第27話 古来より山地や山あいで小動物の狩猟を手伝ってきた柴犬は、一般的に独立心が高く主人に忠実な反面他人に対しては警戒心が強く、勇猛果敢なので番犬としても向いています。

「わぁ……! すっごくお似合いです!」


 池崎さんの編んだベージュのカーディガンを羽織って戻ってきた女性を見て、私はお世辞抜きで感嘆の声を漏らした。


「こんなに素敵なカーディガンをいただいてしまっては、かえって申し訳ないような……」

「よかった。本当によくお似合いですよ」


 頬を赤らめながらも戸惑う女性に、ビニール袋を持って建物内へ戻ってきた池崎さんが息を弾ませながら声をかける。


 袋に入れたブラウスをバッグにしまうと、女性は「大変助かりました。大切に着させていただきますね」と私たちに丁寧にお辞儀をして市民センターを出て行った。



「助けていただいてありがとうございましたっ!」


 女性に頭を下げながら別れた後、私は隣に立っている池崎さんにも深々と頭を下げた。


 でも――。


 あの女性は、おそらく亜依奈さんと同じくらいの歳のひとだ。

 そのひとが似合う色味やデザインのカーディガン。

 それって、やっぱり――


「あのカーディガン……。

 やっぱり行き先があったんじゃないんですか?」


 どうしても聞かずにはいられなかった。


 口に出さなかった名前を察して、池崎さんは「ああ……」と呟いたけれど、一瞬宙を漂った視線を落とし、顎に拳を当てて考えるような仕草をした。


「そう言われてみれば……。

 あのカーディガン、特に誰に渡そうと考えて編んだわけではなかったな」

「え?……そうなんですか?」


 あれは、亜依奈さんへの想いを込めた手編みではなかったの──?


「今シーズン発売したばかりの糸を使って何か編んでみようって思っただけだから、本当に気にしなくていいよ」


 池崎さんの柔らかな眼差しに嘘の色は僅かにも見つからない。

 フィヨルドが少しずつでも削られているような気がして、私の心の霧がぱあぁっと晴れていく。


「さ、あの賑やかなテントに戻ろうか。そろそろ店じまいになる頃だろうから」

 そう言って再び建物の外へ出て行く池崎さんの背中をじっと見つめる。


 亜依奈さんへの想いは少しは削られているのかな。


 私の想いが少しは届いているのかな。


 いつか、もっとまっすぐに、私の想いを届けたい――!


 願いを勇気に変えようと拳で胸をトントンと叩き、私は池崎さんの後を追った。


 🐶


「お疲れさまでした~! おかげさまでバザー品無事に完売しました~!」

「バザーの成功を祝して、かんぱーい!」


 トリコテのメンバーがドリンクバーのグラスを片手に掲げて、お互いにグラスを軽くぶつけ合う。

 バザーの片付けを終えた後、私たちは市民センター近くのファミレスで簡単な打ち上げを開いていた。


 賑やかなおばさま達の談笑をアルカイックスマイルで聞き流しながら、アイスコーヒーのストローをくわえる池崎さん。

 隣に座った私は、先ほど池崎さんの編んだカーディガンを見たときにふと頭をよぎったもう一つの疑問をぶつけてみた。


「池崎さんていつも女性もののニットを編んでるような気がするんですけど、メンズニットは編まないんですか?」


 ストローをくわえたまま、「ん?」という表情で私を見つめる。

 細めのアーモンドアイが少し丸くなると、ほんとにアリョーナみたいで可愛いっ!


 ストローから口を離し、「うーん」と少し考えるような表情をした後で、池崎さんが語り出した。


「メンズニットはシンプルなデザインが多いからね。

 会社でサンプルを編む時なんかも、編み物経験の浅い子に任せたりしてるんだ」

「そうなんですか。池崎さんはいつから編み物をやってるんですか?」

「僕の母が編み物や織物の講師をしているから、小さい頃から母親に教わっていてね。編み物のキャリアは20年近いかな。

 だから、模様編みや透かし編みを入れたような複雑なデザインも自分で考案できるし、なんとなくレディースニットばかりを編む担当になってるね」

「確かに、レディースニットの方がデザインも形も様々で編み甲斐がありそうですもんね」


 池崎さんの言葉が、頭の中をぐるぐると駆け巡る。


 池崎さんはほとんどメンズニットを編むことがない。


 ──ということは……


 池崎さんのために、編み物をするのはってことなのかな。




 よし、決めた。




 池崎さんのためにニットを編もう。


 そのニットが編み上がったら──






 私は池崎さんに告白する!!!






 🐶


「うわぁ……! やっぱり可愛い糸がいっぱいあるなぁ」


 コミセン祭りの翌週、お店の予約が少ない日。

 母は私に店番を頼んで、郊外の大型スーパーへ買い物へ出かけた。

 私はカウンターの内側にある椅子に座って店番をしながら、池崎さんの会社のネットショップをスマホでのんびり閲覧している。


 いつもはサークルに池崎さんが見繕った糸を持ってきてくれるから、こうやってサイトを見るのは初めてだ。

 カフェをイメージさせるシンプルでおしゃれなサイトに、糸の素材やカラー、用途でカテゴライズされた糸が縫い糸から毛糸まで何十種類も販売されている。


 ぶらぶらとウインドウショッピングをするようにサイトを覗いていると、毛糸コーナーのとある新商品に目が釘付けになった。


「え……これって……」


Alenaアリョーナ” と名のついた、オフホワイトの毛糸。


 まさに、あのアリョーナを連想させる優雅で柔らかな毛足をもっている。


「池崎さん、本当にアリョーナのこと好きなんだなぁ。こんな毛糸まで作っちゃうなんて」


 ふたりがドッグランでじゃれあう姿を思い出して、ふふっと笑いがこぼれた。

 元々アリョーナのもつ優雅で穏やかな雰囲気にそっくりだって思っていた池崎さんだもん。

 彼のためにセーターを編むならこの毛糸しかないっ!


 ウキウキドキドキしながら購入手続きへ進む。

 発送作業はスタッフさんがやってるって言ってたから、私がこの毛糸を買ったことはきっと池崎さんには内緒にできるはず。


 アリョーナという名の毛糸で池崎さんのためにセーターを編む!


 そして、池崎さんへの想いと一緒に彼の前に差し出すんだ!


 その決意と同時に、前カレに手編みを突き返された苦い思い出も一緒に胸に湧き上がってくる。


 ひと編みひと編みに私の想いを込めたセーターなんて、気持ちが重すぎて受け取れないって池崎さんにも言われるかもしれない。

 自分の古傷を抉るような行為かもしれない。


 それでも──


 彼への想いを込めて編めれば、過去のトラウマを乗り越えられるような気がする。


 受け取ってもらえなくてもいい。

 池崎さんが大好きだというこの気持ちを慈しみながら、アリョーナという名の毛糸と一緒に丁寧に編み込んでいきたい。


 見えない気持ちを形にできるのが、編み物の良さだと思うから。


 私の気持ちを形にして、池崎さんにまっすぐにぶつかっていくんだ――!!



 🐶


 糸が決まったら、次はセーターのデザインだ!

 アリョーナっぽい糸の風合いを活かすなら、シンプルなデザインがいいよね。


 引き続きネットでイメージに近い画像を探していたときに、すぐ脇に置いてある店の電話がプルルルッと鳴った。


 スマホをカウンターに置いて、慌てて電話をとる。


「はい! 【ドッグサロン ルシアン】です」


「笹倉です」





 亜依奈さん──!?





 受話器から聞こえてくる上品で澄んだ声に、ふわふわとしていた心が緊張で一気に縮こまった。

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