第20話

目隠しをされ、連れてこられた場所は、湿った石造りの場所だった。ひらひらと舞う月光蝶の淡い光が、足下だけをわずかに照らす。エリーは、ジェーンに椅子を勧めた。ジェーンは手でその感触を確かめながら、腰掛けた。冷たい。ジェーンはエリーの手のぬくもりを握り返した。エリーが、もう一匹の月光蝶を呼び寄せる。月光蝶はぼんやりともう一つの人影を照らした。初老の男だろうか。黒いゆったりとした衣を纏い、目を閉じた人間が向かいに座っている。

「この者は、レコード・キーパーと呼ばれる者です。トレヴィシックのもたらした情報の一切を記憶しています。私たちが扱う情報は、外部へ漏らすことのできない機密ばかりです。故に、文書として痕跡を残すことは好ましくありません。そこで、彼らがいるのです」

 ジェーンはまじまじとその男を見た。今にも消えてしまいそうで、現実感がない。しかし、意を決して口を開いた。

「単刀直入に聞こう。ロザリーという者は何者だ? 陛下とは、どういう関係なんだ」

 ジェーンは矢継ぎ早に問うた。レコード・キーパーはゆっくりと口を開いた。

「それには、先王陛下の頃に起きた、戦争の話から始めねばなりません」

 ひとつ、咳払いをする。ジェーンは気持ちを落ち着かせるように、背もたれに背を預けた。

「先王陛下の代、隣国ランデジットとの間に、長い戦争が生じました。辺境で小競り合いが起こっては消え起こっては消え……。はじめはセントオールが優勢とみられていました。しかし、突如として戦況が変わります。ヴァレリーという男が、一団を率いて前線で指揮をとりはじめたのです。彼の行くところ行くところ、ランデジットは勝利を収めていきました。まるで、こちらの手の内がわかっているかのように、一つの取りこぼしもなく、撃破されていったのです。我々は怪しみました。味方に、敵と通じているものがいるのではないかと」

「妥当な考えだな」

 ジェーンは頷く。

「ええ。しかし、内通者を探っているうちに、一人の女に辿り着いたのです。その女こそが、ロザリー。ヴァレリーの恋人とされる女でした」

「その、ロザリーという女が、内通者だったのか?」

 レコード・キーパーは、ゆっくりと頭を振った。

「いいえ、違います。彼女は敵と通じるどころか、ヴァレリーや限られた者の前にしか姿を現さなかったのです。彼女は、城の人目につかない部屋にいて、そこから指示を出していました。あたかも、未来がわかっているかのように。そして、ようやく彼女の姿をとらえたトレヴィシックの者から報告がありました。ロザリーは、深紅の髪に深紅の瞳を持った者であると。」

「そんなばかな」

 ジェーンは眉をつり上げた。

「我々も、はじめは懐疑的でした。しかしその間にも彼女の言う通りに戦況は進み、ヴァレリーは戦功を積み上げていきました。我々は遂に、一つの結論を先王陛下に報告しました。未来を言い当てることの出来る者――呪いの巫女が、ランデジットにいると」

「そんな、実在するっていうのか? 巫女が?」

「正史には載りません。存在してはならない者ですから。キュセスの代理人ヨアンの妻にして、彼を裏切り、キュセスの呪いを受けた者。戦を呼び、災厄を運ぶ、異教の神の祝福を受けし者。しかし、我々の記録上は、何度かその存在が確認されています」

 ジェーンは身震いした。

「先王陛下は、ロザリーを捕らえるよう命じられました。我々は、ヴァレリーをロザリーから引き離し、内紛で命を落とすように仕向けました。身分の低いヴァレリーは、戦功の多さから殆どの貴族を敵に回していましたから、工作は割合早く進みました。そして、ロザリーは我々の手で、セントオールに連行されました。先王陛下の前に引き出されたロザリーは、こう言ったそうです。王は、その憎むところにより三年のうちに死に、貴族が権勢を振るうだろう。次の王も、三十を待たずに死ぬ、と」

「陛下は、それをご存じなのか?」

 声が、思わず震える。

「ご存じです」

 厳かに、レコード・キーパーは答えた。

「必死に、目を瞑っていらっしゃるのです」

 エリーが言葉を繋げると、レコード・キーパーは目線でたしなめた。

 無理もない、とジェーンはこめかみを押さえた。自分だって、にわかには信じがたい。しかも、自分にとって、悪い未来の予言であったとしたらなおさら。

「――先王陛下は、殺されたのか?」

 レコード・キーパーはゆっくりと首を振った。

「わかりません」

「わからない?」

 ジェーンは首を傾げた。

「先王陛下のご命令で、亡くなられるまでの三年間、エドガー以外の者が直接先王陛下と関わることができませんでした。そして、エドガーからも何の報告もありませんでした。真相は、エドガーが知るのみなのです。お恥ずかしいことに」

「――陛下は、お一人で立ち向かってらっしゃるんだな」

 吐き出すように言う。エリーがそっと顔を近づけた。

「どうなさるおつもりですか」

「陛下にはいい迷惑かもしれないが、私は真相を知りたい。真相を明らかにしなければ、陛下はずっと巫女の呪いに心を囚われたままになってしまう。エリー、協力してくれ」

「はい」

 エリーは礼をして、再びジェーンの手をひく。そして、ご案内したい場所がございますとだけ言って、先導した。

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