第26話 つぶらな瞳とピンと立った耳、くるんとした巻尾が特徴の柴犬は、日本の天然記念物として現存する6種の犬種のうち最も小柄で海外でも人気が高い犬種です。
「アクリルたわし2個で200円でーす」
「そちらのお嬢さんはシュシュとヘアゴム3個で500円ね!」
今日は市民センターで行われる
秋の青空は透明度を増して高くなり、集会用テントをいくつも張った市民センターの駐車場は地域の人々で溢れかえっている。
好調に売れていくバザー品を少しでも補充しようと、売り子隊のおばさま達の後ろで、私と池崎さん、福田さんほか3名の編み物隊がシュシュやヘアゴム、アクリルたわしを次から次へと編んでいく。
けれども、「かわいい!」と好調に売れていくペースに、補充ペースはどんどん引き離されていた。
「この分だとあと1時間くらいで売り切れそうね」
会議テーブルに並べた箱の中の在庫品を確認しながら伊勢山さんが言うと、福田さんが手際よくかぎ針を動かしながら「売り切れたらそれまでよね。編み物隊も無理しなくていいわよ」と私達に声をかけた。
お昼を過ぎて、パワフルに動いていたおばさま達の動きにも若干疲れが見えている。
「何か食べるもの買ってきましょうか?」
ショルダーバッグを肩に掛けて立ち上がると、「あら瑚湖ちゃん、悪いわねぇ~」と言いつつも「じゃあ私フランクフルト」「私も!」「私はたこ焼き~」と、リクエストが怒涛のように押し寄せてきた。
「ココちゃん一人じゃ大変だろうから僕も行くよ」
編みかけのモチーフを置いて池崎さんも立ち上がる。
「何回か往復しますから大丈夫です!
編み物隊に池崎さんのスピードは欠かせませんし」
「でも、手分けをして買いに行った方がみんなの分が早くそろうよね」
慌てて遠慮する私に構わずテントの外に出てくると、池崎さんは喧騒の中で私の耳元にそっと顔を近づけてきた。
「実は福田さん達のおしゃべりの大声から少しの間離れたかったんだ。
買い出しはいい口実だよ」
そうささやいて、穏やかな微笑みの中にいたずらっぽさをわずかにのぞかせる。
そのお茶目な表情と不意に近づかれた嬉しさに、私の胸の中は甘酸っぱい幸せで満たされて、きゅうんって音を立てた。
この冗談が遠慮した私への気遣いだとしても、こんな風にくだけた部分を見せてくれるようになったのはめざましい進歩だよね。
サークルに来てすぐの頃は、真顔で言われた冗談に戸惑ったりしていたもの!
「じゃ、僕はたこ焼きと焼きそばを買ってくるよ。ココちゃんにフランクフルト3本をお願いしていい?」
「わかりました!」
おつかいの返事にしては自分でも恥ずかしいくらい張り切った声を出してしまった。
池崎さんはそんな私にくすりと笑いを返すと、ソースものの行列に向かっていった。
私の並んだスナック系のブースの方は、フライドポテトや唐揚げなどの揚げ物の調理に時間がかかるのか、列がなかなか進まない。
一方、少し離れた池崎さんの行列の方は、大量に調理した焼きそばが出来上がったようで、停滞していた列がどんどん進みだした。
周りより頭ひとつ飛び出ている池崎さんの後ろ姿を眺めていると、焼きそば3個とたこ焼き2個を早くもゲットした様子。
ビニール袋を両手にぶら下げていても絵になるなぁ……。
そのまま見惚れていると、池崎さんは売り場のテーブルから離れてテントの横に立ち、ビニール袋をぶら下げたままアルカイックスマイルでその場に佇んでいる。
もしかして……。
私を待ってくれてるの!?
これまでの塩対応の数々を思い返せば、これは奇跡だ!
以前の池崎さんならば、自分の買う分がそろったら、さっさと先に戻っていたに違いない。
勘違いなんかじゃない。
さっきの冗談といい、池崎さんとの距離は確実に縮まっているはず!!
すがる藁すら見当たらなかった頃を思えば、こういう小さな変化が現れるまでがなんと長い道のりだったことか……。
と、小銭を握りしめて感動に打ち震えていると「列、進みましたよ」と後ろの人に声をかけられ、慌てて販売テーブルへ進んだ。
「フランクフルト3本ください」
「300円でーす」
テーブルに並べられたボトルを逆さまに持って、L字型に開いた細長い紙袋に挟まるように入れられたフランクフルトに赤と黄色のラインを引く。
左手に二本、右手に一本を持って、「お待たせしました!」と池崎さんの元へ駆け寄った。
「バザー品、予想以上に売れてますね!」
「今年はココちゃんが提案してくれたヘアゴムとシュシュが人気だね。去年までと比べて、若い女性のお客さんが格段に増えてるよ」
「池崎さんが提供してくれた毛糸が可愛かったからですね」
人ごみの中、池崎さんと会話をしながら
ドッグランに一緒に行って以来、
ううん、デートに出かけて以来、遠く霞んでいた池崎大陸への視界が開けて、航路が見えてきたような気がする!
歩きながら、そんなことをふわふわと考えていたとき。
「あっちにけん玉コーナーがあるぜ!」
「行こ! 行こ!」
大人の間を泳ぐようにかき分けて進んできた小学生の男の子が、フランクフルトを水平に持つ私の肘に思いきり当たってきた!
「「あっ……!」」
左手の一本が薄い紙袋から飛び出して地面に落ちた。
斜め前方を歩いていた女性のアイボリーのブラウスに、赤と黄色の花火のような模様をつけながら──
🐶
「すみませんでした……」
洗面所で濡らしてきたタオルハンカチで女性のブラウスの背中についたシミを叩きながら謝罪すると、私より少し年上に見える女性は「混雑してましたし、仕方ないですよ」と苦笑いした。
池崎さんに無事だったフランクフルトを預け、私はブラウスを汚してしまった女性と共に市民センター内の待合スペースの椅子に座っている。
「ただ私、この後すぐに別の場所で人と会う約束があって……。
着替えをしに自宅に戻る時間もないし、この辺には洋服屋さんもないし、どうしようかと思って……」
「……本当にすみません」
謝ることしかできない私。
クリーニング代は渡すつもりだけれど、それでは今彼女が困っていることを解決することにはならないし……。
せめてシミが薄くなりますように!
願いを込めるように、タオルでぽんぽんとブラウスを叩いている時だった。
「よかったら、これに着替えませんか?」
私達の頭上から降ってきた低い声。
見上げると、池崎さんがベージュの薄手のニットカーディガンを女性に差し出していた。
「え、これ……」
「今日のコミセン祭り用に展示してあった僕の編んだ作品です。
差し上げますから、これに着替えてお出かけしたらいかがです?」
池崎さんが女性に広げて見せたカーディガンは、ベージュに金と銀の細いラメ糸が混じった、今の時期にぴったりの大人可愛いデザインだった。
「素敵……! あ、でも、こんな手の込んだものいただくわけには……」
「大丈夫ですよ。そのブラウスの下に着ているキャミソールにも合いそうですし、どうせ今日が終われば展示を取り下げる予定のものだったので」
「池崎さん……! いいんですか? その作品……」
亜依奈さんに贈る予定のものじゃ――
と言いかけた言葉を飲み込む私を気に留める様子もなく、池崎さんはブラウスの女性にアルカイックスマイルを向けた。
「このカーディガンも、あなたのような綺麗な方に着てもらえればきっと喜びますからね」
「「えっ!?」」
言われた女性だけでなく、私までトクンと心臓が跳ねてしまった。
そんなキザな台詞もさらりと言えちゃうんだ、池崎さん……。
女性はぽうっと顔を赤らめながら「すみません。それじゃ、遠慮なく……」とカーディガンを受け取ると、着替えをしに洗面所へと向かった。
あのカーディガン、本当にあげちゃって大丈夫だったのかな――
「池崎さん! あのっ……」
尋ねようとした私の言葉にかぶせて、池崎さんが気まずそうに頬をかく。
「ココちゃん、今僕のことキザな奴だと思ったでしょ」
「へ? そんなこと……」
突然の問いかけの真意を図りかねて戸惑った。
そりゃあ、ちょっとだけびっくりして、ドキッとしたけど。
「ああでも言わないと、あの女性なかなかカーディガンを受け取ろうとしないからさ。
普段からあんな台詞吐いてるわけじゃないからね?」
照れ隠しのように苦笑いすると、
「汚れたブラウスを持ち帰るのに袋がいるな……。
ココちゃんはここであのひと待ってて。僕はトリコテのテントからビニールの手提げを持ってくるから」
と、池崎さんはそそくさと外へ出て行った。
今のはなんだろう……。
言い訳?
でもなんで私にそんな言い訳をするんだろう?
池崎さんの照れたような表情と慌てて出ていく後ろ姿を思い出して、首をひねる。
キザな奴だって、私に思われたくなかったってことかな。
それって――
私にどう思われたか気になったってことなのかな。
どう思われてもいいような、興味のない相手には言い訳なんかしないよね?
そこまで考えてふと我に返り、今度はぶんぶんと首を強く振る。
だめだめ!
そんな都合よく考えちゃだめだよ!瑚湖!
また勘違いってわかったら、きっと落ち込んでしまうから──
でも──
気安い冗談。
私を待つ姿。
キザな台詞の言い訳。
今日一日で触れた、池崎さんの微妙な変化。
思い出すだけで、抑えきれない期待が胸の中でパンパンに膨らんできて、耳までじんじんと熱を帯びてくる。
ああ、願わくば
これらが大陸へ続く航路を示すコンパスでありますように──!
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