第24話 温和で従順な性格のバーニーズマウンテンドッグですが、番犬として用いられてきた名残から自分の頭で考える臨機応変さを持ち、見知らぬ人にはあまり懐かない一面があります。

「すごかったねー! 征嗣くん! 三種目で予選一位通過だって」

「二位になったボードレースだって惜しかったよねえ。明日の決勝でも瑚湖が応援してあげれば総合優勝できるんじゃない?」

「さすがに二日連続仕事休むわけにはいかないし、征嗣くんなら明日もきっと大丈夫だよ」


 帰りの車の中、夏の名残の日差しで焼けた肌と同じくらいの熱っぽさで、大会での征嗣くんの活躍を語る私と優希。


「正直ただの犬系脳筋男子だと思ってたけどさ、今日の伊勢山くんは頼りになる海の男! って感じだった」

「優希ひどいなぁ! 征嗣くんに言っちゃうよ?」

「それはやめてー!」


 確かに、いつもは犬のように尻尾を振っている征嗣くんが真剣な眼差しで海に挑んでいく姿は、想像以上にかっこよかった。

 予選が終わって声をかけたときには、いつものように尻尾をぶんぶんに振っていたけれど。


「道、混んでるね」

「週末の夕方だから仕方ないよね。

 サークル少し遅れちゃうなぁ」


 ダッシュボードについた時計を見やりながら、デート以来久しぶりに会える池崎さんの笑顔を思い浮かべる。


 確かに征嗣くんはかっこよくて爽やかで素敵な人だ。

 私への好意もストレートに示してくれる。


 でも、征嗣くんの勇姿を今日一日見ながらも、やっぱり私は “打算” では動けないって思った。


 だって、私の心の宝箱には、池崎さんがくれたキラキラがぎっしり詰まっているんだもの。


 カーブの先はまだ見えなくても、今はその宝箱を大切に抱きしめていたい。


 海岸沿いを連なる車たちが、ちらほらと赤いテールランプを点け始めた。

 私はそれを見つめながら、決意を込めるようにライトのスイッチをカチリと回した。


 🐶


「すみません! 遅くなりました」


 第二会議室のドアを20分遅れで開けると、今日は池崎さんも私服で来ていて、会議テーブルの上に色とりどりの毛糸を並べていた。


 目が合った途端、あのキラキラな時間が走馬灯のように頭を駆け巡って、目が潤むほど顔が熱くなる。

 ぺこりと頭を下げると、池崎さんも柔らかい笑顔で会釈を返してくれた。




 アルカイックスマイルじゃなかった!


「こないだはどうも」って、そんな感じのスマイルだった!




 二人の間だけに通じるアイコンタクトの喜びが、また一つ宝箱に追加される。


「瑚湖ちゃんが来てくれてよかったわぁ!

 今ね、先生の会社が新たに寄付してくれた毛糸でバザー用の販売グッズとして何を作ろうか考えてたところなの」

 福田さんがにこにこと手を広げて並べた毛糸を示す。

「ほら、パステルカラーとか、ネップの入ったのとか、可愛らしいのが多いでしょう?

 瑚湖ちゃんに、若い人向きのグッズを考えてもらった方がいいと思って」


 確かに、テーブルの上にころころと置かれている毛糸たちはどれも明るくて可愛らしい色ばかり。

 言ってしまえば、ちょっと子供っぽい色合いだから在庫処分品になってしまったのかもしれない。


「本当にどれも可愛いですねぇ……。

 そしたら、お花モチーフのヘアゴムとかヘアピン、シュシュなんかにしたらどうでしょう?」


 私の提案に、年配のおばさま達はピンとこないようだったけれど、池崎さんが反応してくれた。


「それはいいね! じゃあ、僕とココちゃんでモチーフを考えてみようか」

「はい!」


 やったぁ!

 池崎さんと一緒に作業ができる!


 ウキウキしながら二人で糸玉を選んでいたときだった。


「そういえば瑚湖ちゃん! 今日は征嗣の大会の応援に行ってくれたんでしょう?

 おかげであの子張り切ってたわ~」


 伊勢山さんが大きな声で話しかけてきた。


 池崎さんの毛糸を選ぶ手が、ぴたりと止まった。


「あら? 伊勢山さんとこのご長男、ライフセーバーだったわよね?

 瑚湖ちゃんとお友達だったの?」

「息子が瑚湖ちゃんのことを気に入っちゃって、熱心に誘ったみたいでねぇ」

「あらぁ~! 若いっていいわねぇ~!」

「じゃあ伊勢山さんが瑚湖ちゃんの未来のお姑さんになるかもしれないってこと~?」

 こういう話になるといつも以上に食いつきがよくなるおばさま達。

 入れ食い状態で全員が会話に釣られてくる。


「違いますよ! 征嗣くんとはお友達なんです!

 今日だって、友達と一緒に応援に行っただけだし……」


 池崎さんに誤解されたくなくて必死になった。


「ね? 池崎さん!

 この間もみんなでドッグラン行ったし、お友達ですよねっ!?」


 思わず池崎さんにもフォローを求めた。


「そうだね」


 池崎さんがアルカイックスマイルで首肯する。


「でも……」


 池崎さんが糸玉に視線を落とす。




「征嗣君はいい人だと、僕も思うよ」


「え……っ」






「あらぁ~! 池崎先生からもお墨付きがもらえたわよっ! 瑚湖ちゃん!」

「私も瑚湖ちゃんならお嫁さんに大歓迎よぉ」

「なんならオバチャン達がみんなで恋のキューピッドになってあげるから!」





 一層盛り上がるおばさま達の声は、もう耳には入ってこなかった。






「あ……すみません。

 今日一日炎天下にいたから、ちょっと気分が悪くて……。

 やっぱり今日はお先に失礼します」


 バッグを抱えた私に、池崎さんが声をかける。


「大丈夫?気分が悪いなら車で送っていこうか?」


「今日は車で来てるから大丈夫です。

 ……お花モチーフ、家で編んできます」


 誰の顔も見ることなく、会議室を出た。


 🐶


[今日は応援に来てくれてありがとう!

 おかげで百人力だったし、明日の決勝も頑張れるよ!]


 征嗣くんからのLINEに、[頑張ってね!]の一言と、Fight! のスタンプを送る。


 本当はもっとテンションの上がるようなエールを送ってあげたかったけど、ごめんね。

 今はこれが精一杯。


 ベッドにうつ伏せで枕に顔を埋めていると、クゥーンとチョコ太郎が枕元で鳴いた。

 少し顔を横に向けると、鼻先をぺろぺろと舐めてくる。


「慰めてくれて、ありがと」


 出てきた涙もチョコ太郎に舐められた。








 いっぱい宝物をくれたから、私は勘違いしてしまった。


 私が征嗣くんの応援に行こうが、

 私が征嗣くんと付き合おうが、


 やっぱり池崎さんには関係のないことだった──





 距離なんて、全然縮まっていなかった──





 ピロリン♬


 再びLINEが入る。


 緩慢な動作でスマホを手に取り、タップする。




[気分はどう? 良くなったかな?]




 池崎さんからのLINE。




 これまでのメッセージは短くてもキラキラと輝いて見えていたのに、今は冷たい無機物のよう。


[大丈夫です]


 これだけ返すと、すぐに既読がついた。


 ピロリン♬


[花のモチーフは僕も編んでくるから、あまり無理しないで]


[了解です]


 既読がつく。


 返信はこない。




 5分後。


 ピロリン♬


[ごめんね]



 ……。




 何が “ごめんね” なんですか?


 私を落ち込ませたのがわかったから?


 それとも、

 私の気持ちには応えられないから──?




 初めて使った、既読スルー。




 枕に顔を埋めたまま、

 カチコチと微かな時計の音を聞く。



 ピロリン♬



[今度の火曜日は空いてるかな?

 せっかくアリョーナがドッグランを使えるようにしてもらったし、良かったら一緒に行かない?]



 ……。



[予定があるので、すみません]




 送信ボタンは……


 押せなかった。



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