第18話 ワイマラナーはシルバーグレーの艶やかで美しい被毛が特徴的なドイツ原産の大型狩猟犬です。

「ああー! この犬なら見たことあるわよ! 確か、うちから3ブロック離れたところの住宅街に住んでるワンちゃんよ。 独特の綺麗な毛色と大きな犬だったから覚えてるわ」


 スマホの検索で出したワイマラナーとインギーイングリッシュコッカースパニエルの画像をサークルのおばさま達に見せたところ、代表の福田さんがワイマラナーに反応した。


「本当ですか!? そのワンちゃんの情報を誰かに聞くことはできますか?」

「そうねぇ……。うちは今年度町内会の組長やってるから、そこのブロックの組長さんとは顔なじみよ。その人に今度ワンちゃんのことそれとなく聞いてみるわ」

「福田さん、ありがとうございます! どんな小さなことでもいいので、普段と変わった様子が最近ないか聞いてみてください」

「瑚湖ちゃんが先生と先生のとこの犬を助けたいっていうんですものね。頼まれないわけにはいかないわよ。おばちゃんのネットワークに任せときなさい!」


 福田さんはふくよかな胸元をバスン!と叩いて、頼もしい笑顔を見せてくれた。


「それにしても、池崎先生と先生の犬がそんなトラブルに巻き込まれただなんてねぇ」

「私もドッグランでの目撃者がいないか、近所で犬を飼ってる人たちに聞いてみるわ」

 他のおばさま方も私や池崎さんのことを心配して、味方になってくれようとしている。


「すみません、遅くなりました」

 池崎さんは今日もスーツ姿でサークルに遅れてきた。

 今回の事件の情報交換に夢中になっていたおばさま達が慌てて編み針を動かし始める。


「今日はまた一段とお話が盛り上がっていたようですね。廊下まで賑やかな声が聞こえてきましたよ」

「女が三人寄ればかしましいって言うじゃなぁい! 女が七人も集まれば、そりゃうるさくもなるわよぉ」


 池崎さんの言葉に伊勢山さんがオホホと笑いながらごまかしてくれた。

 私がアリョーナの無実の罪を晴らそうと動いていることは、池崎さんには内緒にしてほしいとお願いしたからだ。

 もしそれを知ったら、そんなことはしなくていいってきっと拒まれてしまうから──。


 でも、私は池崎さんとアリョーナのために、できることは何でもしたい。

 あの時、私はその場にいながら事故の瞬間を見ることができなかったから。

 池崎さんの力になることができなかったから。

 他の犬を襲ったと思われているアリョーナがあまりに可哀想だから──


「ココちゃん、こないだは申し訳なかったね」

 アルカイックスマイルにほんの少し苦味を混ぜたような表情で、池崎さんが話しかけてきた。

「いえ。こちらこそ、お力になれずにすみませんでした」

「ココちゃんが気にする必要はないよ。むしろアリョーナを庇ってくれてありがとう。

 そういえば、コミセン祭りに展示する作品は何を編むか考えてきたかな?」


 ドッグランでの事件の話題は早々に切り上げ、池崎さんは編み物に話題を移す。


「それなんですけど……。今回はバザーで販売する物を編むだけで、私の展示作品はなしということではだめですか?」

「えっ? 編みたいものが見つからない?」

「それもあるんですが、夏場は店の仕事が忙しくなるんですよ。シャンプーやサマーカットを希望するわんちゃんが増えるので、編み物の時間が十分に取れなさそうで」

「そっか……。ココちゃんとても上手だから、素敵な作品を展示できると思ったんだけどな」


 池崎さんはお世辞ではない雰囲気で、残念そうな顔をしてくれた。

 本当ならば、池崎さんと相談しながら、教えてもらいながら、素敵な作品を編んでみたいんだけど……。


 今は空いた時間をなるべくドッグラン事件の解明に費やしたい。

 あの事件以来、店の定休日や予約の入っていない午前中や夕方に、私は毎日のようにあのドッグランに通って情報収集に努めている。

 時々お店の常連さんに会ったりするから、そのときにドッグランで聞いた噂やマキシという名のワイマラナーのことを聞き出したりしているけれど、今のところこれといった有力情報は得られていない。

 この事件が解決して、池崎さんとアリョーナの無実が証明されるまでは、編み物なんてとても手につきそうにないんだもの。


 結局この日のサークル活動時間は、福田さんに教わりながらバザー用のフルーツ型アクリルたわしをひたすら何枚も編み続けたのだった。


 🐶


『今日は5キロ先の柴咲公園までランニング行ってきたけど、ワイマラナーにもインギーにも会えなかったよ』


 その日の夜も、午後9時過ぎに征嗣くんから電話がかかってきた。

 ここのところ毎晩彼から電話がきて、ランニング先での捜索の報告を受けている。


 征嗣くんはあの事件のあった夜、池崎さんから事情を聞いた後に私の携帯に連絡をしてきた。

 私が見た限りの状況を改めて説明し、池崎さんとアリョーナの無実を晴らしたいと相談すると、自分も協力すると快く申し出てくれた。

 それで、彼はトレーニングを兼ねて色々な公園までランニングに行き、事件に関わった二匹の犬を探してくれているのだ。


「あのね、そのことなんだけど、今日サークルでワイマラナーの住んでる場所がわかったの! そっちの情報は福田さんから何か得られるかもしれない」

『そっかぁ! ちょっと光明が見えてきたかな。今度の定休日も瑚湖ちゃんがドッグランに行くようなら、俺も付き合うからさ』

「ありがとう。でも、征嗣くんもお仕事やトレーニングで忙しいんじゃ……」

『この一か月は会社に火曜休みの申請を出してるから大丈夫だよ! それに瑚湖ちゃんと一緒にドッグランデートできるし、こうして毎日電話もできるし、馨さんには悪いけど、俺としては今の状況が結構おいしかったりするんだ』


 裏表のない征嗣くんのことだから、その言葉は本心なんだろう。

 けれど、そう言ってもらえることで征嗣くんまで巻き込んでいるという申し訳なさをあまり感じないですんでいる。

 優希も遅番のときには午前中にドッグランに行って二匹を探してくれているし、サークルのおばさま達も含めて周囲の協力に本当に感謝している。


 🐶


 火曜日に征嗣くんとドッグランに行ったけれど、その日は特に収穫はなくて、「ココちゃんとデートできて楽しかった」と征嗣くんがひとり尻尾をぶんぶんと振って満足そうだった。


 池崎さんとアリョーナはどうしているだろう?

 ドッグランに行けないから、あの公園を毎日散歩しているんだろうか。

 会いに行きたい気持ちは勿論あるけれど、今はそれよりドッグランに通ってアリョーナの無実の罪を晴らしたい。


 自己満足でもいい。

 アリョーナが再びドッグランで伸びやかに走れるならば、

 私を庇って事件を収束させるために非を認めた池崎さんの気持ちを軽くできるならば――


 少しくらいお散歩で会えなくったって、

 取り付く島への上陸が延びたって平気!


 事件の真相解明に向けて、私の心には闘志のようなものが静かに燃えているのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る