第32話


「――二週間後、フィールダーで会合が開かれるわ。チェスター候がホスト」

 ぎい、ともたれた揺り椅子が揺れる。片足につけられた鎖が、じゃらりと音を立てた。

「こそこそと、ご苦労なことだ」

 向かい側から、声が返る。不機嫌そうに椅子の肘掛けに頬杖をついているのが、月明かりに照らされて見える。人目を忍んでやってきたのだろう、濃紺のローブを羽織り、フードを深く被っている。

「覚えている? ジェーン。舟遊びをしたときに、私が暴漢に遭ったこと」

 ああ、と濃紺のフードの人物――ジェーンは返す。思わずフードの奥で目を細めた。まばゆい思い出が、脳裏をかすめる。その青い目は、床を這うほどに伸びた相手の髪を映した。その色は、暗闇でもはっきりとわかるほどに神々しい真紅をしていた。

「あの時」

 深紅の髪の主は言葉を続ける。

「ジェーン、指輪をもらったでしょう。大ぶりの金細工の」

 ああ、とジェーンは再度返す。

「確か、クロムから投げて気をひけと渡された」

「あの指輪ね、参加者の同志の証。飾りを開ければ、伝達事項の暗号が入っているわ」

 ジェーンは複雑そうな顔をする。クロムは、同じものを持っていた。

「クロムのことを気にしてる?」

 ジェーンの胸が疼く。言葉の端から、レイチェルにとって、クロムは特別な存在なのだということを改めて思い出す。しかし、今一番気になるのはそのことではない。

「過去のことは私にもわからないけれど、舟遊びの時、陛下がおっしゃってたわ。クロムは、ブラッフォード候の手のものだって」

「知ってたのか、レイチェルは」

 ジェーンは眉を顰める。しかし思い直して、小さくかぶりを振った。

「いや、当人同士がいいならいいんだ。昔はともかく今は、クロムは海軍の将としてよく働いてくれている」

「これからもずっと、あなたを裏切ったりはしないわ。あなたが真っ直ぐに、私やクロムを信じてくれているってわかるから」

 力を込めて、レイチェルは言う。ジェーンが視線を上げると、レイチェルの真紅の瞳とかち合った。きらりときらめくその瞳は、まっすぐにジェーンを見つめている。

「聞いてもいいか」

「なあに」

「どうして、そうなったのだと思う?」

 レイチェルはそっと目を伏せる。

「相手が誰であれ、サラはこの身で温めた、私のかけがえのない分身。私から二度も、大切な人を奪うよう運命づけたキュセスが許せなかった……」

 心の奥底から、燃えるようにこみ上げてくる怨嗟の叫び。身を焦がすようなそれが全身を包み込み、そして眼を焼き尽くすような熱が襲った。

「思えばそれが、私を呪いの巫女に堕としたきっかけなのかもしれないわ。本当のところはわからないけれど」

 ぎい、と椅子が鳴る。ジェーンは黙ってレイチェルの言葉を聞いていた。

 彼女の、希有な純真さを守りたかったのだ。自分の心と一緒に。

もう叶わない。

「前にジェーンには話したでしょう? 時々、人影がうっすら見えるって。あれは前兆のようなものだったのね。今は誰が何をしているか、はっきりと映るわ」

 テレサを助けなければと、ジェーンに苦しい胸の内を打ち明けてきた瞬間が、ジェーンの脳裏に蘇る。ジェーンを救おうと、何とか機会をうかがっていた時のことも。けれど、そんな場面ばかりが見えるわけではない。

「この目はとても重いの。いろいろな人の未来が、感情の渦とともに勝手に流れ込んでくる。目を背けたいものも」

 レイチェルは目だけジェーンの方に向ける。呪いは、自身にも降りかかっているようにジェーンには思えた。目の前に展開される光景に、ひどくレイチェルが苦しんでいるのがわかる。

「わがままだって、わかってるわ。けれど――」

 その赤い瞳で、ジェーンは真っ直ぐに捕らえられる。

「ジェーン、またこうして会ってくれる? あなたがいないと、心が、潰れてしまいそうになるの」

 ジェーンは息をのんだ。同じ言葉を、以前レイチェルにかけられた。金色に染まる日差しの中、遠い遠い、夏の日。けれど今、その意味は同じではない。心には、互いと、そして全く別の人を映している。それでも。互いの望みを満たせるのは、互いのみなのだ。もうこれ以上、堕としたくはない。

「約束を、違えたりはしない」

レイチェルは揺り椅子をきしませて、ゆっくりと立ち上がった。鎖を引きずり、ジェーンに近づく。ジェーンは、止めようとするエリーを制し、手を肘掛けに戻す。レイチェルは限界まで近づくと、そっと手でジェーンの頬に触れた。白い指が、頬を滑る。もう片方の手は、ジェーンの手に重ねられた。あの、星形の刻印の上に。そして静かに腰を落とすと、ジェーンの耳元に口を寄せる。ジェーンはそれをじっと見ていた。

「ありがとう」

 魂が、絡め取られていく。

ジェーンはそう感じた。しかしそれは、蜘蛛が獲物をとらえるのとは違う。あるべきところへ戻るかのような、感覚。

「今度は私が、あなたを守る」

 ジェーンは目を見張る。涙が出そうになって、慌ててその瞼を閉じた。

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真紅の巫女〜王の妃と海賊の花嫁〜 星名 @amane-mahara

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