第6話

 石造りの壁を、日差しが白く照らしている。熱された壁と植え込みの間をこそこそと、あたりをうかがいながら、ジェーンは進んでいた。

「ジェーン・オズウォルト嬢?」

 エリックが声をかけると、ジェーンの背中がびくりと揺れた。

「へ、陛下」

 ジェーンは慌てて振り向き、礼をする。目の前には、堂々たる格好のエリックが立っていた。深い海を思わせる濃い青の上着は、普段着であるのに細かな刺繍がびっしりと施されていて圧倒される。が、エリックはそれに着られているふうではない。やはり王なのか、とジェーンはふと思った。

「こんなところで何をしている」

 エリックの問いに、ジェーンは明らかに狼狽しながら、一歩二歩と後退った。

「何でもありません」

「何やら隠れているようだったが?」

 庭園の植え込みに身を隠すように立つジェーンに、エリックはにやにやと意地の悪い笑みを浮かべる。ジェーンはなおも、何でもありませんと意地になって返した。

「さては、見合いをサボろうとしているな?」

 エリックの言葉に、ジェーンが固まる。どうやら図星だったらしい。

「なぜ……」

「噂になっているぞ、あのオズウォルト嬢が見合いを受けたと」

「私の本意ではありません!」

 ジェーンはぷいと横を向いた。

「父が勝手に返事を出したのです! 砂を吐きそうな、気持ちの悪いものを!」

 急に見合い話やお誘いの手紙が増えて気持ちが悪いと、ぶつぶつ文句を言うジェーンに、エリックは耐えきれずに吹き出した。

「オズウォルト卿も、悩んでいたのだろうな。一人娘がこれほどまでに勇ましくて」

 ジェーンは恨みがましそうにエリックを睨んだ。

「今日、テレサ様の所へ寄った帰りにお会いすることになっているのです。捕まらないよう隠れますので、これにて失礼いたします」

ジェーンはそそくさと隠れ場所を変えようとする。エリックは腕を掴んでそれを引き留めた。

「どうせすっぽかすなら、遠出の供をしないか。有意義だろう」

 ジェーンは眉を顰める。

「どの辺に意義があるのでしょう」

「権力者と懇意になれる」

 軽く胸を張るエリックに、ジェーンは溜息をついた。

「そんなにあからさまにおっしゃらなくても」

「違うか?」

 しばし、ジェーンは逡巡する。やがて口を開いた。

「隠れて悩んでいるより、体を動かしていた方が健康にいいです。お供いたしましょう。しかし――お一人でいらしてもよろしいのですか?」

「案ずるな」

 エリックは手をひらひらと振る。影から一人の青年が姿を現した。ジェーンはぎょっとして一歩下がる。

「こいつが、いつもついている」

 ジェーンは目をこらす。細身だが、エリック以上に隙のない締まった体躯。表情は硬く、その瞳はのぞき込めない。ジェーンは感心した。

「君と森で会ったときも、アーノルドがいた。もし君が刃を向けていたら、アーノルドは躊躇わずに君を殺していただろう。気をつけた方がいい、君は怪談にも考えなしにつっこんでいくようだから」

 いつの間にこの前の話が回ったのか、とジェーンは眉をひそめた。宮廷を駆け巡る噂話ほど、恐ろしいものはない。ありがたく、権力者と懇意になっておくかと、ジェーンはエリックの背に続いた。

 城を裏から出、森を複雑に抜ける。ジェーンは、どんどん進んでいくエリックにおいていかれないよう馬を進めた。空は青く、下の方から入道雲がもくもくとわき上がる。まぶしいほどに白い雲の、更に下に木々を茂らせた森は深い。ちらちらと光が漏れる程度だ。ジェーンはふと、ある噂を思い出す。

(エリック様は、女たらしなのよ――)

 噂話は、ナタリーの声で再生される。

(あまりにも目移りしすぎて、王太后様が早く身を固めるようおっしゃっても、婚約者がお決まりにならない)

まさかまさか。

エリックに気づかれないように、そっとかぶりを振った。それこそ自意識過剰だ。

(しかし妙だ)

 ジェーンはエリックの背中を見つめる。女たらしとはいえ、その紳士的な振る舞いから、エリックの評判はよい。だからこそ女たらしとわかっていても、誘いに応じる令嬢が後を絶たないのだ。それなのに。

(エスコートのエの字もない。これが本性なのか?)

レイチェルのためにも釘を刺さなくては、とジェーンは姿勢を正す。と、突然エリックが振り返った。

「もう着くぞ」

 突如、草むらの中に小さな石造りの建物が現れた。窓の小さな古い建築様式で、壁には蔦が這っている。

「ここは?」

「かつてのセント・ブルータワー聖堂だ。今は市街に大きなのが建っているが、こっちはアイヴス家がセントオールを治める前の、一領主だったころに建てられた。今はこのなりだが、俺はこっちの方が落ち着く」

 言ってエリックは馬を下りる。ジェーンの方に足を踏み出しかけたが、ジェーンが既に馬を下りているのを見て苦笑した。

「エスコートは?」

「結構です、陛下」

 ジェーンは皮肉を込めて軽く一礼した。

「じゃあ行こう」

 エリックは本当に先に入っていった。ジェーンはそれを追う。聖堂の中は、光が殆ど入らないせいでひんやりしていた。アーノルドが、懐から小さな天灯虫を取りだして放つと、

ぽつりぽつりと明かりがついていく。がらんとした室内で、光の中央に小さなキュセスの像が置かれていた。エリックはその前に跪き、キュセスのお導きがあらんことを、と呟いた。ジェーンもそれに続く。祈り終わって立ち上がると、エリックは口を開いた。

「レイチェルから、おもしろいことを聞いた」

「何でしょう」

「俺のことを、レイチェルを任せられない貧相な男だと言ってるそうじゃないか」

 そういえば、とジェーンは思い出す。

「本題に入っていただいて恐縮です。私も常々申し上げようと思っておりました」

「ほう、聞こう」

エリックはおかしそうに腕を組んだ。

「レイチェルほど、陛下を純粋にお慕いしている令嬢はいないと思います。身分という打算を超えて。かつて王妃は慈愛の象徴であり、全ての騎士の愛と羨望の的でした。その理想の体現がレイチェルであると言っても過言ではありません。移り気な心を正して伴侶を定め、王としての道を全うされるべきです」

 エリックは、ジェーンをじっと見つめる。何かを考え込んでいるかのように。まるで王のようだ、と失礼なことをジェーンは思った。思えばジェーンは、彼が娯楽の場にいたところしか見てこなかった。政務にあたる場は、女性ではごく限られた者しか入り得ないからだ。そんな場面しか見ていないのに、失礼なことを言ってしまったかもしれないとジェーンは今更ながらに悔いた。エリックは口を開く。

「レイチェルは理想の王妃となるだろうか」

「はい」

 ジェーンは突然の問いに戸惑いながらも頷いた。

「それは、君の一番の友人だということを差し引いても?」

「勿論です」

 ふむ、と頷いてエリックは視線を横にそらした。

「俺もそう思う。君と違って。最高の飾りとなる」

「飾り?」

 ジェーンは露骨に顔を顰めた。

「そうだ。家柄も容姿も申し分ない。最高の飾りとなり得る。問おう、君は俺を貧弱だと言った。それならば、理想の王とはどんなものだ」

 ジェーンは姿勢を正す。

「騎士のように勇敢であり、神のように慈悲深く、臣民を愛し、教え導く者です」

 エリックは鼻で笑った。

「模範解答だな。まるでセントオールの開祖エドワード大帝のように、か?」

 はい、とジェーンは頷く。エリックは黙ってジェーンに背を向けると、壁に描かれた小さな絵の前に立った。所々剥がれ、顔料も変色しているが、大きな冠をつけ大剣を胸の前で掲げた若い男が、キュセスの祝福を受けて民を率いている。

「見ろ。若かりし日に、エドワード大帝が描かせたという絵だ。エドワード大帝は、この絵が現実となるようにと毎朝ここに通い、祈りを捧げてきたという」

戦場では先陣をきって大陸の混乱を収め、法を制定して大国セントオールの基礎を固めたエドワード大帝は、理想の君主として今なお人気が高い。しかし――とエリックは振り返る。

「そんなものは只の夢想に過ぎない。エドワード大帝はもはや伝説の存在だ。おとぎ話には誇張が少なくない。現実にはなりえない王だ」

 ジェーンはどきりとした。

「ご冗談が過ぎます、陛下。先王を侮辱されるなど」

「思わないか、ジェーン。王は飾りだ。おまえの言う理想のエドワード大帝を見ろ。聖堂には絵画が飾られ、歌劇の主人公となり、吟遊詩人たちに歌い継がれる。まさに、美しい最高の飾りだ。権力者も民衆も、そうあるべきだと求めている」

 エリックは淡々と言い放つ。冷めたような目だ、そうジェーンは感じて眉をつり上げた。

「見損ないました、陛下」

「何だ、評価してくれていたのか?」

 茶化すようにエリックは言う。ジェーンは自分を律するようにスカートの裾を握った。

「陛下は、貧相とは申しましたが、私のような末端の者の言を、しかも無礼な言を聞いて下さる、懐深い方だと思っておりました」

「なんだ、自覚はあったのか」

 エリックは驚いたような顔を作る。

「――それなりに。私は、実際に多くの王を知るわけではありません。しかし、陛下は愚かな王ではないと思いました。諦めるべきではありません」

 エリックは、今度は本当に目を丸くする。一瞬間を置いて、吹き出した。

「君は、お世辞は嫌いじゃないのか?」

「お世辞だと思われたのですか。心外です!」

 エリックはひーひー言いながら腹を抱えて笑っている。ジェーンは、前言を撤回するべきかと笑い続ける青年王を睨んだ。それでもエリックは止まらない。

「君は理想が高いな。それでは潰される。もっと、人を受け入れた方がいい」

「例えば、どういったことでしょう」

 ふむ、とエリックは唸る。

「男だ」

 ジェーンは口を開けたまま固まった。

「へ、陛下ともあろう者が、そのような言……」

「それだ! それがいけない!」

 エリックは指を指した。

「それが、ジェーン、おまえの視界を妨げている。王宮で催しがある時は、必ず出席すること。一番に招待状を送ってやる。そして、見合いは断らないこと。王命だ」

 楽しそうににやにや笑うエリックに、ジェーンはそっぽを向いた。

「そのような王命、受けられません! 失礼いたします!」

 言って、ずんすん聖堂を出て行こうとする。

「おい、どこへ行く」

「帰らせていただきます!」

「一人で帰れないだろう、強がるなよ」

 エリックはなおも笑いながら一番手前の明かりを吹き消した。

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