは全然語学ダメだったし、海外なんて興味ないって言ってたんだ」

「あなたの思い出の中の和真が、あの人の全てなわけじゃない……」


「え?」

「ううん、なんでもない。でも、私はよく海外の話してたし、和真もいつか行ってみたいって話してたよ」

「そっか」

 野口は先程タクシーで見た夢を思い出した。

「あ、そうだ、映画。あいつ、この国の映画で見た、蛍が見たいって言ってたんだ」

「『Last dream in the summer』邦題は『真夏の夜の夢の終わり』いい映画だった」

「知ってるんだ?」

「うん、一緒に観たの。最後の場面の場所は確か、ここの近くだったはず。あの映画はそんなに古くないけど、この国は最近、都市開発が進んでるから、あの場所もビルかなんかが建っているかもしれないけど……」

「じゃあ、きっとそこだよ!」

 野口は、なぜ冨田ミヨがそこまで知ってて、そのことを話さなかったのか、不思議に思った。

「うん、ちょっと詳しい住所検索してみる。あ、ここ海外だからスマホ使えないんだ、しまった」

「あのアイス屋に聞いてみよう」

 二人は屋台のある、広場入り口に戻った。どうやらラッシュは過ぎた様子で、今は家族で観光に来たらしい一行が並んでいるだけだった。


 父親らしい中年の男が両手にバニラとチョコレートのソフトクリームの乗ったコーンを受け取り、彼の足元ではしゃぐ二人の男の子たちと、彼らが道路に出ないように見守る母親らしき中年女性と一緒に去ると、冨田ミヨはスマートフォンを見せながら話しかけた、

“Hi,excuse me but,do you know this place?”

“Hi,let me see...hum,it is quite difficult to guess.I think there is near from here.Who is this?”

“My ex-boyfriend.He died.”

“Oh,I'm so sorry.”

“It is okay.By the way,do you know the chinema whitch title is Last dream in the summer?It is this country's chinema.”

“Yeah,of cause.It was shot in this town.”

“Oh,really?Then,do you know exactly the place in last cut?”

“Yeah,maybe there.But,there is changed so far,actually.”

“Yap,I don't care.Could you wright down the address?”

“Sure.”

 彼は、小さなレシートのような紙切れにメモして冨田ミヨに渡した。

「何か分かった?」

 野口は戻った冨田ミヨに聞いた。冨田ミヨはウィンクで返した。二人は広場前に停車しているタクシーを拾い、映画のラストシーンの場所に向かった。移動中のタクシーの車内で冨田ミヨは野口にアイスクリーム屋とのやりとりを説明した。映画はこの街で撮影されていて、彼は現場のケータリングとして撮影スタッフにアイスクリームを売っていて、よく現場に赴いていたそうだ。


「ここが?」

 タクシーが停車し、車窓から見える景色に野口は呆気に取られた。吉田の話から想像した景色とはあまりにかけ離れていた。そこには草一つ生えていない、なだらかな丘の上に住宅地が広がっていた。

「あ、あった!」

 野口の前を歩いていた冨田ミヨが突然、駆け出した。

「え、何?」

 野口は慌てて追いかけた。冨田ミヨは小さな石碑の前で、立ち止まりスマートフォンを片手に持ち、交互に石碑を見ていた。

「ここだよ!」

 冨田ミヨは後ろの野口の方に振り返り、笑った。石碑は丘の頂上付近に建っていて、後ろには街の景色が一望できた。


「本当だ、写真の景色だ」

 吉田はこの場所で見知らぬ、もしかしたら現地のガイドかもしれない男と携帯電話で写真を撮ったのだ。野口は石碑に刻まれた文字を見た。“Last dream in the summer”のタイトルと隣国の言葉で何やら刻まれていた。おそらく監督や俳優の名前だろう。野口は石碑から目を離し、後ろに広がる街を眺めた。ビルの立ち並ぶ地平線に夕日が沈み始めていた

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