第19話

どんよりと曇る空の下は、居心地が悪い。今日は、何をする気にもなれないなと、エリックはひとつ伸びをした。城の外へ出ることは、もう長い間禁じられていた。隣国との戦争が長引いている。人質にでもなろうものなら面倒だ。

「つまんないよ、アーノルド」

 傍らには、見慣れた少年の顔がある。自分よりも少しだけ大人で、殆ど表情を崩さない。

「そうだ、この間の地下通路探検に行こう!」

 エリックは跳ね起きる。

――やめろ、と心の中で自分が叫んだ。しかし体は、何の違和感もなしに動いていく。アーノルドの制止も聞かずに、するりと隠し扉を抜け、大人一人がやっと通れるほどの狭い道を通っていく。そわそわ、ぞわぞわとエリックの心が震える。好奇心と恐怖心とが、体の中を駆け巡っているはずだった。心の中のエリックは思い出す。しかしそこに感慨深さはない。必死に、その先を見るまいと目を固くつむり、足をとどめようとする。しかし、身体の主は、今は自分ではない。ごとりと、北棟へ通じる扉を動かす。奥の部屋には、微かに人の気配がした。吸い込まれるように、足が動く。

――やめてくれ!

もう一度、心が叫んだその時。

「起きてください陛下!」

 聞き覚えのある声がして、同時に頬に衝撃が走る。エリックは目を見開いた。すぐ近くに、赤みがかったブラウンの髪が見える。エリックはぎょっとした。

「ロザリー……!」

思わず、喉の奥で声が出る。が、青い瞳に焦点が合うと、ほっと息をついた。

「何だ、ジェーンか」

「何だじゃありません」

 心配そうに、そして怒ったようにジェーンは言う。

「かなりうなされてましたよ、大丈夫ですか」

 言われて、エリックは自分がびっしょり汗をかいていることに気づいた。シャツがひんやりと冷たい。前髪をだるそうにかき上げると、ジェーンの後ろに、アーノルドがハーブティーの入ったカップと着替えを持って立っていた。エリックは何も言わずにカップを受け取ると、一気に飲み干した。

「お前、ぶっただろ」

「すみません。でも、そうしないと届かないような気がして」

 エリックは喉に残った水分を飲み込む。心臓の音が、ジェーンに聞こえてしまいそうなほど、どくどく脈打っている。

「何しにきた」

「お礼を申し上げていなかったので――レイチェルのこと、ありがとうございました」

 鼻を鳴らしてエリックは息をつく。

「お前が頼んだからじゃない。ステュアートに恩を売るのに、使えると思ったからだ。着替えるから、出て行け」

 エリックは手で追い払うような仕草をする。ジェーンは渋々ベッドから下りた。しかし、そこで足を止める。

「ロザリーとは、何者ですか」

「聞いてどうする。ヤキモチか?」

 からかうように、エリックは言う。しかしジェーンは、表情を崩さない。

「そうならばいいのですが。何か悩んでいらっしゃるのではないのですか?」

「痴情のもつれのことか? お前に相談するほど困ってないさ」

「茶化さないでください、陛下」

「余計なお節介かもしれません。けれど、お力になりたいのです」

 ぐいと、ジェーンはハンカチをエリックの額に押しつけた。エリックは、乱暴に拭かれるまま座っている。

「ジェーン」

「はい」

「お前は王になれ。そのために王妃にした。お前の、理想とする王になれ」

「は?」

 真意がわからずジェーンは眉根を寄せる。エリックが再び手を払うと、アーノルドが抱きかかえるようにしてジェーンを部屋の外に出した。ちらと閉められる扉越しに、シャツを乱暴に脱ぐのが見える。

「エリー」

「はい」

「私に何ができるだろう。動きたいんだ。王妃になってしまってからでは動けない」

 ジェーンはエリーと真っ直ぐに向き合う。

「ロザリーとは、何者だ? 私は、その、陛下の夜遊びの相手ではないんじゃないかと思うんだ」

 エリーは目を伏せる。どこか嬉しそうだと、ジェーンは思った。しかしジェーンに向けられたエリーの顔は、トレヴィシックとしての仮面のような顔つきに戻っていた。

「ジェーン様、改めて伺います。覚悟はおありですか」

 何を今更と、ジェーンは強く頷く。

「これは私の、義務だ」

「では、私の手を離さないでくださいますか」

 エリーは、そっと手を差し出す。

「これからお連れするところは、セントオール王家の、暗部です。本来であれば、トレヴィシックの人間しか入れない場所です。けして他言なされますな」

「無論だ」

 ジェーンはごくりと唾を飲み込んだ。エリーの手を取る。エリーはそっとその手を握った。

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